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2-2.

 ちょっとトイレに――と席を外したカルーは戻ってくるなり目をまん丸にした。

 もともと目の大きいカルーは、瞠目すると目が皿のようになる。セラはカルーの顔をまじまじと観察しながら、彼女の第一声を待った。


 だが、カルーが第一声を発するよりも早く、セラの足元に跪いていた男が声を上げる。


「お嬢さま、何かご命令ください。貴女さまのためならば例え火の中水の中、どんな痛苦も厭いません。ああ、どうか、どうかこの卑しい下僕めにご命令をっ」


 形のよい両手を組み合わせて懇願する男は、世の女性のほとんどが「恋人にできるものならば一度はしてみたい」と望む美貌をそなえていた。

 細い髪が身体の動きにあわせてふわふわと揺れ動く。苦しげに寄せられた眉、秀麗な美貌に浮かぶのは憂愁と哀願の色だ。よほど不親切な女性でもない限り、助けてあげたいと心動かされるだろう。


「あんたにかかると、インキュバスも形無しね」

 カルーは肉感的な唇で口笛を吹いた。

「どうする?」

「排除」

 問われるまでもない。

 セラはインキュバスの前で、ゆうゆうと退魔の本を開いた。


* * * * *


 故郷を出て二年が経過した。

 セラは予定調和のようにハンター試験に合格し、一年の研修をつつがなく終え、当然のごとくハンターとなり、今はやはりこれは自分の天職だという確信を深める日々である。


「はい、報酬。三分の一はハンターギルドに献上だっけ? 特異体質ってのも厄介ね」

 セラは魔物を惑わす香をもち、その血は魔物を殺す――これは、ハンターになってから分かったことだったが。

 特異体質のおかげで仕事の成功率が高くなるセラは、他のハンターたちから不満が出ないよう、報酬は通常よりも少なめにされ、階級も上がりにくいようにされている。

 それをカルーは気の毒がったが、その点についてセラに不満はなかった。仕事ができればそれでいい。


「あんたのおかげで楽に稼げたわ。じゃね、ありがと」


 報酬を山分けすると、カルーは自分のチームに戻っていった。

 セラはぽつねん、と一人カウンターに残される。

 ハンターギルドの食堂には現在、大小多数のグループが集って夕食を摂っていた。どのハンターもたいてい誰かと一緒にいるが、セラはだけは一人だった。


 セラもハンターになりたての頃はグループに属していたことがある。

 だが、合わなかった。セラが無言かつ無表情でチームになじめなかったせいもあるが、一番の理由はセラの能力にあった。


 確かに、セラの体質は便利だ。

 便利なのだが、便利すぎて、ハンターたちには魔物との戦いが物足りないものになってしまった。

 とくに、チームの頭になるような、自分の腕一本で生きてきたハンターにとってはおもしろくなかった。仕事のやりがいがないのだ。

 最初のチームを出たあと、セラはいくつかのチームから誘いを受けたが、どこにも居つかなかった。一度だけ居つけそうなチームがあったものの、周りから「あそこのチームは女一人のおかげで成功している」という中傷を浴びせられ、結局セラは出て行かざるをえなかった。


「ねえ、あんたがセラ=グレイス?」

 セラが堅いパンと格闘していると、若い男が声をかけてきた。

 男の腰元で黄色い石のついたハンター証が光っていた。ハンターには黄装、緑装、紫装、蒼装、緋装の順に位があり、黄色い石はこのハンターが黄装であることを表している。

 男の後ろには、いかにも生活に困っている様子のハンターたちがいた。位はいずれも、黄装か緑装止まり。セラは用件のおおよそを察した。


「暇そうだね。今度、ゴブリン退治に行くんだけど、一緒に行かないか?」

 セラはしばし思案するふりをして、首をふった。

「なんで。見たところ、随分儲けているようだし、俺たちにも少し稼がしてくれてもいいじゃないか」

 セラは完璧に無視して、パンを黙々と食べる。


 報酬を少なくされるのも、階級を上がりにくいようにされるのも、我慢できる。しかし、いい金稼ぎの道具として使われるのにはいい加減うんざりしていた。

 先ほどの相棒、カルーは同期のハンターで研修中は色々なことを教えてもらった。だから今のところ我慢しているが、それもそろそろ止めようと思っていた矢先だ。男の申し出を受ける気には到底なれなかった。


「なあ、いいだろ? 報酬は四、六。悪い話じゃないはずだ。な?」

 若い男はしつこく説得しようとしたが、セラはひたすら無言を返した。

 男はセラにその気がまったくないことを悟るしかなく、唾を吐くようなしぐさをして去って行った。


 嫌なものだった。ただ魔物を狩りたいだけ、と思っていても、そこに他人の中傷や欲望が混じってくると途端にやる気が失せる。

 セラは近頃、自分が本当に魔物の殺戮人形になれたらと思う。人に利用されることも気にしない、ただの殺し屋に。


 スープの最後の一滴を飲み干すと、セラは代金を置いて席を立った。部屋に帰る前に大広間に寄り、壁に貼られた依頼書を見てまわる。


「おい、あんた! そこの鉄仮面! あんたに手紙が来てるよ!」

 声の主が見えず視線をさ迷わせると、罵声が飛んできた。

 ハンターギルドにある宿泊施設を管理している老人だ。しみの浮いたしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにし、頬を赤くして怒っている。

「あんたのその目はガラス玉かい! まったく、ハンターってのはろくな人間がいないね!」

 気の荒いハンターたちの相手に辟易している管理人は、セラの反応になおのこと気を悪くした。投げつけるようにして手紙を渡す。


 手紙は神殿からだった。

 差出人はラーウ。故郷で世話になったメルレル神官の友人で、大神殿で神殿兵の兵長を務めている。ハンター試験でも手助けしてもらった。


『協力していただきたいことがあります。急ぐ用がなければ、二日後に大神殿にきて頂けませんか?』


 はっきりとした用は書かれていなかったが、魔物退治に関することだろう。

 人の欲や思惑に嫌気の差していたセラは、俗世から離れた神殿の依頼に一も二もなく飛びついた。


* * * * *


 国一番の神殿とあって、大神殿は立派な造りをしている。

 昨今建てられた神殿のように彫像はないが、所々に施されたレリーフが美しい。何百年も前に建てられたせいで柱や壁に風化の痕が見られるが、それは神殿の威風堂々さを増す材料にしかならなかった。


 わざと天井を低くしてある廊下を参拝客に混じって歩き、セラは祈りの間に入った。

 そして、突然高くなった天井に心地よい解放感を味わう。

 一抱え以上もある柱に支えられた高い天井。吹き抜けになっている祈りの間は自然と畏敬の念を誘った。


 礼拝堂の正面、三界の王が浮き彫りにされた壁の前にラーウがいた。パイプオルガンを掃除するところだったのか、手にはたきと雑巾を持っている。

「おはようございます、グレイス殿。わざわざ来ていただいて、申し訳ない」

 話をするのに掃除をしながらでは悪いと思ったのか、ラーウは掃除道具を手放そうとしたが、セラは気にしない。掃除をしながら話をしてもらうことにした。


「すいませんね。今日はどうしてもこれを掃除しておきたくて」

 ラーウは鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌で掃除をはじめた。

 セラにはそれが少しおかしかった。

 ラーウは大神殿の副神官長もかねているのだが、副神官長ともなると、一般人が出入りする表神殿には出てこず、法王も住まう裏神殿の方に控えているもので、まして表神殿で掃除などしないものなのだ。


「貴女のおかげで、ハンターギルドは随分助かっているそうで。喜ばしいことです」

 ラーウは心の底からの微笑を浮かべる。

「魔物が跋扈し、人々が不安に脅えている中、あなたという存在がこの世に舞い降りてくださったのは本当に幸運だった。神は私たちのことを見捨ててはいなかった……」

 ラーウは掃除をする手を止め、壁のレリーフに向かって祈りの印を切った。

 セラは全身にじんましんが出そうだった。ラーウはことあるごとにセラの体質を崇め奉っていて、セラにはそれがむずがゆくて仕方ない。


 自分の歯が浮き出さないうちに、セラは話題を変えた。

「実は、魔物退治に協力していただきたいのです」

 予測していた通りの申し出だった。

「国の北方、ヴェルシャン山脈の辺りに住む魔人はご存知ですか?」

 セラはうなずいた。ハンターたちの間では厄介な場所として、五年ほど前から有名な場所だ。


 魔人だけでも厄介なのだが、なんでも、魔人へと至る道の途中には怪しげな魔術師が居を構えているという。その魔術師はキマイラの研究をしており、山脈へ行こうとすると野生化したキマイラが襲ってくるらしい。難易度がかなり高い。


「近隣の貧しい村から何度も国や神殿に退治の嘆願情が届いていましてね。ついに退治をすることになりました。ハンターギルドに依頼するには金が必要です。無償で助けを得るには、国か神殿に縋るしかありませんから」


 ラーウはほっとしている様子だったが、どこか苦々しげだった。

 その理由は容易に察しがついた。嘆願状は五年も前から届いていたに違いない。しかし、それでも国も神殿も動かなかった。この五年の間にどれだけの被害があったことか。


「危険の多い仕事ですが、受けていただけませんか? できるだけ被害を少なく済ませたいのです。上層部にはおそらく反対されるでしょうから、十分な報酬をお渡しすることはできないでしょうが……」

 ラーウは恐縮したが、セラは二つ返事で請け負った。

 久々に気持ちのいい仕事ができそうだった。

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