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1-17.

 黒い男物の服、短剣、銀の護符、セラはそれらを身につけて森へ入る準備を整えた。

 そしてライラの姿を探す。森に入る前にすべてを知っておきたかった。セラはスーラの無実を信じているし狩る気もない。

 ただ、ライラが何を企んでいるのか知りたかった。実の妹であるはずの彼女がどうして兄に不利になるような発言をしたのか腑に落ちない。


『ライラ。少し聞きたいことが』


 ライラはオルガと話していたが、セラは強引に割りこんだ。

 この領地内で一番の法術の使い手であるオルガもクイルに請われて出撃の支度をしていた。もっとも、請われなくても出ただろうが。

 オルガはスーラを狩って大神殿に返り咲く材料とする気だ。呪獣を狩るなど歴史上ではじめてのことだ。はぐれ者の呪獣などめったにないから、スーラはかっこうの獲物だった。もしこの狩りが成功すれば、後世に語り継がれるほどの栄誉となるに違いない。


『何、セラさん』

『スーラはどこに』

 オルガの悪態を背に受けながら、セラはライラを人気のない場所まで連れて行き、厳しい顔で問い正した。

『そんなに怖い顔しないで。私、何かした?』

 ライラは平凡な町娘の姿形で脅えてみせた。

 セラは気を引き締める。外見に騙されてはいけない。どれだけあどけない顔をしていても、中身は魔物だ。


『スーラはどこに』

『どこって、森よ。森に決まっているじゃない。散歩にいったっていったでしょ?』

 ふざけた回答に激昂しそうになったが、幸いにも理性の歯止めは外れなかった。

『質問を変える。スーラはなぜ森に』

『ごめんなさい。古代語、よく聞き取れないの。もう一度お願いできる?』

 白々しく笑うライラに、セラは拳を握りしめる。

『あなたがマリーを』

『ねえ、なんのこと?』


『何を考えている!』


 堪えきれなくなって、セラは腹の底から怒鳴った。十何年ぶりかに。


 ライラは超常現象でも目の当たりにしたように目をぱちくりさせた。

『ああ、びっくりした。あなたでもそんなに声を荒げることあるのね』

 からかう調子の声だったが、セラはそんなことにも構っていられなかった。我に返って冷静になるどころか、余計に怒りをあおられた。

『答える!』

『落ち着きなさいよ。あなたらしくないわ』

 そこでやっとセラは深く息を吸って、気分を一度落ち着かせた。腹の底に怒りの炎がくすぶっていたが。


『あなたは何をたくらんでいる』

「セラ=グレイス」

 ライラの答えを聞く前に、メルレルが会話に介入してきた。


「メルレル神官、少し待っていただきたい」

「ああ、すまない。私の用はすぐに終わる。セラ=グレイス、魔物との契約など破棄することだ。オヌでは一般的なことかもしれないが、この土地では君の奇異さを増す要因にしかならないだろう」

「しかし、ハンターになったら有用」

「そうだね。有用だ。それを本当に使役できているのならね」

 不審感だらけ。まだひよっこなのだから仕方ないと思うが、セラは若干の腹立ちを覚えずにはいられなかった。


「どうやって呪獣を使役獣にした? 戦ったのかい?」

「いいえ。彼の好意に甘えて」

「彼のことをここの召使たちに聞いてみたんだが、いい青年らしいね」

「はい」

「だったらなおさらやめるべきだ」

「彼が私を欺いていると」

「いいや、そうであったらいい。そうでないことの方がよほど問題だ」

「……」

「君はその魔物に親近感をいだいているんだろう」

「彼はいい人」

 セラは何度も懸命に訴えたが、訴えれば訴えるほど、メルレルの表情は難しいものになっていった。


「セラ=グレイス、魔物との契約というのは友情で結ぶべきではないんだよ。互いを道具としてみなすんだ」

「私たちのような契約があっても」

 その言葉に返ってきたのも、やはり否定だった。


「そうすれば、きっと君の魔物への矛先は鈍るだろう。最後の最後、大事な詰めのときに魔物に一片の同情を抱いてすべてを台無しにする」

「魔物の危険を忘れたわけではない」

 なおもいい募ると、メルレルはぐずる子供を相手にするような困った顔になった。


 セラは軽く唇を噛みしめる。どうして、どうして、どうして皆分かってくれないのだろう。私のいうことは、そんなに信用ならないことなのか。

「そちらのお嬢さんと話があるんだったね。私はこれで失礼しよう」

 セラには背をむけたメルレルがため息をついたのが分かった。


『お話は終わった?』

 こちらの言語に疎いはずのライラが、会話の内容をすべて知っているかのような訳知り顔で話題を再開する。

『あなたは何を企んでいる』

『人聞きが悪いわね。私はただ兄さんにもどってきて欲しいだけよ』

『群れに』

『そうよ。兄さんがどれだけ人間のことを想ったって、人間がそれに応えてくれるわけじゃない。それをあの分からず屋のおバカさんは全然理解していないのよ』

 ライラは苛立たしげに舌打ちし、セラに酷薄な顔をむけた。


『あなたの妹は人質に使わせてもらっているわ。兄さんが群れにもどってこないなら、あなたの妹を殺す』

『卑怯』

『卑怯? 卑怯なやり口で数多の魔物を殺してきたあなたがいえるセリフかしら?』

『望んだ体質ではない』

『そうね。でも、望まぬ体質を利用したのはあなたの意思よ』

 セラは言葉を詰まらせ、生半可な反論などしなければよかったと後悔した。


『その香りさえなければ、あなたを片手でひねり潰すことぐらいたやすいのに』

 琥珀色の目は本気だった。セラに対する共感や親しみといったものは一切なく、セラをただの障害物としかみなしていない。

『なぜ私とスーラの仲を邪魔しようとしなかった』

『いったところで、聞くような相手じゃないわよ。身体で分からせなきゃ分からないんだから』

『私がスーラを裏切ると』

『ええ。今、そうやって皆を止めもせず、狩りの準備をしているのがいい証拠じゃない』

『……』

 セラは口をつぐんだ。


 自分の優柔不断さがこの状況を招いているのだ。

 スーラと共にいたいという思いが皆の不審をあおり、皆の信頼を失いたくないという思いがスーラを追いつめようとしている。


 どちらに行けばいいのか分からなかった。皆の信頼を得たい、けれどもスーラを捨てることはできない。片方を捨てなければどうにもならないのに、それでもセラは迷う。


 どちらも捨てられないと言い張るだけの強さが自分にあればよかったのか。

 だが、もはやそう言い張れる機会は失われていた。あの時、クイルが決行の合図を出す前に、何もかもかなぐり捨てる覚悟でいえばよかったのに。長年被りつづけてきた『いい子』の仮面が外せなかった。

 深く長い嘆きのため息がもれた。あとどれだけ自分に嘘をつけば終わるのだろうかと。


『状況を見るに、兄さんは群れにもどってくることを了承したようね』

 力ずくで取りもどすような事態にはなっていないのだろう。森に異常はなく、平穏そのものだった。

『町の人たちを止めに行かなくていいの? もしこのまま兄さんを襲ったりなんかしたら、群れの連中が黙っていないわよ。群れはもう町の近くにいるし』

 ライラは軽やかに金色の鈴を鳴らした。

『特別な呪をかけた鈴よ。この鈴の音は千里を駆ける。ゾグディグの森を迷わず抜けられるってわけ』

 さあどうするの、とライラは問いかける。試すように。

 果たして自分の言葉を人々は信じてくれるだろうか。

 心に迷いがよぎったが、セラはすぐに町の人々の下へ取って返した。たとえ信じてくれなくても、いわなくては。自分が傷つくことを恐れていては何もできない。


「皆、待つ」


 さあ行くぞと意気込む人々をセラは後ろから呼び止めた。人々は「ああ」と、まだセラを信用している視線をくれた。

「どうかしましたか、お嬢さん」

「呪獣の群れが近くに」

「え?」

「スーラを襲う、危ない。呪獣、怒るかも」

 人々の戦意が動揺で薄れた。

 呪獣の報復が恐ろしいことは全員の知るところだ。


「でも、あれははぐれ者なんだろう?」

「しかし、呪獣は仲間意識が強いから」

「はぐれ者でもまずいか……」

 ざわめきにセラは安心しかけたが、その安心はすぐに壊された。


「皆、信じるな! そんなの嘘だ」

「ルイ坊ちゃん」

「騙されるな。この女は魔物と契約を交わしたんだぞ。魔物を助けるために嘘をついてもおかしくない」

 大仰な身ぶりで人々の注意を引き、ルイは声高に叫ぶ。

「嘘ではない。本当」

「はっ! だったらそうだっていう証拠を見せろよ!」

「ライラが見たと」

「どこで?」

「そこまでは」

「ほらみろ、知らないんだろう! この大嘘つきめ!」

 ルイは声を大にして叫び、森へと人々を促がした。町の人々から信頼されているオルガまでルイを支持したので、セラの言葉はまったく信じてもらえなかった。


「行こうぜ! 妹より魔物の方が大事なんて薄情な女だ」

「ルイ、待つ。ライラに聞く」

 ライラのことだから素直に答えてくれるとは思えないがとセラは懸念したが、その懸念は必要なかった。ルイは最初からセラのいうことなど聞いていなかったからだ。


「セラお嬢さんも、準備が終わったら来てくださいね」

 町の人々は気遣わしげに言い残し、森へと入っていった。セラは白くなるほど拳を握りしめ、静かに激情を抑えた。

 こうなったら誰よりも先にスーラを見つけて争いを回避しなければ。

 セラは右手首に手をやった。まだ大丈夫だ。契約の証。スーラの髪が編みこまれたこの紐があれば、探索の術でスーラを探せる。


『残念だけど、そうはさせないわ』

 突如、紐が発火して火の輪と化した。炎のリングに包まれた手首が焼け、鋭い痛みが体中を駆けめぐる。セラは歯を食いしばり、口を突いて出そうになる悲鳴を必死でこらえた。


『――ライラ! お前、何を!』

 無声の悲鳴に重なったのはスーラの叫びだった。マリーを肩に担いでいる。双方ともケガはなく、事は穏便に運んだようだった。

 穏便でなく無事でないのはライラとセラ。思いもよらぬ事態にスーラは面食らった。


『あら、お帰りなさい。遅かったわね』

 涼しい態度の妹を一睨みすると、スーラは眠ったままのマリーを床に下ろしてセラに駆け寄った。しかし、紐はすでにただの黒い炭となっていた。

「さすがに焼かれるという事態は想定してなかったな……」

 焼けただれた手首。スーラは激憤を溜めつつも、まずは火傷の治療に当たった。


『もう少し早く帰ってきてくれれば面白い事態になったのに』

 もう少し早ければ武装した町民たちとご対面だったはずだ。

『まあいいわ。どっちでも、ね……』

『ライラ! どこに行く気だ!』

『素直に教えるわけがないでしょう?』

 スーラの制止も空しくライラの姿は掻き消える。セラの治療も満足にしていないのに追いかけるわけにもいかず、スーラはその場で悪態だけついた。


「ごめん、とりあえず冷やすことぐらいしかできない」

 近くの部屋から奪ってきた水差しの水を氷に変え、布で包んで患部を冷やす。セラはケガに同情できないほど平気な様子だったが、スーラは自分が複雑骨折でもしたかのような表情をしていた。


「痕が残るかも」

 できることなら治癒の術を使いたかったが、スーラは小さな術のコントロールが不得手だった。今回のように一部分だけとなるとなおさら難しい。

 それでもやってみようかどうしようかスーラが悩んでいると、セラが火傷のことなどどうでもいように違う話をふった。


「スーラ、群れ」

「群れ?」

「もどる」

 マリーを連れて帰ってきたということは、やはり群れにもどるということなのだろうか。

「……もどるよ。でも、できるだけこの近くに群れを留まらせるつもりだから、ずっと会えなくなることはないと思う」

「そう」

 セラはかすかにまぶたを伏せた。

「セラさん――」

 何かいおうとスーラが口を開きかけると、森に遠吠えが響いた。

 一つ声が上がったかと思うと、それに応えるようにもう一つ。さらに一つ、二つ、三つ。どんどん増えていく。


「……怒ってる」

 スーラは眉間を険しくし、窓を開けて身を乗りだした。

「ライラのやつ、群れの連中を怒らせるような嘘をついたんじゃ」

「町の人、あなたを狩ろうと」

「用意周到だ」

 一瞬だけ頭を抱えると、スーラはすぐに窓から飛び出した。


「ここにいて。なんとか止めてくる」

「私も。町の人たち、止める」

 町の人々も今ので呪獣の群れが近くにいると実感したはずだ。セラのいうことを信じて狩りをやめてくれるだろう。


 だが、二人の行動はどちらも遅すぎた。


 蒼天に魔術で作られた巨大な光球が現れたかと思うと、それが町を襲ったのだ。




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