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1-15.

 グレイス家とリーベラス家。

 両家が婚姻のために本格的に会合したのは、セラがハンターになりたいといい出して二日後のことだった。


「この話に乗り気でないわけではないのですが、いやに突然でしたな」

「そ、そうですか? ちょうどよい頃合だと思ったのですが」

 リーベラス氏は二重アゴをさすりながら怪訝そうにした。

 それに対し、クイルは冷や汗を垂らしながら弁明する。


 リーベラス家にはセラがハンターになりたいという話は伝わっていない。女がそういうことをするのに眉をひそめる家なのだ。

 また、リーベラス家は御しにくいセラよりもマリーが跡継ぎだったらと思っている。それが知れたら「ではマリー殿を跡継ぎに」といわれるだろう。

 グレイス家の方がより強くこの婚姻を望んでいる。セラがハンターになりたいのだと聞いたら、やり手の商人であるリーベラス氏は足元を見てくるに違いない。


「セラさんはますます姉さんに似てきたわねえ」

 最新の流行だというドレスに身を包んだリーベラス夫人は、セラを品定めするようにながめた。食生活が豊からしく、リーベラス夫人のお腹は三段になりかけていた。

 リーベラス家は母方の親戚で、リーベラス夫人はセラの母親の妹に当たる。互いに行き来することもあるが、仲が良いとはセラは思っていなかった。


「肌が白くて本当にうらやましいわぁ」

 リーベラス夫人のねっとりと嫉妬の視線が絡みつく。

 セラはうんざりした。叔母はことあるごとにセラの容姿を褒めるのだが、その裏には嫉妬と敵意がべったりと張りついているのだ。

「ルイちゃん、よかったわねえ。こんなにきれいな奥さんがもらえて」

 ぞっとするような猫なで声。ルイはそれに対する不快を隠しもせずに、「ああ」とだけ返事をした。だが、リーベラス夫人は気にしない。そのままの調子でルイに話しつづけた。


 見合いはグレイス家で行われている。

 使いこまれていい色になってきているテーブル――リーベラス氏が物欲しげに鑑定しているテーブルだ――を挟んで座っていた。


 リーベラス氏はこの婚姻で地位を得ることを望んでいた。欲望で瞳の奥がぎらついている。

 その正面に座るクイルは、セラに対して多少の罪悪を感じつつも何事もなくうまく行くことを切望していた。祈るような顔つきをしている。

 リーベラス夫人はあまり乗り気でなさそうだが、より生活が豊かになるのならこの話に乗ってもいいと思っているようだった。我が物顔で椅子に深く腰かけ、召使に飲み物や菓子を要求している。

 ルイは仏頂面で未来の花嫁をにらんでいた。腕を組み、指先で腕を叩いている。

 対するセラは見合い相手の視線をきれいに流していた。何かを待つように、澄ました顔でじっとしている。


 婚姻に賛成なのが三人、反対が二人。

 だが、反対しているのは当人たちだけなので、政略結婚にはなんら問題はない。


「式は、そうですねえ……秋ごろがいいんじゃないですか?」

「いやいや、そんなのんびりとしないで。夏にしましょう」

「そうはいっても、婚礼衣装が縫うには時間がかかりますのよ」

「衣装は私の妻が使っていたものがまだ残してありますから、それで十分ですよ」


 話はトントン拍子だった。ルイの不機嫌そうな面相とセラのいつもと変わらぬ無表情にはお構いなしに段取りが組まれていく。


 話を聞き流しながら、セラはルイを観察した。

 苛々と腕を叩く指が視界の端にちらついて気になる。規則正しく腕を打つ指。爆発までのカウントダウンのようだった。


 一、二、三……セラは爆発までの回数を数えてみた。

 きっかり五十回でルイは爆発し、乱暴にテーブルを蹴った。


「あらあらあら、どうしたの、ルイちゃん」

 激しい物音にクイルたちは話し合いを中断した。

 リーベラス夫人がよく肥えて丸々とした指を伸ばすと、その息子はそれを乱暴にふりはらった。

「こんな白々しい話し合い、やってられるか。俺は帰るぜ」

 ルイが荒々しく立ち上がると、リーベラス氏が厳しい口調で諌めた。

「ルイ、待ちなさい。おまえに関係ある話なんだぞ。途中で退席するなんて許さんからな」

「そ、そうだとも、ルイ君。何が不満なのか知らないが、ここは落ち着いて。席について」

 おどおどとした様子でなだめるクイルを、ルイは鼻で笑った。


「おじさん、この家、獣臭いぜ」

「け、けもの……?」

 うちは動物なんて飼っていないはずだが、とクイルは辺りの匂いをかぐ。

「そう、獣臭い。このまえ来たときもそう思ったんだけどさ」

 ルイは耐えられないとでもいうふうに、手で大げさに鼻をおおった。


「この前というと、セラのお見舞いに来てくれたときだったかな」

「そう。あの赤い目の変な男がいたときだよ」

「ああ、スーラ君か」

「あいつ、獣臭いと思いません?」

「さ、さあ……そういわれても」

 突拍子な話題にクイルはまごついた。


「おととい、あいつ、森にいたんですよ」

「森に?」

「そうなんですよ。そしたらあいつ、何していたと思います?」

「何をしていたんだい?」

 ルイはセラを横目に見た。勝利を確信した笑みを満面にたたえて。


「獣に変身したんですよ」

「け、けもの?」

 目を点にするクイルの横で、セラは軽く歯噛みした。まさか見られていたとは。あの時、セラは風上にいた。セラを追ってきたスーラも風上にいた。それを目撃したルイは当然風下だろう。スーラはセラの香りで嗅覚が鈍っていた。気づかなかったのも無理はない。


「しかも、その傍にはセラもいたんですよ」

「セ、セラが……?」

「ええ、とても親しげに話してましたよ。抱きついた時には、俺も目を疑いましたね」

「だ……だき――?」

 クイルは己の耳を疑った。


「あいつ、絶対に魔物ですよ。でなきゃ、あんな赤い目ありえない」

「し、しかし、魔物だったらセラの香りに反応するだろうし、セラが近づけるわけが……」

「でも、近づいてましたよ。なあ、セラ?」

 ルイは喜悦たっぷりにセラを見下ろした。


「彼と一緒に森にいたのは事実」

「ほら! セラも認めましたよ!」

 ルイは歓喜に声を弾ませたが、セラは少しも動じていなかった。落ち着き払って、「しかし」とつづける。


「彼が魔物だとは初耳」

「おいおい、セラ、今さらとぼける気か?」

「とぼけるとは、いったいなんのこと。彼は魔術師。獣に変身できるだけ」

 動揺している父親を落ち着かせるために、セラはことさら淡々とした調子で話した。大丈夫、問題ないと語りかけるように。


「我が家の客人にそのような言い分は失礼。取り消してもらいたい」

「ふざけんじゃねえぞ!」

 テーブルに固い拳がふりおろされる。天板が悲鳴をあげた。

「ああ? じゃあ、なんだ? おまえは若い男と森で密会していたってことか? 若い男に抱きついたってことか? そういうことか? 婚前の女としては軽薄な行動なんじゃないのか? ええ!?」

「一場面だけをすべてを推測しようとは笑止。彼と森にいたのは、法術の修練のため」

「とぼけてんじゃねえ!」

「とぼける」

 反復し、セラはリーベラス氏を見据えた。ここからが勝負だ。


「白粉」

「お、白粉?」

 唐突な話題転換。リーベラス氏は当然面食らっていたが、セラは気にせず推し進めた。話の主導権を握るのは得意だ。


「リーベラス氏さん、白粉はどこから買い入れている」

「シャガールにある問屋からだ。そこに工場もあるからな」

「白粉としてできているものを?」

「そうだ」

「白粉の原料をご存知か」

「知らないが、それがなんだというんだ」

 小娘がでしゃばりおって、とリーベラス氏は苦々しく舌打ちする。


「白粉の原料は鉛白。鉛白は鉛の板を酢酸の蒸気にさらして作る。ところで、鉛の採掘は昔からダラスの鉱山が一番多い」

「そうだ。鉛といえばダラスだ。あそこの鉛は安く仕入れられる」

「そう。他のところでは、シャガールに届くまでに金がかかりすぎる。ところが、ダラスの採掘量は何年も前から減少傾向にある。遅かれ早かれ、白粉の値は上がる。今の売値では無理」

「他のもので補えばいい。君にいわれるまでもなく、そんなことは知っている」

 素人がよけいな口を挟むな、という態度だったが、セラはそれでも続行した。


「ロンバルト男爵」

「今度はなんだ」

「近頃、関税を上げたとか」

「ああ、あれか。あれなら大丈夫だ」

「なぜ」

「男爵様とは懇意にしているからな。一つ取引をして、今までどおりの値で通してもらっている」

「店の者に聞いた。商品の売り掛けを条件にしたとか」

「ああ、そうだ。それがどうした」

「代金の回収は」

「滞りない」

「本当に」

「本当だ!」

 リーベラス氏が怒鳴るが、セラはやめない。


「近頃、マギーの店が潰れたのをご存知」

「ころころ話題が変わるな。知っているに決まっているだろう」

「その原因は、叔父さんは知らない」

 予想どおりリーベラス氏は首をふった。大店の集会の際、ちょうどリーベラス氏はここで席を外していた。後日聞いたこともないようだ。

 一見叔父とは無関係に思えたこの話題。それが実は叔父と繋がっているのだから、人生というのは分からない。


「マギーの店もおじさんと同じく、男爵と売り掛けを条件に関税を元のままに」

「ん? そうだったのか?」

「そう。けど、売掛金が焦げついた」

「ふん、そうなのか」

「最初はほんの少し焦げついていただけ。それがどんどん膨らんでいった」

「私は男爵が相手でも容赦はしない。ちゃんと取り立てている。心配無用だ」

「本当に」

「本当だ!」


「では、一つ聞く。叔父さんの家には東洋のすばらしい皿が何点かあった。前行ったら、それがなくなっていた。それはどこに」

「男爵様のご友人が、そういうものに興味があると聞いたから……」

「あげた」

「ま、まあ、そういうことだ」

 ロンバルト男爵は名門貴族。機嫌を取っておいて損をする相手ではない。


「今、他に何か要求されている物は」

 何もかも見透かした物言いに、リーベラス氏は言葉を詰まらせた。

 リーベラス氏は良くも悪くも上昇志向だった。頭には富と地位のことしか詰まっていない。

 それが悪いとはいわないが、丸見えなのが問題なのだ。漬けいる隙がありすぎる。


「叔父さん、男爵はなかなかのやり手と聞く。気をつけたほうがいい」

「君にいわれる覚えはない!」

 痛いところを突かれたリーベラス氏は息子そっくりの怒り方をした。

 乱暴にテーブルを蹴り、天板を拳で叩く。


「まったく、かわいげのない娘だ! 不愉快だ! 私は帰るぞ!」

「ま、待ってください、リーベラスさん!」

「あなた! 待って」

 追いすがったクイルは肘打ちを食らい、さらにリーベラス夫人に張り倒された。紙のように頼りなく二、三歩よろめき、床に尻餅をつく。


 セラは胸をなでおろした。

 父には申し訳ないがこれで縁談は流れるだろう。

 人様の家先でこそこそと情報収集をし、店員にあの手のこの手で情報を流させたおかげだ。


「よし、完璧」

「おい! 何が完璧だ! 勝手に話題を逸らすんじゃねえ!」

 ルイが咆えると、セラは「おや、まだいたのか」という顔をした。


「叔父さんはお帰りになった。あなたもどうぞお帰りに。出口はあそこ」

「ふざけんな!」

 セラの胸倉をつかもうとすると、まず召使が割って入ったが、ルイの腕力に負けてはね飛ばされた。

 次に騒ぎを聞きつけてやってきたスーラが止めに入る。


「暴力はよくない」

「てめえ……!」

 ルイはスーラにつかまれた腕をふろうとしたが、びくともしなかった。両者の腕の太さは一回りほども違う。だが、いくらルイがあがいても徒労に終わった。


「この……っ」

 ルイは自由な右腕を使ってスーラに殴りかかったが、逆に両腕を拘束されるはめになった。

 顔を真っ赤にして暴れると、スーラがその身体を自分の方へ引き寄せた。腹に膝蹴りが入る。


「がっ……!」


 前に倒れこむ勢いでダメージは倍増。身体をくの字に折り、ルイは咳きこんだ。

「やりすぎた、かな」

「いや、まったく」

 スーラはぽりぽりと頭を掻いたが、セラは容赦がなかった。


「おまえら……覚えてろよ!」

 ルイはテーブルで自重を支えながら、セラに指を突きつけた。

「二人そろって破滅させてやる!」

 憎悪のたぎった視線を浴びせかけ、ルイは踵を返した。足元がふらついている割に足音は大きかった。精一杯の虚勢なのかもしれない。


「俺の正体、ばれちゃったみたいだけど、大丈夫なの?」

「使役獣といえばいい」

 セラは肩の力を抜き、右腕の紐に手をやった。


 ひとまず一難去った。

 しかし、まだまだこれからだ。




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