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1-13.

「……何その顔」


 ライラは千年も前から専制君主をやっていますといったふうで椅子にふんぞり返り、ゆるみきった雰囲気を発散しているスーラを睥睨した。

 その視線たるや、常人であれば「申し訳ございません女王様。貴方様に比べたらわたくしめは卑しいサルでございます。ゴミです。インク壺のフタにこびりついたインクのカスです」と謝り倒しかねない威力だった。


「セラさんが了承してくれたんだよ、使役獣にしてもいいって」

「……は?」

「これならセラさんと一緒にいられるし、人間に狩られる心配もなくなる」

 もちろん、スーラは人間に負けるほど弱くない。いや、負けられるほど手加減できないといったところだろうか。狩られることによって命を落とす心配はしていないが、スーラは人間を傷つけるのが嫌いなのだ。


 甘いというか情けないというか。ライラは「情け深い考えに感動のあまり涙が出るわ」と皮肉を吐き捨てた。


「どこから突っこんだものか迷うけど、あの人、婚約者らしき人がいるんじゃなかったの? そんな悠長なことしていたら盗られるわよ?」

 いわれてスーラは腕を組み、首をひねった。

「なんというか……セラさんに無理をさせるようなことはしたくない。魔物に惚れられたなんて噂が立ったら、世間への体裁が台無しだ」

「魔物らしくないわね。人間ごときを気にするなんて」


「自分が魔物らしくないっていうのはよくわかってる。そして、それでも俺は魔物なんだってこともね。セラさんは人間だ。俺は魔物。その違いを強引に埋めようとすれば、たぶん悲しい結果になる」

「矛盾しているわよ。自分が魔物だって正しく認識しているなら、さっさと口説いて駆け落ちしなさいよ。魔物らしく」

「したいさ。でも、駆け落ちすることが自分の気持ちを貫く唯一の方法でもないだろう?」

「……」

 ライラは一瞬だけ、刹那の間だけ複雑な表情をした。


「バカじゃないの? それでおめおめと負け犬になるつもり?」

「バカでいいさ。負け犬でもいい。その勝負に勝つことにどんな意味がある」

「自己満足だわ」

「愛っていうのはいつだって自己満足なものだよ。つねに一方通行だ」

 スーラはゆったりと椅子の背にもたれかかる。ライラのバカにしきった態度は意に介していない。


「どこにそんなに惚れたのよ」

「さあ。自分でもよく分からないけど、大丈夫そうに見えてあんまり大丈夫じゃなさそうなこところかな。放っておくとどんどん深みに嵌まって行きそうで、見た目より危なっかしい感じがするんだ。俺には、だけど」

「で、自分が深みに嵌まっていることに後から気がついて、でもまあいいかで周りに流されていきそーな感じがするんでしょ」

「すごいな、ライラ。どうしてそこまで――」

 スーラは首を傾げた。どこかで聞いたようなセリフだ。


「兄さんの言葉よ。育ての親、こんな感じだったっていってたじゃない」

「ああ、そういえばそんなこともいったっけ……今気がついた。思えば似てるな、あの人と」

「その人のことも放っておけないタイプだっていってたわね。おんなじ人間だから、重ねているんじゃないの? 兄さん、たんに世話焼きが過ぎているだけじゃない?」

 本当に好きなのかと疑われ、スーラは苦笑する。

「感情の区分ぐらいちゃんとできてるよ」

「どうだか」

 ライラは小生意気に肩をすくめた。


「ところでライラ、お前、契約の結び方を知らないか? 魔物と人の」

 使役獣になるためには契約を結ばなければならないらしいが、その内容についてスーラは無知だった。互いの間で密約を交わすとか、証が必要だとか小耳に挟んだことがあるが、明確なことは不明だった。


「ああ、簡単よ。これをあの人に渡して、つけてもらえばいいの」

 ライラはどこから取り出したのか、小さな紙袋をスーラに押しつけた。

「中身はなんだ?」

「べつに変なものじゃないわ。人に危害を与えるようなものでないことは確かね。あ、兄さんは中を見てはだめ。つけてもらう時も目を閉じているの。ちなみに、獣姿だとなおいいわ。人間の姿でもそれはそれでいいかもしれないけれど。わかった?」

「わかった。しかし、よく知っているな、そんなこと」

「たまたまよ、たまたま。いってらっしゃい」

 上機嫌な妹に送り出され、スーラはセラの部屋にむかった。


「ふふふ、おばかさん」

 ライラは心底楽しそうに口の端をゆがめた。


 袋には二つ物品が入っている。

 一つは紐。

 もう一つは、首輪。


 ブツを受け取ったセラは、それらを手のひらに乗せたまま身体を強張らせ、まだかなあと目をつむってお座りしているスーラを見、再び手のひらに視線を落とし、

「……」

 首輪の代わりにしっぽにリボンを結んだ。


* * * * *


 ――と、そんなふうに二人は数日の間たあいなく戯れていたが、やることはしっかりやっていた。

 ハンター試験のためにセラはスーラに術の稽古をつけてもらい、数学も教授してもらった。


 おかげでセラはオルガに意趣返しをすることができた。

 当てられても白墨はよどみなく黒板の上を走り、即刻解答をたたき出した。


「もどっても」

 許可を求めると、オルガは百眼の魔物アルゴスのように注意深く解答を検分し、それから苦々しげに「もどっていい」と許しを出した。


 悠々引き返すセラに、受講生たちは己の目を疑った。数式にミスは一切見当たらない。重箱の隅をつつくようなまねもできないほどで、完璧すぎて嫌みったらしいほどだった。

 それもそのはず。セラは嫌味全開でその答えを書いたのだから。


「近頃、急にできるようになったね。いい教師でも見つけたのかい?」

 講義の後、セラを自室に招いたメルレルは、嬉しそうにしながらカップを差し出した。中身は茶でなく白湯だが、花の塩漬けが浮かせてあって、無彩の世界に華を添えている。質素堅実を忠実に守るメルレルらしいもてなしだった。


「ハンター試験も受けてくれるなんてね。今日はお祝いだ」

 メルレルは顔のしわを深くした。

「どういう心境の変化があったのかな?」

「……まあ、いろいろと」

 スーラのこととかスーラのこととかスーラのこととか。


「ご家族は知っているのかい?」

「いいえ」

 セラが首をふると、メルレルは案じるような面持ちになった。

「いったら、絶対反対される」

「じゃあ……」

「受かる保証もない。受けるといっていたずらに騒ぎを起こしたくない」

「わかった。では、私も黙っているとしよう。何はともあれ受ける気になってくれて嬉しいよ。前々からもったいないと思っていたんだ、ハンターライセンスを持っていれば褒賞が出るような魔物を、君が退治していたから」

「そうだったとは」

 なんとも惜しいことをしてきたものだ。


「試験の申込書と推薦状、調査状は私が書こう。くれぐれもしばらくは大人しくしているようにね。一応、ハンターギルドの調査も入るから」

「了解」

「何か聞きたいことがあったら、いつでも聞いてくれ。できる限り力になる」

「ありがとう」

 礼をいうと、メルレルはふしぎそうに軽く目を見開いた。


「何か」

「少し、表情が和らいだんじゃないかい?」

「自分ではそうは思わない」

「そうかい? 私の思い違いかな」

 メルレルは白湯を一口ふくむと、庭をながめて一息ついた。


「もうすぐ、恵花の月だね」

「……はい」

 庭では、まだ固い蕾のスミレが風に揺られていた。

 セラは花を見つめながら遠くを見る。ずっと昔、まだ子供だった頃のことを。


 ――姉さん、セラ姉さん!


 風に梳かれて軽やかに揺れる金の巻き毛に、ほのかに色づいた白薔薇のような頬。スミレを片手に自分の名を呼ぶ愛しい弟は、もういない。


 ――ほら、セラ。笑って? 愉快な気分になるわ。


 白く細くたおやかな指の持ち主だった母親。顔はよく覚えていない。温かい手の感触だけを記憶している。

「命日の日には、私も参らせてもらうよ」

「ありがとうございます、メルレル神官」

 礼をいい、セラは席を立った。だらだらと雑談をして随分と時間を潰してしまった。そろそろ退出するとしよう。

「それでは、よろしくお願いする」

「私が力になれるのはこのくらいだ。お安い御用だよ。ああ、そうそう、これを」

 渡されたのは、去年と一昨年の試験内容を記した紙だった。

「毎年少しずつ変わっているが、試験対策を立てる参考になるだろう」

「助かる」

 小脇に抱えた本と本の間に紙片を挟み、セラは足取り軽く廊下を進んだ。今日は帰ったらマリーに帳簿のつけ方を教え、その後スーラと勉強だ。


「――失礼、オルガ神官」

 浮かれて注意力散漫になっていたセラは、運悪く廊下でオルガとぶつかった。オルガは敵意をあらわにしたが、口では「こちらこそ」と形ばかりの謝辞を述べた。


「何か落ちた」

 オルガの落し物を拾おうとすると、オルガが素早く紙を自分で拾った。奪い取るように。

「それは、大神殿の」

 封蝋の印章に見覚えがあった。そろそろ人事の時期だ。左遷されたオルガにも、ようやく運が向いてきたのだろうか。


「おめでとうございます」

 セラは一欠けらの感情もこめずに祝いの言葉を口にしたが、それは大きな誤りだった。オルガが呪い殺しそうな目でにらんできたのである。


 しまった。これは悪い知らせの方だったのか。


「ごきげん、よう」

 少し詰まりながら、セラはそそくさとその場を後にした。うかつなことをしたものである。

 しかし、もう一つのうかつな行動に比べたら、これはささいなものだった。


「……試験?」


 去り際にセラが落としていった紙を拾い上げ、オルガは怪訝そうにした。

 眉根を寄せて紙を読みすすめ、事態を把握する。視線が下へ下へと送られていくうちに、オルガの訝りは驚きへと変わった。予期せぬ朗報に対する驚きへと。


「なるほど……」


 傷つけられたプライドはたちまち憎悪に変貌する。


「領主殿に報告するのは善意というものだろう」

 オルガは口元に紙片を当て、唇だけで笑った。




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