On Your Mark
「お疲れ様、また明日。」
ビル警備の夜勤を終え、
一ヶ月前からこのビルに配属された、初老の藤原に声を掛けられて、
カズマもまた明日、と返事をしてビルを後にした。
時間は世間の出勤風景も薄れた午前10時。
カズマは自販機で買った缶コーヒーを飲みながら、世間の流れと逆行するように帰路についた。
コンビニで朝食を買った後、
カズマは昨晩届いたケータイのメールを見返しながら歩き始めた。
その画面には、
数字の羅列がびっしりと書き込まれているだけだった。
カズマは普通の文章と同じようにその暗号化された文字を読んだ。
「二次検査結果
異常は見られず
ただし、精密検査の必要あり」
その報告に、カズマは違和感を感じていた。
カズマの表向きの仕事は警備員であるが、
裏では「殺し」や「脅し」の仕事もしている。
殺しを専門職としている人間は少ないが、
国によっては秘密警察や情報機関が政治的目的で殺人者を養成し、
公務員として働いている者もいる。
カズマも、形としては「準公務員」のような生活を送っていた。
カズマの請け負う仕事の依頼主は、ヤクザもいたがそのほとんどが行政機関からのものだった。
カズマと依頼主の間には仲介者がいるので、ハッキリどこの行政機関かはわからないが、依頼内容にそういった臭いが嗅ぎ取れるのだ。
今回の依頼は「殺し」だった。
「殺し」の対象者の一次検査、
ようは身辺調査なのだが、これは問題なかった。
対象者の名前は、
森田雅明。32歳。
15年前、森田を含む4名の少年が、
女子高校生をレイプ後拉致、仲間の自宅2階の居室に監禁した。
集団によるレイプ、シンナーを吸わせ、被害者の脇腹や足などを多数回にわたって手拳で殴打。
全身が血だらけになり、
顔が膨れ上がり、目の位置がわからなくなる程の殴る蹴るなどの行為を繰り返した。
真冬の時にベランダに裸で放置、
顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を20日間にわたり行い、
被害者は死亡した。
翌日、被害者の死亡に気づき、死体の処理に困った森田達は、
遺体を毛布で包み旅行バックの中に入れドラム缶に入れてコンクリート詰めにして、
東京の埋め立て地内に遺棄した。
同年、加害者の少年の一人が別の事件で逮捕された。
その際の取調中の供述により、被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚した。
森田ら4名は刑事処分相当として東京家庭裁判所から検察庁へ送致され、刑事裁判にかけられた。
東京高等裁判所の判決は、主犯格だった森田は懲役15年、
他の少年はそれぞれ懲役5年、というものだった。
服役した森田は2年前に仮出所したが、
昨年強姦殺人未遂事件の容疑がかけられていた。
起訴には至らなかったが、警察は要注意人物としてマークしていたのだ。
以上のような概要であり、仕事を受ける基準からすれば適正ではあった。
そのため二次検査で、殺害過程までに問題があるかのチェック結果を待っていたのだった。
「異常は見られず
ただし、精密検査の必要あり」
精密検査……。
…仕事上の問題は無し。
…ただ何かが気にかかる。
それが検査屋の回答だった。検査屋と直接会ったことは無いが、
カズマとは長い付き合いであり、毎回詳細な報告をしてくれる。
その検査屋にも、違和感の正体は分からないようだ。
「報酬はいいんだが…。
辞めておくか…。」
そう言いながら、
カズマはケータイのボタンを打ち込みはじめた。
画面には数字の羅列が並んでいった。
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