STEP!
香織が車で目覚めた時、
アキラはガラス越しに夜空を見上げていた。
先程までの出来事が夢だったのではないかと思うほど、
アキラの顔は穏やかだった。
母親もよく空を見上げていたなと思い出して、
香織もガラス越しに見上げてみる。
街の明かりが夜空を照り返していて、
星の光を打ち消していたが、
いくつかの星は、その輝きが消えそうになりながらも瞬いていた。
「お嬢さん、起きたかい。」
藤原がバックミラー越しに声を掛けた。
「あ、はい……。えっと……。」
「職場の同僚の藤原さんだ。
この人が俺たちを助けてくれたんだ。」
突然現れた見知らぬ顔に戸惑っている香織に、
アキラが説明した。
「そうなんですか。
ありがとうございます、
藤原さん。」
香織がお辞儀をした。
「イヤイヤ、大したことはしてねえからよ。」
藤原が頭を掻きながら、
照れ臭そうに笑った。
公安一筋でやってきた藤原にとって、
アキラの監視・追尾も単なる任務でしかなかった。
しかし、この一ヶ月間アキラの情報を収集し、
表面上にしろ直接アキラと会話を交わす中で、
藤原の感情が少なからず揺れ動いていたのだろう。
でなければ、わざわざ危険を冒してまでアキラ達を助ける義理は無かった。
藤原の年齢を考えれば、
公安で部下を使う立場でもおかしくないが、
その辺の義理人情が出てしまうところが出世に響いているのかもしれない。
このあと、藤原には香織の保護も頼んでいたので、
アキラは藤原に感謝してもしきれない思いでいた。
「香織。
俺は一人で行く所がある。
おまえはこの後、藤原さんについて行け。
……その前におまえに話しておくことがある。
おまえの母親のことだ。」
「…はい。」
香織は静かに頷いた。
「俺とおまえの母親、西村冴子は昔、同じ情報屋として働いていたんだ…。」
15年前、アキラが入れてもらった情報屋で既に働いていたのが、
真田真弓、
香織の母親の西村冴子だった。
アキラよりも半年早く働いていた真田真弓は、
その情報屋の中でかなりの成果を挙げていて、
情報屋としてはかけ出しだったアキラは真弓と組んで色々と教わることが多かった。
馴染みの情報屋からの紹介で入ってきたという真弓は、
既に情報屋としての確かな技術を持っていた。
アキラは真弓に尊敬の念すら覚え、真弓から熱心に技術を学んでいった。
真弓もアキラの熱心さに惜しみ無く自分の持つ技術を教えた。
そんな二人が付き合い始めるのに、
時間はかからなかった。
お互いの仕事柄、休み無しで働いているようなもので、、
一緒にいられることが唯一の利点であった。
月並みでもいい、
そんな幸せを真弓に与えることができているのだろうか?
不安に思ったアキラが真弓に尋ねたことがあった。
真弓は微笑みながらアキラを見つめて答えた。
「こんな幸せが、
一日でも長く続いてほしい。」と。
一年が経ち、アキラも情報屋としてやっていけるようになり、
真弓とも幸せな時間を過ごしていた。
そんな時だった。
あることをきっかけに、
真弓は突然、アキラの元から姿を消したのだ。
その頃、アキラは真弓、
そして同僚の田崎陽平と共にある事案を扱っていた。
田崎陽平は同じ情報屋で5年以上働いていて、
特に政治関係の情報に精通していた。
その事案の内偵を進めていた時、
アキラは、ある政治家に関する証人と接触することができたのだ。
その政治家とアメリカ外資系企業との癒着を証明することができる大事な証人だったが、
真弓がアキラの前から姿を消したその日に、
その証人はビルから飛び降り自殺した。
証人がその政治家の関係者に殺されたことはすぐに掴めた。
アキラ達三人で内密に進めていた事案であったため、
真弓が何かしら関係しているのは明らかだった。
依頼は取り消され、
アキラと田崎陽平は責任をとる形で証人を殺した相手を探し出して、
証人と同じようにビルから転落死させた。
アキラは真弓の行方を追ったが、足取りは掴めなかった。
その後、
真弓が在日CIAのエージェントで、
情報屋のスパイとして送り込まれたことがわかった。
「真弓が姿を消した日、
真弓は俺宛ての手紙を残していった…。
その手紙には
ひとこと
『ごめんなさい。』
と、書かれていたんだ…。」
香織は何も言えず、
ただ黙って聞くことしかできなかった。
それを見て、アキラは優しく微笑んだ。
「俺や藤原さんのように、
真弓は組織の一員として、命令された仕事をしただけだ。
もちろん、
行動には責任を伴うが、
俺は彼女を恨んだりはしてない。
アキラはそこで、
言葉を詰まらせながらも
話を続けた。
「ただ、その時、俺は…
真弓が突然いなくなったことが、
ただ……
ただ
悲しかったんだ………。」
うつむく香織に、
アキラは今度こそ笑顔を向けて言った。
「だから、
真弓が俺におまえのことを頼んだことがわかった時、
嬉しかったんだ。
俺になら任せられる、信じられると思って、
おまえの母さんは俺に
おまえを託したんだからな。」
「………うん。」
香織は静かに頷いた。
夜空色の瞳が
涙で滲んでいた……。
それからしばらくは
車内に
エンジン音だけが
響いていた。
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