CONTACT
午後9時未明、
森田雅明は、仕事を終え工場を後にした。
自宅のアパートは
直線距離で200メートル先で、いつも徒歩で通勤していた。
森田は、決められた規則を守るように、この日もいつものコースを歩いていた。
住宅街ではあったが、市道の細い道ばかりで街灯も少なく、薄暗い。
森田が道半ばまで来た時だった。
突然、森田は民家を横切り全力で走り出した。
すると、暗がりの中に森田とは別の影がいくつか浮かび上がってきた。
森田が塀を上り、民家の裏庭を抜けて別の路地裏へと出た時だった。
駐車場が目の前にあり、
その車の一台がライトを点けて、森田の姿を照らし出した。
車は急発進し、タイヤを軋ませながら森田の脇に止まった。
「乗れ!」
それは、アキラの声だった。
森田が倒れ込むように後部座席に乗り、アキラはすかさず車を発進させた。
その途端、ヘッドライトが二人の男を照らし出した。
二人とも既に銃を抜いている。
バックミラーにも何人かの人影が映っている。
「香織、伏せてろ!」
アキラは叫びながら、遮る二人を揺さ振るようにしながら直進する。
前の二人が銃弾を放つが、直進してきた車に気をとられて標準が定まっていない。
一発はボンネット、もう一発はサイドミラーに当たり、弾け飛ぶ。
猛スピードで直進した車に、
男の一人がボンネットに乗り上げる形でぶつかり、
その上を転がるようにして脇道に滑り落ちた。
前方を抜け脱出したアキラだが、入り組んだ住宅街をなお猛スピードで進む。
倒れ込んでいた森田が、左右に揺れる車内でどうにか体を起こすと、
アキラの肩越しから銃口がこちらに向けられているのに気付いた。
アキラは右手でハンドルを切りながら、
左手に持ったグロック17を肩で固定するようにしていて、
銃口は常に森田の頭に照準を合わせている。
「手短に済ますぞ。」
アキラは、前方と森田の映るバックミラーに目まぐるしく視線を走らせながら口を開いた。
「わかっている。」
森田はシートに体を埋めた。
アキラはここに来る直前、あらかじめ調べていた森田のケータイに電話をかけてコンタクトを図った。
森田が、アキラではないにしろ誰かからの接触を待っていたのはわかったので、
アキラは盗聴の可能性を考え、必要最小限の情報を電話で森田に伝えた。
すると森田は交渉に応じてきたのだ。
その電話の際、先程の男達の素性も明らかとなった。
奴らは、指定暴力団「海江田組」の持つ情報機関だった。
ようはアキラの同業者なのだが、
アキラたちの情報機関とはほとんど接触したことが無かった。
「海江田組」は戦後、政治家との関係を強めていく中で巨大化していき、
現在関東から東北を勢力圏内にするまでになっていた。
政治家、とくに戦後から常に与党として政権を握ってきた民政党の議員と繋がりが深く、
民政党内の「若林派」と「春日派」の対立が高まりだした頃からは、
「若林派」は「海江田組」との関係を強めた。
「春日派」の議員で他殺されたり、自殺に追い込まれた者の影に、
「海江田組」が見え隠れしていたことは、この業界の周知の事実だ。
「…俺はハメられたんだ。」
揺れ動く車内で、森田は語り出した。
「15年前、チンピラのような生活を送っていた俺達は、
自然と「海江田組」と関わりを持つようになった。
最初は詐欺まがいの仕事の手伝いみたいなものだったが、
しばらくすると、売春の斡旋を頼まれるようになった。
騙して連れ込んだり、女をさらって薬漬けにして引き渡したりもした。
そんな時に、あの監禁を頼まれたんだ。
彼女は俺達が斡旋した女だったが、
常連の上客とその女が揉め事を起こした。
それで女の監禁を指示され、
経過状況をその常連に報告し、女の写真を渡したりもしたんだ。」
そこで森田は一息ついて、自嘲気味に話しを続けた。
「結果はご覧の通りブタ箱行き。
サツと海江田組もズブズブの関係で、
たとえ俺が海江田組の事を話したところで、結果は変わらなかっただろうがな。
俺がシャバに出た後も、
海江田組の連中が監視しているのはわかっていた。
昨年、俺を容疑者に仕立てたレイプ未遂の事件も俺への脅しだった。
……そんな時だった。
西村冴子が接触してきたのは……。」
「お母さんが……!」
必死に座席にしがみついていた香織が、
うめき声のように呟いた。
「西村冴子は、俺の身柄の安全を保証する代わりに、
俺の証言を取り引き材料に提示してきた。」
「証言?」
アキラは眉をひそめた。
「15年前のあの監禁で関係している、常連客の証言だ。
その常連客は当時20代だったが、
父親が民政党の政治家で、「海江田組」とも繋がりがあったため、
売春組織と関係を持ったようだ。」
アキラの頭の中で、新たに加えられたパズルのピースがはめられていく。
「なるほどな。
そして、
そいつは父親の地盤を引き継いで、民政党の議員となった。
しだいに権力を握っていく過程で、過去の目障りなものを消したくなった、
ってところかな?」
酷い揺れのなかで森田が笑う。
「その通りだ。」
車はまだ住宅街の路地を突っ切っている。
アキラはかなりの情報を入手したが、やはり謎なのが西村冴子だった。
「西村冴子は、何者なんだ?」
「詳しい事は俺もわからない。
…ただ、かつて在日CIA だったと語っていた。」
「……在日CIAだと?」
CIA、アメリカ中央情報局は大統領の直轄組織であり、
米軍やその他米国政府内の情報機関からは独立した存在だ。
国務省や連邦政府がおおっぴらに関与する事の出来ない“裏稼業”を行なう事から、
「見えない政府」「もう一つのアメリカ政府」などと呼ばれることもある。
他国の政権中枢と反政府勢力の双方に接触して、
政策決定をコントロールする分割統治方式を得意としている機関でもあった。
スパイを取り締まる法を持たない日本はスパイ天国であり、
政財界やマスコミの中にも日本人のエージェントが多数潜伏していた。
CIA……
アキラの中に、
香織が「黒岩アキラ」と口にした時と同じような感覚が甦り、
いくつもの封印していたパズルのピースを浮かび上がらせ、
繋げていく……。
「まさか……!」
アキラが呟いた。
その時だった。
十字路を右折しようとした時、左折側からヘッドライトを点けないトラックがアキラ達の車に突っ込んできた。
「キャッ、!」
助手席でバウンドする形になった香織が叫ぶ。
森田は座席下に突っ込むように転がり落ちた。
トラックは車の左後部に激突したが、アキラはスピードを落とさず、ハンドル操作で体制を立て直そうとする。
トラックのヘッドライトが点き、
獲物を追う眼光よろしく、アキラ達の車を照らした。
車はタイヤを軋ませながらも、まるで氷の上でふらつくように、激しく左右にぶれている。
それを嘲笑うように、なおもトラックはぶつかってきた。
ハンドル、アクセル、ブレーキ、サイドブレーキ、……
両手両足をフルに使って、アキラは車を立て直そうとする。
相手は二人……!
その間も、アキラはバックミラーに映るトラックに目を走らせる。
その時、
トラックの助手席のサイドガラスの辺りから腕が伸びていて、
銃口がこちらに向けられた。
マズイ……!
アキラがそれを確認すると同時に、
バンッ!!
というタイヤのバーストした音が響いた。
右のリアタイヤを失い、車の後部が左に持っていかれる。
「くっ……!!」
アキラは必死に車の後部を戻そうとするが、
コントロールを失った車は右の側壁に斜めに激突し、そのまま壁に引きずられるように進む。
「森田っ!!ドアを開けろ!!」
言いながら、アキラは、
気を失っている香織にかぶさり、助手席のドアを開ける。
車はT字路手前の電信柱に激突し、
アキラは香織を抱え込むようにして車外に放り出された。
森田がドアから飛び出すのと同時に、
トラックの二人が銃口を向けているのをアキラは確認した。
静寂の中に
銃声が鳴り響いた。
銃弾は森田の身体を貫き、森田は倒れ込んだ。
「森田っ!!」
香織に相手の照準が合わないようにしながら、
アキラはグロック17を構えトリガーを引いた。
相手の銃声と重なる。
銃弾は運転席の男の腕に当たり、体を大きくのけ反らせたが、
アキラも肩に銃弾を浴びていた。
痺れた痛みが肩に走り、アキラは追撃に遅れをとった。
助手席の男の銃口が、
アキラの頭に照準を合わせる。
その時だった。
T字路から現れたワゴン車がアキラの目の前で急停車し、
運転手がトラックの男を銃撃した。
相手はすかさず身を隠し、銃弾は外れた。
「早くしろ、
弾切れしちまう!」
なおも銃弾を放ちながら、運転席の男が叫ぶ。
「あんたは……!」
アキラは驚きながらも、すぐに香織を担ぎ、開けられたドアから後部座席に滑り込んだ。
ワゴン車はすぐさま急発進し、加速を上げて住宅街を走り出した……。
■