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「青い鳥」(文学フリマ東京41出展作品改定前版)

作者: 平 修
掲載日:2026/02/14




某日、千葉県の北西部の街の夕暮れ。

僕はその日アルバイトを辞めた。

齢三十にもなろうとしている僕は安くて度数の強いアルコールで酔いながら何をするでもなく壁にもたれて窓の外を見ていた。

家賃もこれで払えなくなる。

 無様な自分にあきれ返って時間が経ってぬるくなった缶チューハイを飲もうとする。六くらい買っておいたが気付いたら既に残りも無い。

中身のない缶を握りつぶして適当に放り投げ僕はそのまま床に大の字になった。

 生活感しかない六畳一間のおんぼろ部屋で僕は昔を回想する。



◇◇◇



 僕が彼女の存在を認識したのは高校一年生の春、入学式の日だ。

 窓辺の席にいる彼女はどこか陰があって無口だった。

 各々が周りの席のクラスメイトと交友関係を作る中で彼女は窓の外を見ていた。

彼女の雰囲気はたとえて言うならドライフラワーだ。

美しいのに朽ち逝くような陰りがある。

入学式の彼女の自己紹介は短く簡素だったがその顔立ちや雰囲気は強く印象に残っている。

一目で僕の目を引いた彼女は儚く慎ましかった。

人を観察するといろいろな個性が見えてくる。

制服の着方、席の座り方。頭髪の色や髪型。

それらを見る中で彼女だけは異質な感じがした。

一見してほかの生徒よりも綺麗な身なり。なんの個性もない模範的な装いだった。その横顔は酷く憂いを帯びている。

彼女の身の回りだけモノクロ写真の様に暗く見えた。

それが彼女、花実(はなみ)悠里(ゆうり)という彼女へと感じた第一印象だった。



◇◇◇



一方で僕、沢村(さわむら)琢磨(たくま)も入学式の自己紹介で趣味は文筆と言って注目を集めた。

調子に乗って蛇足(だそく)で人間観察も趣味と付け加えた瞬間から周囲はかなり冷ややかな目で僕を見ていた。

 正直に人を観察するのが楽しいというのはよくなかったのだろう。

 クラスメイト達は僕を危険人物として扱った。声をかけても最初のうちは挨拶していたがそのうち無視されるようになった。

もともと空気の読めない僕は中学でいじめにあっていた。

高校に進学したら心機一転やり直そうと考えていたものだから僕の計画は進学一日目にして潰えた。

僕は窓の外を見てそれから落胆してうつむく校庭の桜が目障りなぐらい綺麗(きれい)だった。



◇◇◇



 そこから数週間が経ち、クラスメイトはいくつかのグループに分かれ始めた。

 女子のグループがいくつか、不良グループが一つ、スポーツ男子の仲良しグループなどそれぞれの似たような個人個人が集まって群れていた。

昼休みになるとその集団はそれぞれ集まってお喋りをしていた。

グループによってそれぞれのすごし方があるらしい。

 僕はどこにも属さないという枠に属して賑やかな教室を後に、フェンスと時計台がある屋上に行っていた。

毎朝母に持たされる弁当を包みから広げて、持参した水筒に入ったお茶を飲みながら昼休みを過ごす。

 僕は毎日スマホを取り出しては食後に小説を執筆していた。

 いつか何かの賞に応募して物語を書く仕事に就けたら。

なんという夢にするにしてもはっきりしない漠然とした願望はあった。

 この瞬間だけが僕の学園生活で生きた心地がしていた時でもあった。

雨の日はどうしていたかというと学校の旧校舎につながる渡り廊下で昼食をとっていた。

一人だけの空間、静かな世界。

たったこれだけでも僕には十分な幸せだった。

 この時はそう思っていた。



◇◇◇



 やがて桜は散り地面が茶色く散った花びらで埋め尽くされた頃。

新緑が芽吹き、さわやかな風が吹く初夏が来た。

僕は短編小説をまとめ上げ、最終チェックをしていた。

文章の整合性、誤字脱字。

それらが無いかしらみつぶしに何度も自分の作品を読み返していた。

スマホを無線式イヤホンに繋げボーカルの音声がない音楽を聴きながら集中していた。

以前に母親にその集中力はもう少し勉強に活かせないのかしら、と言われたこともあった。

確かにそういうふうに使えば点数は取れるだろうと思う。

だが当時の僕は学校の勉強なんか大人になっても役に立たないと思って(ないがし)ろにしていた。

僕はこの時そんなことを考えながらだらだらと過ごしていた。

ため息を一つ吐いて僕はフェンスを背に胡坐(あぐら)をかいていた。

いい天気だな、なんて空を見ようと頭上を見上げようとした時、何故か急に太陽が陰った様な気がした。

先ほどまで雨雲何て無い様子だったのに何故かと頭上を見上げるとその瞬間に目と目が合った。空が曇った訳ではない、人が居たのだ。

 僕は驚きのあまり息が止まるかと思った。

 フェンスを背にしていた僕は背と頭をぶつけた。

その拍子にイヤホンが片耳から転げた。

 幸いイヤホンは床に転がり紛失はしなかったがその人物は何か僕に話しているようだった。

 そこで初めて目の前似た人物が女子、それも花実さんだと認識した。

 彼女は静かに微笑して。

「ごめんなさい、お邪魔だったかな? 何度か遠くから声をかけたのだけど気が付かなかったから覗いちゃった」

僕は口を半開きにして呆然としていた。

あまりの驚き様に彼女は左手を縦に口に当てた。

「大丈夫?」

 教室では見せない心配そうな顔は僕にしたので意外だった。

 僕は少し驚いたけど大丈夫、と返した。

「沢村君、だよね。スマホいじっていたけど何していたの?」

 黒髪のボブカットに憂いを帯びた微笑み。

 目は細く顔は自然な地味目の化粧をしている。華奢な体躯であるが病的に細いわけでもない。

 清楚な見た目は純白の百合を思わせた。

彼女の事を観察していると本人は不思議そうに僕に聞く。

「どうしたの?」

学校でしばらく人と話していなかったので少しぎこちなく僕は彼女に聞く。

花実さんこそ何故ここにいるのか、僕はここが落ち着くんだと伝えた。

「そうなんだね、あ、小説を書いているのかな? 自己紹介でも言っていたし」

 彼女は小首をかしげて微笑していた。

 僕は突然の事に動揺しながらも頷いた。

 花実さんの態度はどうにもからかっているようには見えない。純粋に好奇心で僕に声をかけているように見えた。

 声のトーンが馬鹿にしたように大仰でなく自然だったからだ。

 ただ教室の時とは別人に見えた。

 花実さんは頬に手を当てて首を斜めに傾けた。

「でも沢村君はいつ見ても教室にいないね。私、知っているよ。入学式の日にみんな体育館に行くのに最後まで教室から出なかったこと……声かければよかったね」

 彼女は伏し目気味に視線を横に流した。

 僕は何だか秘密を知られたような感覚がして少し不思議だった。

 どうやら花実さんは僕の様子を離れたところから伺っていたらしい。

 彼女の行動に違和感を覚えつつ、僕は彼女への好奇心と謎が余計に深まった。

「まあ、そんな怖い顔しないで、別に何か悪さしようとかは考えてないから」

 僕は気が付かない間に顔をこわばらせていたらしい。

それを指摘されてちょっとだけ居心地が悪くなった。

僕は思ったことがすぐ顔に出る。

昔からそれだけは変わらない。

トラブルの種でもあったが。

「―――私、余計なお世話かもしれないけど気になっていたの。沢村君が虐められているんじゃないかって……私も、昔隣町に住んでいたけど虐められていたの……だから心配で、だから声を掛けてみたの。迷惑……だったかな?」

 花実さんの口ぶりはどこか重みを感じさせた。

過去を回想して憂いてるようだ。

僕は悪い癖で再び彼女を観察した。端正で整った顔は魅力的でどこかでファンがいてもよさそうだった。

声のトーンは落ち着いているが蚊の鳴くような声ではない、むしろはっきりしている。

それなのに彼女が一人でいるのは彼女自身にも何か抱えるものがあるのだと脳裏に(よぎ)った。教室でのあの空気が漂う訳が少し分かった気がした。

彼女は後ろで手を組んで僕に背を向けて歩き出した。

「まあ、何かあれば言ってね。私はそういう陰湿なのは嫌いだから」

彼女はそう言い残すと下の階に続く昇降口に歩いて行った。

不思議なことに彼女の言葉は頭で繰り返された。

僕はこの感情を言い表せる言葉が見つからなかった。

彼女とのある意味初めての遭遇(そうぐう)だったのかもしれない。



◇◇◇



 まだ残暑の厳しい日々、文化祭の実行委員会が選出され僕らのクラスはフリーマーケットで生徒の私物を持ち出す出し物になった。

 部活の方の出し物は僕にはない。

 将来の希望はないがアルバイトの許可を学校からもらい週二回は出ていた。

 花実さんはどうやら美術部らしくそこで展示を出すらしい。

他の女子がある日の昼休み小声で花実さんの噂をしていた。

僕は何食わぬ顔を装って後ろでの会話に聞き耳を立てていた。

「知ってる? 美術部の友達の子があの子、花実さんだっけ? あの子。ずいぶん気味悪い絵を描くって言っていたの」

「え、そうなの? 確かに根暗っぽいし芸術家気質の人なんて案外そんなものかもね」

クラスメイトの名前も思い出せない大人しいグループの女子たち花実さんのことを好き勝手に噂していた。

花実さんは無言で荷物をまとめ始める。

すぐに教室を出てどこかに向かった。

おそらくこの場から離れる為だと僕は思った。

僕が声をかけようとすると気が付いたようだが僕に軽く手を振って速足で去っていった。

この時のなんとも言えない気持ちはまるで傘のない日に雨ざらしに遭うような感覚だった。

この間の声をかけてきた時の顔は何だったのか、彼女の思惑(おもわく)が理解不能に感じた。

それを横目で見ていた金山という男子生徒がこちらに声をかけてきた。

金髪で肌は浅黒く狐目のいやな感じのする奴だった。この男子は不良グループのリーダー格でクラスを牛耳る所謂(いわゆる)、典型的な素行の悪い輩たちだった。

 そいつは品のない笑いを上げながら近寄ってきた。

「へっ―――お前らもしかしてできてんのかっ? 独り者同士でくっついてお似合いじゃん」

 金山はまるで新しい玩具を見つけた小学生の様に楽しそうだった。

 僕は黙ってこいつを睨みつけた。

 配慮(はいりょ)のかけらもない一言に僕は強い苛立ちを感じた。

 心の中で明確な怒りを感じたのを覚えている。

 僕は金山に向かって花実さんとはそういう間柄じゃないときっぱり否定した。

「さあ、どうだか、お前だってまんざらでもないんじゃねぇか沢村」

 僕は名前を呼ばれた瞬間に虫唾が走った。

 本能的にこいつは僕にとって受け入れがたい人種なのだとこの時つくづく感じた。

 こういう手合いはそうやって標的を見つけては難癖をつけているのが好きみたいだ。

 だがこいつの言っていることが正直に完全否定しきれない部分もあった。

 僕は花実さんに関心があるのだ。

その点においては一理あった。

 僕はその場を離れて花実さんを追った。

「へぇ……面白いな沢村」

金山は僕が去り際にこちらの背中に向けて愉快そうに言った。

 つるんでいた取り巻き達は嘲笑するように騒ぐ。

 猿の群れかと思うくらい品性のかけらもない群れを後ろ目に僕は歩いた。

 憤慨(ふんがい)しながら僕はポケットから音楽プレイヤーを取り出しイヤホンをつけて前を見た。

 嫌悪とともに花実さんへ感じる僕の感情が何なのか薄っすら気づきそうで僕は頭から振り払った。

僕は花実さんの後を追いかけた。

だいぶ勢いに任せてだったが彼女の謎を解き明かしたい衝動にかられた。

彼女の事をもっと知りたいと思ったのは偽りのない事実だった。

 新校舎と旧校舎をつなぐ渡り廊下に彼女はゆっくり歩いていた。

黒髪が左右に揺れて光で艶めいていた。整ったセーラー服にとぼとぼとゆっくり歩く背中は哀愁をも感じさせていた。

 彼女も孤独な生活、僕のような目に遭っているのか。想像だけが膨らんだ。

 瞬間に金山の吐いた言葉が頭をよぎって胸糞悪くなるがすぐに頭から振り払う。

心臓が少しだけ強く鼓動した気がした。

 僕は花実さんに駆け寄って名前を呼んだ。

 彼女は振り返って僕の顔を見て少しだけ驚いた様子だった。

「あっ、沢村君どうしたの?」

 僕は彼女が何故先ほど話してくれなかったか聞いた。

彼女は申し訳なさそうに少し俯いて目を伏せた。

「あぁ……ごめんなさい。金山達が近くにいたから絡まれたら沢村君に迷惑がかかるかなって思って。気を悪くしてない?」

 僕は彼女の配慮に気づかなかったことを詫びた。そしてその配慮は的確だと思った。

 事実あいつらは僕と花実さんを注視しているのだから。

「私昼休みは美術室で絵を描いているの。これから行くんだけど何か用事だった?」

 彼女は笑っていた。どこか心配になるくらいその笑顔は朽ちた花の様に儚げだった。

 僕は同伴したいと彼女に申し出た。

 その時の彼女はほんの少し嬉しそうだった。



◇◇◇



「今度の学園祭の展示に出す絵を描いてみているの。普段はみんなに気味悪がられるけど、今度は雰囲気を変えてみたんだ」

 彼女は美術室につくとカーテンで暗くなっている部屋の電気をつけてキャンバスを幾つか準備室から持ち出し見せてくれた。

 並べられた四枚の絵、一枚は色鮮やかで残りの三枚は赤と緑と黒を基調にした骸や花が描かれた奇怪な絵だった。

 僕は正直少しばかり怖さを感じて引いたが。凄いね、と簡潔に感想を述べて本音は言わなかった。なるほど確かにこれはアートだと思った。

「沢村君、私を変な人だと思った?」

 だが彼女は僕の表情を察したのかこちらの心の中などお見通しだった。

「みんな言うの、花実さんは変わっているねって。私は芸術家なんて少し壊れているくらいが普通だと思うの」

 僕は彼女の言うことが妙に心の中にすとんと落ちた。

 釣りをしたことはないがブイが水面に落ちる時というのは今みたいにこんなにすんなり行くのだろう、ということを連想した。

彼女は並べた絵を左右に見渡して。

「昔はそれで虐められたわ、でも以外にそういう言う人たちってやり返してこられる事が無いから本当に反撃すると怯えるの。そんなものだよ。高校に入ってから誰も近寄らないからないからそんな必要も無いけどね」

 この時僕は彼女に対しての謎が少し解けた気がした。

 彼女は強いが孤独なのだ。だれにも理解されずにそれでも自分を強く持っている。

 立派な大樹のようだ、と僕は伝えた。

「沢村君は素敵な物書きだね。それほど強かったらどんなによかったでしょうね」

 僕の伝えた言葉に彼女は遠い目をした。

 何も言えなかった。

 彼女の心の底はよくわからない。もしかしたら触れてはならない物でもあるのではないかと少し怖くなった。

 咄嗟に僕は並べた絵の方に話題をそらした。

 このまま話していると怖かったからだ。

ひとまずおどろおどろしい三枚の絵は置いておいて青の鮮やかな色の絵に話題を移した。

「うん、この絵? 知っているかな? 青い鳥。幸せを探すあまりに身近な幸せに気が付かないって話。皮肉じゃないかな?」

 彼女の解釈は微妙にずれているような気もしていた。

 勝手な空想だが僕は彼女の感覚が少し人と違うのではないのか感じた。

 感性が特別なのだと思った。

 それが虐めに遭う原因であり彼女の個性とも言えた。

 僕は彼女の描いた絵をじっくり見た。

キャンバスは青い色に染まっていて白と水色の濃淡で青い鳥が羽を休めている姿が描かれていた。

 僕は花実さんに皮肉ではない、きっと見つけるのが遅くなっただけの話だよ。答えた。

 真剣に答えたので彼女は一瞬だけ間が開いてクスっと笑った。

僕は気恥ずかしくなって彼女に謝る。

彼女は微笑んでいた。この笑顔は珍しく自然な感じだった。

「いいよ、沢村君。それから花実で呼び捨てにして構わないから。私たちクラスメイトでしょ」

彼女は僕の目を見て、僕は視線を合わせた。

まるでつぼみの花が咲き(ほころ)ぶような嘘のない笑みだった。

僕らはそれから昼休みが終わるまで他愛のない学園生活の話をした。

あまりに居心地がよくて次の教室に行くのが遅くなった事もあった。

教師に叱られて僕らが二人で戻ったことがクラス中で噂になっていった。

そんなことが度々起こると金山率いる不良グループが僕らに目を付けた。

僕は何度か同じようなことがあり危険な感じがしていた。



◇◇◇



 僕は彼女と二人で他愛のない話を交わし続けた。

「沢村君は本が好きなの? 書くぐらいだからそうだよね?」

 僕はうん、と頷いた。僕の読むのは児童書ばかりだ、難しい漢字にもルビが入っているし何より話が分かりやすい。

 僕は彼女に理由を説明した。

 彼女は興味深そうに僕の話を聞いていた。

 しょっちゅう話していると彼女にも人間味があることが伺える。

 花実は凄く真面目で正義感が強い。

あと、感覚は独特だった。

 基本、油絵でキャンバスに絵を描くが他の人が使わないような色彩感覚だった。

 なんというかエキセントリックだった。

 食べ物に関してはあんこが好きらしく紅茶やコーヒーよりお茶が好きとの事。

 茶道部に入ろうか迷ったが絵を一人で黙々と描いているのが好きで美術部に絞ったらしい。

 音楽は外出中聞かないが家ではクラシックを好んで聞くそうだ。

僕は自分の事や空想を交えて小説を書くことが好きだと彼女に伝えた。

彼女にブログに掲載した作品を読んでもらったが気に入ってくれたようでもっと見せてと言ってくれた。

 他にも中学生の時の話で彼女は以外にも苛烈だった事や僕もいじめを受けて友達のところに行くと嘘をついて外で本を読んでいたことなどを話した。

 彼女は僕が自分の話をするとき時々驚くような顔をしていたがあの表情に関してはだけは謎だった。

 教室では一人でいるのを装いたいらしくもめ事を避けるために無口、無表情の仮面をしているのだとか。

 僕らは言葉を交わすたびに色々な互いの知らない面を知り、驚いたり共感したりした。

 僕らだけの空間は大切な時間になった。



◇◇◇



その日。花実さん、もとい悠里(ゆうり)は青い鳥の絵を完成させて一息ついて水筒に入れた緑茶を飲んでいた。

僕らは互いに呼び方が変わり彼女は僕を琢磨(たくま)君と呼び僕は悠里、と呼び合う仲になった。

彼女の笑顔は僕と会話する度に次第に嘘っぽさが消えていった。

心の底から笑っているのが目に見えて分かった。



◇◇◇



 秋ごろ学園祭で公開された悠里の青い鳥の絵が好評になった。

 僕はふと気になって、何故青い鳥を描いたのか聞いた。

 彼女は柔らかい声で僕の質問に答えてくれた。

「私にとってはたぶん大切なの、この題材」

 彼女の言うことは要領を得なかったがそれ以上何も言わないので僕は聞かないことにした。

彼女は絵の評判がよかったためにクラス内でのイメージが少し変化していた。

 相変わらず僕意外とは話さないが、ちらほら悠里に話しかけてくる女子達がいた。

 彼女は声をかけられれば少しは話をするようになった。

 中には昇降口の靴入れに手紙を入れてくる隠れファンもいた。

 男子から二通、このひと月の間に入れられた。

 彼女は一応読んでいた。

「律儀ね、あとで家のごみ箱に捨てるわ」

 そういって今日の昼も美術室で昼食をとった後小さくそれを畳んで学校カバンに仕舞った。

 僕は胸がざわついた。

彼女はいったいどんな気持ちでそれを読んでいるのだろう。無言で文字を追いかける目は教室のいるときに見るあの顔だった。

僕はここにいる悠里の笑顔を親しんでいたので何だかその姿は見たくなかった。

直接彼女にどんな気の持ち様で読んでいるか聞くと。

「琢磨君はどう思う? この人も前の人も私の事を知らない。そう、大して知らないのに直接会わずに告白してくるなんて、受ける訳ないじゃない。理解できないよ」

 そんな感想を漏らした。

 悠里の声のトーンは決して怒ってはいないが冷たい感じがした。

 本人が言うにはとりあえず読むのは一応その勇気だけは受け止めたいという誠意かららしかった。

 そういう彼女こそ律儀なのではないかと僕は思ったが口にはしなかった。

 悠里が注目され始めてから僕の存在も次第に認知される様になっていた。

 だが彼女がいい印象を受ける一方で僕はかなり不思議がられていた。

 交流があるのは悠里だけ、周りに男友達がいるわけではない。

 そんな僕が彼女とよく話し込んでいるのを見ていた周囲は奇異(きい)の目で僕を見た。

 僕の人見知りは極端になっていった。

 そしてこんな話題を金山は見過ごさなかった。

 どうにかして僕に嫌がらせをしようと不良グループ全員を使って僕を標的にしようと仕掛けてきた。

 下駄箱の靴の中に画びょうが入れられていたり、自分の机の上に相々傘で落書きされ僕と彼女の名前を書かれたりした。

 行動は日に日にエスカレートして僕は精神的に参っていった。

 これには当然悠里も反応した。

冷静に僕の被害を聞いていた彼女は教師に報告しに行ったが一旦被害が収まったと思えばまたしばらくして再開し、実行犯の取り巻き達だけが停学になっていった。

どうやら一連の行為は金山の(さし)(がね)らしいと言う事実が悠里の(つか)んだ情報だった。

同じ美術部員が知らせてくれたらしい。

 悠里はさり気なくあちこちで聞き込みをしていたそうだ。

冬休みも近くなった秋ごろ僕は精神的に参っていた。

僕らは美術室で昼休みにいつも通り二人で話していた。

この日の悠里は彼女らしくもなく身なりが整っておらず機嫌が悪そうだった。

僕は彼女を巻き込んでいる事件について謝罪して頭を下げた。

「違う」

 僕が戸惑っていると彼女は珍しく怒りを(あら)わにした。激しい怒りを抑え込むように体が震えていた。

「琢磨君に謝って欲しい訳じゃない、金山に文句があるの……決して琢磨君のせいじゃない」

 僕は悠里にこんな顔をさせてしまったことを悔やんだ。

 全て抱えてまた一人になれば彼女に迷惑をかけなかったのに、と反省した。

「なんで? 琢磨君は何も悪くないのに何で謝るの……あいつらのしたことは私許せないと思う」

 僕は激昂(げっこう)した悠里を見て怖くなった。

普段怒らない人間の方が怒ると怖いというがまさにこの状況はその通りだった。

 怒りにとらわれた彼女に憂いも寂れた花のような哀愁はない。

 深く静かに息を荒げるその様子は噴火前の活火山を思わせた。

 昔ももしかしたらこんな顔をしていたのかもしれないと思うと彼女の教室での顔はそれを隠す仮面だったのかもしれない。

「今から私、金山に文句言ってくる」

 僕はそれを聞いて焦った。

 それは敵陣に丸腰挑むような無謀さだった。

 僕は全力で止めたが彼女の炎に油を注いでしまったようだ。

「相手を理解できないから、楽しいからって虐げる人は嫌いなの……これは私の問題でもあるんだよ。止められても行くから」

 僕は何も言えなくなって強張(こわば)った体から力を抜いた。

 僕は彼女を止められない不甲斐(ふがい)なさを悔やんだ。

悠里は肩をすぼめて息を大きく吐くと次は逆に吸うと同じくらいの量を吐いた。

この動作を何度か繰り返した。

荷物をやや乱暴にまとめて教室を出る。

耳の辺りの髪を触るいつもの癖は気持ちをできるだけ平静に保つために見える。それ等の仕草は沸騰した感情の片鱗だった。

僕は彼女の名前を呼んだ。

だが彼女は僕に一瞬だけ視線を向けて短くこう言った。

「ごめん」

 僕は何も言い返せなかった。むしろ言い返せるほどの余地など一切ないほどの圧だった。

体こそ彼女を追ったが彼女の怒りはまるで鋭くとがれた刃のようだった。

 僕は豹変した彼女をおぼつかない足取りで追う。

 さながら幽霊の様にふらふらと、渡り廊下を反響する足音だけを頼りに追いかけた。

 目の前はストレスで二重に見えてとにかく吐き気がした。

 今思えば二日酔いよりも質の悪い恐怖と不快感だと言えた。



◇◇◇



 悠里はその後すぐに金山とその取り巻きの男女に抗議したらしい。

僕が本校舎の教室に着いて正気を取り戻した時にはクラスメイト達は恐怖のどん底に叩き落されていた。

全員離れたとこで怯えていて、悠里は金山の取り巻きらしき女に何度も蹴られていた。

 他の巻きは周りで愉快そうにその様子を見ながら野次馬になり、騒がしく罵倒して僕が見た景色の中で過去最も凄惨な景色だった。

 僕が絶句していると周りのクラスメイトが話している言葉がわずかに聞き取れた。

 悠里は金山に僕を虐めた事に文句を言って奴の顔面に平手を見舞ったらしい。

 当然ながら目の前で起きているのは報復と見せしめだった。

 悠里は悲鳴を上げずただじっと学校カバンで頭をかばって床に丸く蹲っていた。

 金山は狐目を吊り上げて激怒していた。

「おいおい口だけは達者だなぁ花実……俺にケチつけて正義の味方気取りか? お前みたいなブスはあのネクラとお似合いだっ! はぁっはっは!」

彼女を蹴っている女は唾を飛ばしながら目一杯彼女力を入れ、心底不愉快そうに叫んでいた。

「テメェごときがアタシの男に触れていいもんかよっ! この腐れ(あま)ぁ!」

 一瞬で僕の中で怒りと憎悪が限界を遥かに超えた。

 その女に殴りかかろうとしてその前に目の前にいた取り巻きにつかまり僕は獣の様に絶叫をした。

 羽交い絞めにされて僕は無力にも両腕、両足を闇雲に動かすくらいしかできなかった。

女はこちらに気づいたようで足を止めてこちらを見た。

悠里は苦しそうに咳き込んで震えていた。

彼女の普段整っていた制服は見る影もなく乱れていた。

「―――おい誰かと思えばネクラじゃん! やっぱデキてんじゃねーかよ、お前ら!? おい、そいつもボコしてやれ」

 僕はこの時、人生で一番大きい声で叫んだ。自分でも驚くほど腹の底から出る激しい憤りの声だった。

この時に僕は気が付いた。

今更だが僕は間違えなく彼女、花実(はなみ)悠里(ゆうり)を世界で一番大切な女性(ひと)だと思っている。

だと言うのに、非力な僕は彼女を助けるなどできない。

気持ちの問題ではない、物理的に無理だ。

彼女が助けられない僕自身の弱さがこの怒りに拍車をかける。

 そして何より彼女と言う美しくひたむきに咲く花を踏みつけられたことは僕にとっては到底許せない事だった。

 それに何よりこいつらのしたことは数の暴力だ。

 卑劣極まりない。

 しかし反撃する術のない僕は泣きながら叫ぶのが最大の抵抗だった。

 世界がスローモーション映像のように動く、罵倒する声、恐怖する声、彼女が無防備に暴力にさらされている目の前の光景。

頭部に強い衝撃が加わり、僕はそこから意識を失った。

 遠のく意識の中で教師たちの声が聞こえた気がして僕の視界は真っ暗になった。



◇◇◇



 次に僕が意識を取り戻した時。僕は見慣れない天井の下にいた。

どうやらカーテンがあるあたり病院のベッドの上だった。

 意識の回復に伴って全身に痛烈な痛みが走った。

 起き上がろうとしても痛みで頭までは起きるのに何も力が入らない。

 腕をよく見ると(あざ)だらけで酷い有り様だった。

不意に声がしてそちらを見ると、隣にいたのは僕の母だった。

父が居ないのはかなり前に煙草の吸い過ぎで(がん)になって他界している為だ。

 泣き腫らした顔は安堵(あんど)したように見えた。

 母は大げさにもこのまま意識が戻らなかったらどうしようかと泣いていたらしい。

 僕は親不孝な息子だと母に謝った。

 母はただよかった、よかった。と繰り返してひたすら泣いた。

 それにしてもなぜ病院にいるのか。

 何故、全身痛いのか僕は意識が戻って混濁(こんだく)していたので思い出せなかった。

 思い出そうとして必死に頭を働かせると少しずつ意識を失う前の事を思い出してきた。

 僕は全身の血の気が引くように青褪めた。

僕は母に悠里、花実さんは。と問い詰める。

母は悠里も怪我をして入院していて同じようにこの病院の別の病室に居ると答えた。

僕は金山の不良グループに殺意を覚えた。

母が言うには教師達が駆け付けた頃には僕と悠里がかなり全身打撲の状態で衰弱していたらしい。

クラスメイトは混乱によりその場を離れていたとのこと。

不幸中の幸いは僕が絶叫したことによりたまたま近くの廊下を歩いていた教師が体育教師や格闘技の顧問達を呼び金山達不良グループを鎮圧したらしい。

僕は脳震盪(のうしんとう)で意識が無くなった後も暴行を加えられ痣だらけになった。

悠里の方は更に長時間暴行を受けたことで重傷となり痣以外にもあばら骨を二本折って全治三か月だが不幸中の幸い命に別状はなかった。

母は悠里の両親に謝罪しに行ったという。

金山たちは警察に突き出されて主犯の金山とその女は少年院送りになった。

 それからこの件は教師と保護者会を巻き込んで一大事になり学校中、この地域一帯を震撼させた。

テレビニュースにもなり、僕は入院中事件の顛末を何度も繰り返し見た。

 保護者達は未然に防げなかったのかと言及し、教頭、校長ともに責任を受け止めて謝罪したらしい。

 僕にはそんな事より悠里の事が心配だった。

彼女に心身ともに深刻な傷を負わせた事は事実だ。

僕の不甲斐なさが己の愚かさを強く感じさせた。

身勝手な願いだが僕は彼女に謝りたかった。

一刻も顔を合わせたい。

こんな僕のために命がけで声を上げてくれた彼女、それに対して僕自身が何もできなかったこと、頭を下げたかった。

頬を冷たい水滴が伝っていく。

気が付くと僕は泣いていた。彼女の事を思うと胸が締め付けられる。

強い哀しみが僕にのしかかった。

ひたすら泣いて、泣いて、泣きじゃくった。



◇◇◇



冬休み、僕は退院し悠里にようやく会いに行けた。

しばらくは安静ということで家族以外の面会が禁じられていたがようやくそれも解かれていた。

僕は彼女の所に面会しに行くことにした。

寒さが体にしみる中、粉雪が舞う道をゆっくり歩きながら病院に向う。

この時彼女はまだ退院できずにいた。

彼女はどんな思いで入院生活を送っているのか、考えただけで哀しかった。

僕を罵倒してくれるのだろうか。責めてくれるのだろうか、それともいつものように優しく許してくれるのだろうか。

そんな希望的な観測を胸にただ歩みを進めた。

先ほどから最寄りの駅からバスに乗り代えてさらに徒歩十五分ほど。

雲は僕らが心を交わしたあの夏の蒼とは全く程遠い白さだった。

まるで世界は僕らが会うことを拒絶しているかのような憂鬱(ゆううつ)な空模様だった。

僕は病院に着くと手早く面会手続き済ませて彼女がいる病室に案内された。

ここまでの時間は永遠に続くかの様に長く感じた。

一歩一歩彼女に近づくたびに罪悪感で心は茨に絡まれたような痛みを感じた。

悠里の居るベッドは窓側だった。

窓から降る雪を彼女は横たわったまま眺めていた。

僕は声をかける。

「あ……琢磨君」

僕は名前を呼ばれた瞬間胸の奥が締め付けられた。

彼女の顔にはまだ治りかけの痣があった。

女の子にとって顔は大事だ。あの端正な顔は痛々しい傷跡と包帯やガーゼがつけられていた。

僕は苦しかった。

悠里は僕を見て少し嬉しそうな声で僕に向けて声をかける。

「やっと会えた……大丈夫?」

 僕は笑顔を取り繕うとしたが彼女の満身創痍ぶりに笑えなくなった。

 何よりこんな状態なのに僕の身を案じてくれる所が僕の罪悪感に追い打ちをかけた。

 彼女が寝ている状態から起き上がろうとしたので僕はそれを止める。

 無理して欲しくない。

 彼女は咳き込みながら申し訳なさげに切り出して僕に伝える。

「あのね、琢磨君。謝らなければならないことがあるの……私、転校することになったんだ」

 僕は驚いたが動揺を隠そうとして何も言えなかった。

悠里にこれ以上の心労をかけたく無くて必死だった。

彼女はとても気まずそうにして目を背けた。

「少しだけ離れた所に行くの、親が先生と話して決めたんだ……何だかごめんね」

 彼女は弱弱しい声で僕に伝える。

あの日の憂いを湛えた表情よりもさらに増してもっと哀しそうに見えた。

花の枯れた後の名残のような虚しさだけが彼女様子から感じた。

「ねぇ琢磨君……怒ってる? 私が勝手なことしたばかりに怪我をさせてしまって」

 僕は悠里の言葉を否定した。

それから立ったまま頭を下げた。

 怒っているどころか彼女が体を張った事。僕が言うべき所を勇敢にも金山たちにぶつけたてくれた事を感謝していると。

むしろ怪我をさせてしまった事を心苦しく思って謝罪した。

「琢磨君は優しいね」

 いっその事避難してくれた方が僕は良かったが彼女は決して怒らなかった。

 彼女は大丈夫、大丈夫。と言って僕の手を握る。

「そうだ、一つ伝えたいことがあるの。聞いてもらえる?」

 僕は彼女が静かな声で話すのを聞いて頷いて聞いた。

 僕らの間を沈黙が支配した。

 静寂の遠くで同じ病室の他の患者さんの声や看護師さんの声が聴こえた。

「―――私、実は高校に入学する前からあなたの事知っている気がするの」

 僕は悠里の言葉が唐突過ぎて理解できなかった。

 彼女の様子は全然からかっているようにも見えない。悠里はむしろ真剣だった。

 僕も彼女の言葉を丁寧に聞き漏らさないように耳を傾けた。

「中学生の頃、この辺りの町に母親と気分転換に出かけたの。公園でずっと座って本を読んでいる同い年くらいの男の子が座っていたんだ」

 僕は即座に記憶をたどった。彼女が言わんとしている事がぼんやりと引っかかった。

「その子に母親と一緒に声をかけようとしたの。日が暮れるよ、街灯の下だと目を悪くするよって。」

 悠里の言葉は一字一句ゆっくり紡がれていった。まるで大事な宝箱のカギをゆっくり差して開けているかのように。

「でもよく見ると体中が傷だらけで私は胸が痛んだの。あぁ、この子も私と同じ思いをしているのかなって」

 彼女の声はとても優しい声だった。冬の病室があたかも暖炉の暖かなぬくもりがある部屋のようかの様な錯覚すら感じた。

「でもね、変なことに彼は私達に気づいたら驚いて本を落としたの、すぐに拾い上げて走って逃げていったんだ」

 僕は彼女のゆっくり紡がれる言葉に耳を傾けた。

「そうしたら紙の縦長い形の栞を落として。彼は一体続きを読むのにどうするんだろうって―――ずっと気になってた」

悠里は僕の目を見て少し悪戯っぽく笑った。

ぼろぼろの顔での笑顔は痛々しくて直視し続けられなかった。

それでも彼女は柔らかい声で僕に語り掛ける。

「続きは読めたのかな? あなたによく似た彼。そこにある栞、見てくれる?」

僕は彼女の言わんとしている事がいまいちわからなかったが返事をしてゆっくり病室の棚にある栞を見た。

それは何の変哲もない栞で赤い紐が穴にくくられた白、もとい使い古されてグレーになった物だった。

下の方に青い羽のイラストがありその上に沢村琢磨、と拙い字で書かれていた。

僕は驚きのあまり息が一瞬止まった。

出来過ぎた偶然にも程がある。

僕らは昔一度出会っていたのだ。

驚きを隠せない僕に悠里は語り続ける。

「あのね、琢磨君……これで分かった。それと今なら聞ける。あの本面白かった?」

 僕は、うん。と短く、けれどしっかり頷いて答えた。

神が存在するなら何て意地が悪いのだろうと思った。

 読んでいた本はベルギーの作家、メーテルリンクの『青い鳥』だった。

 そしてこの栞は僕が大事にしていた探し物だった。

 気づかなかった僕はこの状況に至極驚いた。

―――彼女は最初から僕を見ていたし、僕もその後からずっと惹かれていた。それがわかって十分なはずだったのに悔しさがこみ上げてきた。彼女を守るどころか守られた自分に対してだ。

 それでもこんな僕に対して悠里は傷だらけの笑顔で僕に話す。

 彼女は雪の中で咲き誇る小さな花のようだった。

「琢磨君、皮肉なものよね―――幸せを探して回るのにそれは案外近くにあるって。この栞の事を思い出したのは入学式の後なの。それであの絵を描いたの……私にとってあなたは大切な人になっていたみたい。気が付いたら孤独じゃなくなっていたもの、これが運命ってものかな?」

 僕の涙腺は崩壊した。

 情けない子供の様に泣きじゃくってベットの上に横たわる彼女の頭の横に顔をうずめて声を殺した。

 彼女の名を何度も呼んだ。

 そして僕の頭を優しく撫でてくれた。

 その日僕らは互いに想いを伝え合い、結ばれた。

 連絡先を交換して彼女が引っ越した後も連絡を取り続けた。

引っ越し先は千葉の県南部の方だそうだ。

 あの栞はフォトフレームに入れて飾ってある。十数年の月日が経って色あせても写真立てに入れて大事に保管した。



◇◇◇


 僕は目を覚ました。

 すっかり日は暮れて自分の住んでいるアパートだと気づく。

 どうやら昔を回想して気が付かぬ内に眠っていたらしい。

思い出しているうちに夢として出てきたらようだ。

 過去の記憶だ。彼女はあれからやり取りを繰り返したが物理的な距離はお互いの心を離すには十分な理由になった。

 次第に擦違う(すれちが )ようになり、月に一度は電車で数時間かけて彼女の所に足を運んだ。

二年ほど付き合いは続き高校を卒業したものの大学受験に失敗して挫折しフリーターになった。

何とか昔の夢を叶えて人生逆転を目指し、小説家になろうとして賞に応募を繰り返すも思う様に成果を上げられなかった。

彼女にその話をして八つ当たりしてしまってさすがに彼女も不満げだった。

 長い歳月が過ぎ変わったのも僕だけではなかった。

悠里もまた変わっていった。

新しい住処(すみか)で友人もできて交友関係は変化し、凛として堂々とした大人になっていった。

大学に進学し、今は美術のカルチャースク―ルの講師を目指しているというのが最後に聞いた話。

傷もすっかり消えて化粧も上手くなり時を重ねるごとにより美しくなった。

僕はそんな彼女とは反対に仕事と自宅を往復するだけで交友関係は一切増えなかった。

一人で飲む酒はいつだって不味かったし、彼女と自分を比較して嫉妬した。

段々とあの心が高鳴った雪の日の記憶は薄れていった。

次第に口喧嘩が増えてお互いにすれ違った。

彼女も僕も限界を迎えていたのだ。

最終的にとうとう僕らは別れた。

彼女の方から告げられ、僕は了承した。

なんとなく彼女が冷たいのを僕は感じていた、僕は何だか嫌な感覚がしていた。

 最後のメッセージにはこう書かれていた。

「あの日は大事な思い出です。青い鳥は身近にいたけどやっぱり私はまた幸せを探し続けます。さようなら」

 僕は薄々言われると思っていたこの言葉を受け入れて日々を生きた。

 どこで間違ったんだろう。

 世界はどこまで行っても残酷で皮肉だ。

 時間は容赦なく過ぎていくし人もまた変わってゆく。

 僕は酔ったまま夜になってから家を出てふらふらと街を歩いた。

 彼女と似た背格好をした人を見るたびに先ほど見た記憶を断片的に思い出す。

 視界は少しずつ霞んでいく。

 涙もろい僕は酔ったまま熱帯夜という海を泳ぐ回遊魚かのように泳ぐ。

実際、足元が覚束ないまま街を彷徨(さまよ)う。

 今頃、花実(はなみ)という苗字(みょうじ)も変わっているだろう。

 今夜はやたら月が綺麗だった。

 青い鳥、やっぱり君が言う通り皮肉にも取れるかもしれない。

 君を失った僕は何年も何も中身のない空っぽの器だった。

 僕は夜明けまで梯子酒(はしござけ)をして路地裏で夜明けを迎えた。

 思い出はいつだって笑いはしない。

 僕はいい加減に彼女を忘れるべきなのだと痛烈に感じた。

 バイトを辞めたのもほかの女性に振られるのもいつだって僕が弱いからだ。

 今は彼女、悠里(ゆうり)の幸せを願う。

 朝日が僕に輪郭を与えると僕はどうしてか立ち上がろうと思った。

 こんなどん底だが人生をあきらめるほど潔くない。

 二日酔いの吐気を気力で押し込んで僕は吠えた。

 昇る朝日に向かい力いっぱい雄叫びを上げた。

 生きる、生き抜く。

どんなに苦しくても沢村(さわむら)琢磨(たくま)という男の人生の物語は続く。

この雄叫びは精一杯の反抗だ。

僕も幸せを探すよ、悠里。

親愛なる君へ。

―――さようなら僕が愛した女性(ひと)よ。       

『青い鳥』了  



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