第一話 「恋の天使 舞い降りて」
平成を孤高のサブカル女子として生きてきた32歳会社員が、令和に辛く当たられてつつも、心のオアシスを見つけるお話です。
会社の最寄り駅に着く前に、最近若手社員の間で流行っている音楽を遅ればせながら聴いてみる。イントロもなく始まり、令和らしくドーパミンを出させることを目的としたリフレインするビートの応酬に辟易とする。
新たなプロジェクトのリーダーとして、上司から推薦され、後輩たちとのコミュニケーションを図るために、陰鬱たる作業に注力しているが、元来私はこのようなメインストリームから意識的に距離を取ってきた人間だった。
平成という飽食とゆとりにまみれた青春時代をサブカル女子としての地位を欲しいままにひとりでさみしくも優雅に生きてきた自分が、まさかティックトックで凡百の脳内を快楽物質漬けにする音楽を摂取する日が来るとは。まさに一生の不覚とはこのことだ。
「咲先輩、お疲れ様です。会議室って予約してます?」
「新井さん、咲先輩ではなく、千井野さんと呼んでくださいと何度も言ってますよね。あと、会議室は先週新井さんに頼んだはずですが?」
「え?! マジですか?? 完全に忘れてました…。すぐ予約します」
「…。先ほど確認したらまだ予約していなかったので、私がやっておきました」
後輩の新井さんはとてもアイディアマンで明るく状況把握も早い優秀な人材だけど、少し抜けているところがあり、とくに忘れ物と忘れ事が多い。
「…。わたし咲せん…千井野さんみたいに“シゴデキ”って感じのカッコいい女性になりたいのに…!これじゃ全然だめですね」
171㎝という女性の中では大きな上背の私を、少し落ち込んでさらに小さくなった新井さんがうるんだ瞳で見上げる。
「新井さんは新井さんだし、私は私ですよ。あなたは私より状況把握能力が優れていて、型にはまらない提案もできる。そういう得意分野をさらに伸ばすのも大事ですよ」
「うぇーん、咲先輩やさしい!!」
「千井野さんと呼びなさい」
すっかりいつも通りの雰囲気に戻った新井さんはふいに「あ。そういえばこないだおススメしたPiNKの新曲聴きました?」と私に笑顔で聞いてきた。
「聴きましたよ」
「どうどう?どうでした!?めっちゃよかったでしょ」
「…。ええ、とても新鮮な曲で楽しめました」
私は任されたプロジェクトを円滑にするために、ウソを吐いた。
「え!うれしい!今度のライブ配信あるんで、一緒に観ましょう!」
心からうれしそうにする新井さんを見ると、胸がざわつくような気がしたが、何より自分の美的感覚にウソを吐くことがとても苦しかった。私は利己的で自己愛の塊のような人間であることをまざまざと感じた。
自宅に帰る道の途中コンビニでお酒とお気に入りのおつまみでも買って晩酌をするかと目論むも、そういえば最近このあたりに新しいBARがオープンしたのではなかったか?と思い出し少し思考をめぐらす。しばしの思案の後「明日はリモートワークの予定だし、たまには冒険してみますか」と数日前に見かけた開店を知らせるチラシに載っていた住所を思い出しながら歩みを進めた。
店に入ると、青を基調とした洗練されたインテリアとセンスのいいBGMが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
そこには愛らしい猫がいた。
正確には愛らしい猫のような雰囲気を持った女性のバーテンダーが立っていた。
「え、あ、はい。あの、ひと、ひとりです」
あまりの愛らしさに言葉を失い、非常にキモい挙動をしていると理解しながらも、何とか自分がひとりで来たことを伝えた。
「ふふ。おねえさんが人なのは十分わかってますよ。おひとりさんですね、こちらへどうぞー」
BAR特有の無駄に暗い照明をもってしても、その輝きを失わない切れ長な二重の瞳、あまりにも小さく本当に同じ人間なのかと疑いたくなるほどに小さなくちびるを思わず凝視しそうになるのをぐっとこらえて、席に着く。滑らかで美しい所作で席を示す指先に鎮座する青いネイルは、夜道の信号のように私の瞼の裏にかすかな残像を残した。
「何のみますか?うち、バーですけどそこまで高くないので、遠慮せんと言ってくださいね。なんとメニュー表もあります。あんま普通のバーにはないらしいですね、メニュー表」
関西出身の天使だ。関西弁を放つ猫のような愛らしさの少女。まさにまさに天使ではないか。こんなの漫画のキャラクターじゃないか。早鐘を打つ心臓を必死で抑えようと、無言でメニューを見つめる。
「…。あの、おすすめ、とかその」
「おすすめは、これ!“ブルームブルー”なんとこのお店の名前がついた看板カクテルです」
「じゃ、じゃあそのブルームブルーを」
注文を聞くと猫天使の眉間にしわが寄る。何か不快な発言をしたかと一気に不安になり、掌が汗でみるみる浸水していくのを感じる。
「いやー、じつはこれ店長じゃないと作れなくて…。うちまだハイボールしか作られへんから…」
申し訳なさそうに目を細めつつ、タハハと笑う猫天使の表情に脳漿をあぶられながら、なんとか「じゃ、じゃ、ハイボールで」と返答した。
「ごめんなさい、でもありがとう。おねえさんのために美味しく作りますね」とグラスに氷を入れて、ぎこちない手つきでステアを回し始めた。
「ずっとおねえさんていうのも、妹面してるみたいであれなんで、お名前聞いていいですか?あ、でもその前にうちが名乗った方がいいか。染谷碧って言います。22歳です」
ペコリと愛らしく、軽やかなこの世のもっとも尊ぶべき自己紹介をしてくれた猫天使こと染谷さん。人生のあらゆる局面で今後、確実に思い出す名であると本能が叫び1秒とかからず魂に刻んだ。あと、染谷さんになら、ずっと妹でいて欲しいが、とも、22歳!?幼い⁉赤ちゃん!?ていうか10コ下!?ぎゃああああ!?とも。
「わ、私は千井野です。」
「千井野さんめっちゃ良い。なんか緑の丘が見えました。下の名前は?」
さっきから愛くるしさに目が行っていたが、この天使は少し変わった表現をするな。緑の丘?と思いつつ名前も伝える。
「…。咲です」
「咲って花が咲くの咲?ええ?このお店が“ブルームブルー”。咲が“ブルーム”で、碧が“ブルー”。これさすがに良すぎるでしょ?え?運命?お互い良すぎる名前を持って生まれましたねー!ちょっと神様サービスしすぎ。オモロ」
膝を打ちながら運命!と喜ぶ染谷さん。こちらこそ運命だと叫びたい。
「いやいや、染谷さんの碧はとてもすばらしくぴったりですが、咲ってこんな図体の大きな女には過ぎた名前ですよ…」
利己的で自己愛の強い私から出るとは思えないほどに、なぜかほの暗い謙遜が飛び出す。
「…。咲さん、こんな会ってすぐなんですけど、幸せって何だと思いますか?」
「…。へ?」
「うちって常日頃『幸せとはなんぞや?』と思考し続けて生きてるんですね」
「それは大層生きづらそうなことで」
「オモロ。咲さん相槌変ですね」
「!?、染谷さんこそさっきから言葉選びが秀逸というか、ちょっと普通じゃないというか」
「バリほめてくれますね。まぁとはいえ、うち的には別に普通というか…。ほんで、幸せってなんやと思いますか?」
自分が他人から拒絶されるなんてことは微塵も心配していないという目でまっすぐと私を見つめて、返答を待つ染谷さん
「そもそも幸せって感じられるものなんですかね?」
いつもの私なら、適当にそれっぽい答えを答えていたはずなのに、急にウソを吐くのが嫌になった。
「どういう意味ですか?」
「いや、認識できる範囲の幸せって、本当の意味での幸せなのか疑問があって。それから目をそらすために、美味しいものを食べるとか、楽しくお酒をのむとか、豊かな音楽を聴くとか、家族の笑顔を見るとか疑似的な幸せが用意されているのかなと。」
「…。続けてください。」
「だから、たぶん死ぬまで幸せってのは可視化できなくて、人生のエンドロールにHAPPY ENDって書いてるのを観るまでは誰もわからないんだと思います」
言葉尻を話し終える頃には恥ずかしさをガソリンにして、名古屋あたりにまで行けそうな感覚に陥った。32歳にまでなって、22歳の幼子になにを熱く青臭い人生観を語っているのだ。そう我に返りそうになった瞬間、染谷さんはガシッと私の手をつかみ、もう鼻と鼻が触れ合ってしまいそうなほど顔を近づけて。
「求めている答えではないですが、咲さんはうちと同じく思考の水平線を見つめる側の人間であることはわかりました。ようこそ、BARブルームブルーへ。このお店にいる瞬間は、永遠に青く、気高く咲きましょね?」
白くしなやかな指先に様々な青で彩られたネイルをつけた天使がそう言うのだ。もちろん、首を縦に振るしかない。
染谷さんはさらにカワイイ眼力を強めてこう続けた。
「あと、咲さんめっちゃ脳みそが踊ってて美しいから咲さんって名前ピッタリです。一生誇りましょ。うちも咲さんが咲さんであることをことあるごとに意識して生きていきます」
「あ、はい、すいません」
「なんで謝るん?オモロ。あ!!こっちこそ謝らねば!咲さんのハイボールがハイボールになり損ねたまま、完全にご機嫌ななめくんです」
そういって指さしたグラスには少し融けた氷が入っているだけで、まだウイスキーすら入っていなかった。
「気にしないで、ゆっくりで大丈夫です」
「咲さんのためにさらに美味しくつくらんと!期待値を上げてくださいね!」
猫のような愛らしさと、人間でしかありえぬ思考の深さ。
好きになるのに理由はいらないと常套句のように言うけれど、理由まであった場合はどうすればいいんですかね?
少しでも評価やコメントをいただけると大変励みになります。
叱咤激励大歓迎でございます。
何卒。




