001
宿屋の朝は早い。
宿泊客のほとんどは朝早くから活動する冒険者だ。それに合わせて朝食の用意も自然と早くなる。この宿屋もそこまで大きいわけでもないが、それなりの人数を日々受け入れている。
「シエナちゃんおはよう!」
「おはようございます!」
泊まっていた冒険者たちがぽつぽつと部屋から出てくる。顔を洗いに水場へ向かう者、朝食の準備ができるのを今か今かと食堂で待つ者。朝が苦手だから起こしてほしいと希望する者もいる。
「おはようございます~! 宿の者ですが~!」
ノックして元気に挨拶をする。大抵の場合は三度目くらいで部屋の中から弱々しい返事が聞こえてくる。
「おはようございます~! そろそろ朝食のお時間ですよ~!」
「…………はぁーい」
これで声をかける予定の部屋はすべて回った。ちゃんと返事ももらった。
「さて、今日は起きてくるのかな……」
3階の一番奥の部屋。いつも声をかけても起きる気配もない。まあ起こしてくれって言われてるわけでもないから本当は声をかけなくてもいいんだけど。でもなぜかつい声をかけてしまうんだよなぁ。
「おはようございます~! もうすぐ朝食のお時間ですよ~!」
コンコンとノックをして元気に声をかける。返事はない。物音のひとつもしない。同じ階に泊まっている他の客は既に全員起きているのに。
でも、いつものことなのだ。
「ま、いっか」
声はかけたし。と食堂へ向かう。もうすぐ朝食の時間だから、私だって忙しいのだ。
朝食はお母さんが作っている。娘の私が言うのもなんだが、めちゃくちゃ美味しい。ここ、ニゥスタの街で美味しい食事をするならどこかと聞かれれば、迷いなくうちを紹介する。実際食事が美味しいからと泊まってくれるリピーターも多いのだ。さすがお母さん。
「やっぱアルマさんの飯は美味いな~!」
「シエナちゃーん、スープおかわりもらえる?」
「はーい! ちょっと待っててくださいね~!」
人が増えてきて食堂は朝から賑やかだ。お母さんにスープの追加を頼んで、出来上がった料理をテーブルへと運ぶ。
「うう……やさしい味がする……」
「二日酔い酷いようでしたら言ってくださいねー! あとでお母さん特製の二日酔いに効くドリンク差し入れしますよ!」
「ありがとう~……」
お客さんたちの食事が終わって片付けを終えたらやっと一休みだ。この間に私も朝ごはんを済ませる。お母さんのご飯は今日も美味しい。朝食は宿泊客のみだから何とかなるけど、お昼と夜の時間はもっと忙しくなる。
うちは宿屋兼食事処だからやることが多い。お母さん以外にも、給仕担当さん、料理担当さん、洗濯担当さん、掃除担当さん、たくさんの人が交代で働いてくれている。いろんな人が助けてくれているおかげで、お父さんがいなくなった今でもこの宿屋を続けていけている。
お父さんは冒険者だったらしい。別に強くはなかったとお母さんは笑ってた。なんならお母さんの方が強かったかもって。お父さんが怪我をして冒険者を続けられなくなって、それでおじいちゃんがやっていたこの宿屋を継いだんだって。
……私もいつか、誰かとこの宿を続けていくのかな。
「おや、今日はいつもより早いんだね。待ってなー今用意するからね」
お母さんの声に顔を上げると、あの人の姿があった。
寝ぐせであちこち跳ねたぼさぼさの黒髪。猫背だけど、猫背な状態でもわかる背の高い、男の人。
もう昼も近いというのに、この人にとってはそれでも早い方。いつもはランチタイムも落ち着いて、ティータイムになるかどうかってくらいにようやく顔を出すのだ。
あくびをしながら席に座る。なんでどこでも座り放題なのに、近い席に座るんだろう。
すぐ側まで来ないと気付かないくらいに消してる気配。ぬぼっと突然暗がりから現れた時は、お化けか泥棒かと思って悲鳴を上げたくらい。それにはっきり明るく喋ってるところを見たことがない。「ああ」とか「はい」とか、短い言葉ばっかり。しかも声が低くてちょっと聞き取りづらい。
顔は洗ってきたのだろうけど、髭も伸びたままだし……なんでちゃんと剃らないんだろう? もうそれ寝間着だよねってくらいヨレヨレで襟元が伸びた服。今日もまったく身だしなみが整ってない。前髪で隠れていて目元が良く見えないから、何を考えているのか、どんな表情をしているのかもまったくわからない。というか、何をしてる人なのかもよくわからない。冒険者だって言ってたような気もするけど、冒険者としてこの宿に泊まる人も、ご飯を食べに食堂を利用する人も、ここまで身だしなみに無頓着な人はほとんど見たことがない。
ダンジョンや遠征から帰ってきたばかりとか、急ぎの依頼であちこち駆け回ってたとかならまだわかる。魔物から何とか逃げ帰ってきたとか。そういう埃っぽさとか、探索帰りなんだなとわかる人たちとは全然違う。そもそもこの人、ほとんど部屋にいるし。なんだろう……この、どうしようもない感じ。
本人は綺麗好きっぽいと噂になっていて、毎日風呂屋から出てくるところを目撃されているし、顔もちゃんと洗っているところを見るし歯だって磨いているところを見たこともある。洗濯依頼だって毎日きちんと出されているし、そのぶん含めて料金ももらっている。でも、なんでかそれ以外はズボラというか……どうにも清潔感がない。
このおじさんはもうずっと長いことうちの宿に泊まっている宿泊客なのだ。もうかれこれ2年はうちにいるらしい。この人が来た頃のことを私は知らない。当時私は別の街の学校に通っていて、去年戻ってきた時にはもうこの人はうちの宿の客になっていたのだ。私も掃除でこの人の部屋に何度も入ったことがあるけど、なんなら他の連泊客よりも綺麗に部屋を使ってくれている。というより、びっくりするくらい物がない。冒険者って聞いているけど、剣も鎧も見たことがない。
「はーい、お待たせ」
お母さんがスープを持ってくる。
「もしかして……今日はどこか出かけるのかい?」
「ああ……はい」
「そう。じゃあお弁当はいる?」
「……ああ、はい。できれば」
「サンドイッチとかでよければすぐに用意するよ。昼もそんなに量食べないだろ?」
「まあ……そうですね、はい」
「準備できたら部屋まで届けるよ。もしそっちの準備が先に終わったら悪いけど声かけとくれ」
「はい……」
絶対お母さんが作るほうが早いって。他の人だったら食べてる間にぱぱっと用意しちゃうんだろうけど、この人なぜか朝(?)食はスープしか飲まないんだよね。昼も夜もそこまで食べているのを見たことがない。いつの間にか食べ終わって、気付いたらいなくなっている。お母さんの料理は美味しいって言ってたこともあるから、口に合わないわけじゃないと思う。
ごちそうさまでした、と聞こえたと思ったらもう姿がなかった。相変わらず謎なお客さんだ。
「ねー、お母さん。あのおじさん、いっつも小食すぎない? なんなら私のほうが食べてるよね」
「あれでも食べてくれてるほうなんだよ。というより――」
「はいはい! お客さんのことは詮索しない、でしょ?」
「わかってるならよろしい」
テーブルを拭いて、自分とおじさんの食器を持って調理場へ入る。お母さんはお弁当のサンドイッチを切って容器に詰めるところだった。やっぱりお母さんは手際がいいなぁ。
食器を洗おうとすると「ここはいいから持っていって」とさっそく詰めたばかりのお弁当を手渡された。
「……そのまま取りに来させればいいのに」
「あの人も忙しい時間は避けてくれてるんだよ。今のうちに持ってっちゃって。それに、あんたもギルドに行かなきゃいけないんだろ?」
そうだった。
「はいはい~! 仕方ないからこの看板娘が届けてきてあげますよ~!」
「はーいよろしく」
お母さんにさらっと流されて、私はお弁当を受け取って3階へと向かった。
「すみませーん! お弁当できたんで届けにきましたー!」
コンコンとノックをして声をかける。朝と違って、中からガタガタと物音がして「はい」と声が聞こえた。
扉が開いてぬっと影が広がる。でっっっっか。こんな近くに来たことそうなかったけど、やっぱりいつ見ても身長差がありすぎてびっくりする。私は平均くらいで小さすぎるわけじゃないけど、自分がめちゃくちゃ小さくなったと錯覚するくらいでかい。
「……あの……」
「あ、すみません。これ、お弁当です」
思わず固まった私に声が降ってくる。いつも以上に高い位置からの声だからか聞き取りづらさが加速している。
「どうも……」
「いえ……」
ちら、と視線を逸らすとドアの隙間から部屋の中が見えた。どこにしまっていたのかカバンがあって、出かける準備といった様子だった。街中に買い物に出かけるのとは違う荷造り。出かけることはわかっていたはずなのにちょっぴり驚いた。
「本当に出かけるんだ……」
「……え?」
「あ、いえっ! 何でもないです!」
思わず心の声が漏れていたけど聞き取れなかったようだった。
顔を上げておじさんを見れば、いつものヨレヨレの服から普通の服に着替えていたようだった。それでも髪はまだちょっとボサボサだ。髭は……今から剃るのかな。よれてない服を着ているからか、結構がっしりしている体格なのに気付いた。正直冒険者かどうか疑っていたけど、本当に冒険者なのかもしれない。
「…………」
「…………」
「…………あの、まだ……何か?」
「アッ! 何もないです! 気を付けていってらっしゃい!」
「……あ、はい。行ってきます」
「それではっ!」
慌ててその場を走り去った。
思わずじっと見てしまって失礼だったな……。食堂にくるお客さんや宿泊する冒険者の男の人たちとはまたちょっと違うような感じがする。本当に何なんだろう、あの人。
考えてもわからないか、と諦めてギルドへと向かった。
ニゥスタの街はそこそこ大きい。それというのも近くにダンジョンがあるからなのだ。ダンジョンと言えば各階層に魔物が溢れる危険な場所であるけれど、そこでしか取れない鉱石や薬草、ドロップ品がある。踏破すればスキルが手に入ることもあったりして、冒険者心をくすぐる一攫千金の夢がある場所なのだ。
そして、私はそんなダンジョン関係を研究している学者――と、お母さんには伝えてある。実際に学校で研究もしていて間違いではない。
「――それでは、今回の依頼は記載通り10日以内となりますのでよろしくお願いしますね」
「はーい! いつもありがとね~マリエル」
「私はいいけど……ねぇシエナ、あんたまだアルマさんに隠してるの?」
受付嬢モードを一時停止した幼馴染が、顔を近づけて小声で話しかけてくる。
「そりゃそうだよ。だいたい冒険者としてダンジョンに潜ることもある、なんて、どう説明したらいいのよ」
「……でもさすがにいつまでも隠してらんないわよ」
「この依頼が終わったらちゃんと話すわよ。今回で調査が終われば、ひとまず先生の課題は終わるから無理に危ないことしなくても――」
言いかけて視界の端で黒が揺らめいた。
「……ちょっとシエナ? どうしたの?」
「…………マリエル、あの人知ってる?」
「ん? 誰のこと?」
「入口のほうに向かってる背が高くて黒髪の……」
「どの黒髪?」
「ぼさぼさ寝ぐせ頭で背が高い」
「あぁ、ジオさん?」
ギルドにいる他の冒険者と比べても明らかに浮いている。背負ったカバンだけは冒険者らしいけれど、服装はかなりの軽装だ。剣も盾も見当たらない。
「あの人ってどんな人?」
「どんな人って……たまにふらーっと来て依頼こなしてくれる人だよ。まあ口数は少ないけど、ちゃんと依頼は期日守ってくれるし」
「他には?」
「基本ソロで依頼こなしてるくらいかな。パーティー組んでるとこは見てないかも?」
「……他には」
「あのね、私もそれ以上のことは知らないし、知ってても私の業務上、他の冒険者の情報ペラペラ教えられないよ」
「……そうだよね。ごめん」
「ていうか、ジオさんあんたのとこの宿に泊まってたんじゃなかった? あんたのほうが詳しいんじゃないの?」
「うーん……謎だらけな人なんだよね」
そうこうしてる間におじさんは冒険者ギルドから出て行った。
「よし、ありがとうマリエル。私も行ってくるね」
「うん。気を付けてね。それと、帰ってきたらちゃんとアルマさんに言うんだよ?」
「わかってるって。じゃあまたね」
冒険者ギルドを後にして、私は街の入口へと急いだ。
今回受けた依頼もとても簡単なもので、特定の植物の採取。すぐ終わるものだけど、どっちかというとこれは口実だ。
私がダンジョンについて研究しているというのは間違いではない。でも、お母さんにはダンジョン産の品だとか、魔物とドロップ品の関係とかを調べていると伝えてある。
本当は、ダンジョン内に刻まれている謎の文字について調べている。その文字を解読できれば、ダンジョンの仕組みがわかるかもしれない。そうすればダンジョンから魔物が溢れてしまうスタンピードの原因も突き止められるかも。
魔物の被害を抑えるためにも少しでも早く解明したいと思っている学者仲間は多い。けれど、ほとんどの仲間は冒険者と両立はできていない。圧倒的に体力が足りない。冒険者としてやっていけるほど、戦いに向いていないことが多い。だからパーティーを組まないと探査にも行けない。私もそうだった。
でも、運が良いことに私は多少魔法が使えるようになった。だから他の学者よりも調査ができる。他の学者は遺跡内の文字が書かれているものの回収依頼を出していたりするが、上手く判別できないものも多く、調査はほとんど進んでいない。
それに、調査して文字が分かったところで、何の関係もないことが書かれているのかもしれない。
それでも、研究することをやめられない。
今日も今日とて、私はギルドの手伝いと偽って、こっそり冒険者として依頼を受けてはダンジョンまで行こうと思っていた。この街の近くのダンジョンに出る魔物は、そこまでレベルが高いわけではない。複数に囲まれてしまえば厄介だが、一匹ずつ相手をすれば何とかなる。
とはいえダンジョンの深層までなんて到底行けるわけもないので、ダンジョン付近の遺跡を調査するに留まっているのだが。なんせ魔物がいるのはダンジョンの中だけではないから油断はできない。
ありがたいことにダンジョン入口付近の遺跡に、文字らしいものが刻まれた部分が多く残っていた。劣化で読めなくなってしまった部分も多かったし、文字ではなく絵のように見えるものもあった。あと少しで模写が終わる。模写さえ終えてしまえば、研究は街でできる。
気を引き締めて調査を終わらせよう。
――と、思って街を出たはずなのに。
もうすぐ森の入口に差し掛かろうとする草原で、見覚えのあるぼさぼさの黒髪を見つけた。とっさに屈んで草の陰に身を隠した。
何で隠れたんだろう、私。別にそんな必要なかったのに。
そう思いながらおじさんを見れば、辺りをきょろきょろと見回している。何かを探してる? いや、警戒してるのかな。
何度か周辺を確認して、おじさんはそのまま森の奥へと進んでいった。
私の目的地とは、違う方向。
でも、なぜだろう。ものすごくウズウズしていた。久しぶりに遺跡のこと以外で好奇心に突き動かされる感じ。
「……遺跡は逃げない」
自分に言い聞かせて、ミステリアスなおじさんが何をするのか、ちいさな秘密をこっそり暴いてやろうと後を追った。
距離をとって追いかける。けれど、少ししておじさんを見失ってしまった。もしかして、尾行がバレた?
焦って走り出せば自分の居場所を教えることにもなりかねない。先生に教わったことだ。焦らず、今までの方向から想定される行く先にあたりをつける。靴の溝についた泥が葉の上に残っている。乾いてない。さっき通ったおじさんの足跡で間違いなさそうだ。
私は足跡の方向へ進んでいった。
木々の陰で薄暗くなっていた森だけど、少し先はだいぶ明るい。開けた場所があるようだ。こっそりと木陰から様子をうかがう。おじさんはいるだろうか。
「えっ……!?」
思わず声を上げてしまう。慌てて口を押さえる。
気付かれてないようだったけど、この光景をなんと言ったらいいのだろう。
おじさんは気持ちよさそうに寝転んでいた。
ただ――そこは、一面に広がる綺麗な花畑だった。




