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後編

   9 誘導作戦

 稙田博士は観測を続けたいと、遺跡から動きたがらなくなった。南は無理矢理に社用車に博士を押し込んだ。

「貴重な観測器具です。あの自記記録計なんて、もう製造してませんし、無くなったら困るのです」

「誰も盗りゃしませんよ、そんな昭和の遺物。」

稙田博士は傷ついた表情になる。

「末広、県庁に急いでくれ。」

「今日は日曜日ですよ。役所は休みでしょ。」

「誰かいる。」

 南の言うとおり、県庁舎はあちこちに明かりがついていた。秘書課では寺山秘書たちが忙しく働いていた。

「知事はどこだ?」

知事室に入るなり、南は言う。

「君ねえ」

寺山秘書は嫌な顔になる。知事室での酒盛りで、南がぶちまけた「実態」の事後処理をさせられた寺山は、南への悪感情が増している。

「緊急事態だ。後でいくらでも謝るから、知事に連絡してくれ。頼む。」

傍若無人だと思っていた南に必死の形相で頭を下げられ、寺山は面食らう。

「何が起こったのです?」

「体長五〇メートルの害獣が大分市に迫っている」

「はい?」

寺山の声が裏返る。何を言ってるのか理解できない、という顔だ。秘書課の職員たちも自分の仕事をやめて南に注目する。

「俺が言ってるんじゃない。観測結果から導き出した、稙田博士の結論だ。

 博士、説明してください。」

 寺山はしょぼくれた初老の男を見る。薄汚れた作業服だから分からなかった。講演会や大学の広報で見たことがある。確かに、異端の生物学者として、その筋では有名な稙田博士だ。

「こんな姿で失礼します。無理矢理に連れて来られたものでね。白衣を着ていないと科学者らしくないかな? 分野にもよりますが、一般の方が思っているほどには、研究室で白衣は着ないものなのです。フィールドワークだと作業服の方が便利で……」

「先生、そんな説明をしてる場合じゃない」

末広が割ってはいる。

「そうだねえ」

と、稙田博士はとぼけた声を出す。楽しい観測を中断され、観測器具もそのままに連れ出されたのが、よほど面白くないらしい。

「先生!」

「はいはい、害獣の話ね。

 南くんの言い方は簡略に過ぎますが、まあ、そういうことです。彼は五〇メートルと言いましたが、今後の観測結果によっては、もっと大型と判定される可能性もあります。」

寺山は青ざめる。稙田博士は続ける。

「もっと細かい数値を推定するためのデータを取る前に連れ出されちゃったので、正確な日時は分かりませんが、近々、害獣が大分市に接近する可能性が高いです。」

「近々って、何ヶ月後とか?」

寺山は恐る恐る尋ねる。王子港に上陸した害獣は動きが遅かった。だから次が来るとしても時間がかかるだろうという、希望的観測にすがりたかった。害獣は海中ではかなりの速度で移動しているらしいとの報告も上がっているのだが。

「だから、それを観測する前に、ここに連れ込まれたんですって。」

稙田博士は不機嫌に答える。

「大体でかまいません。間違っていたからと先生の恥になるようなことはしませんから、いま分かることを教えてください。大型害獣はいつやって来るんです?」

南も学者への対応が分かってきた。稙田博士は渋々という顔で答える。

「推定と言うより、私の感触です。たぶん四~五日後でしょう。」


 一〇分後、知事室に県知事が到着した。休日でゆったりしているところを、そのまま県庁に来たのだろう。よれよれの作務衣を着ている。

 場合によっては緊急記者会見になるかもしれないので寺山秘書は嫌な顔をしたが、格好を気にしている場合じゃないと、知事は着替えようともしない。

 知事の隣には財務課長が座っている。しょぼくれた目で顔が赤い。土曜の夜に深酒したのだろう。かすかだが酒臭い息に、稙田博士は嫌な顔をする。知事は気にした様子はない。休日の二日酔いをとがめるような理不尽な男ではない。

 他の部長たちも順次到着する予定だが、そろうのを待っている時間が惜しいと知事は会議を始めた。

 応接セットの横に設置されたモニター画面には大分市長が映っている。当事者だと知事が呼び出したのだ。県外旅行先からスマホを使ってのウェブ参加になった。

「一大事ですな。稙田先生、大型害獣が大分市に上陸するのは確実なのですか?」

と知事は尋ねる。

「世の中に確実なことなど何一つありません。」

稙田博士はぶっきらぼうに答える。知事はムッとした顔になる。

 南は額に手を当てた。この学者バカは政治家が嫌いなのだろう。知事はいわゆる政治的判断で臨機応変に事態に対処するのが信条で、それで県民に人気がある。反面、政策に一貫性がないとの批判もある。学者先生は後者の立場で、それが今の言葉に現れているのは想像に難くない。

「先生、確率が高いかどうかの話です。いまやってるのは、台風の進路予想みたいなもんでしょ?」

「私は気象予報士ではありません。」

ああ言えばこう言う。

「観測を中断させたのは謝りますから。いい加減、機嫌を直してください。」

 着信音が鳴る。末広がスマホを取り出し応答する。

「先生、うちの記者が遺跡に到着しました。自記記録計の記録紙が映ってます。」

末広がスマホをかざすと、稙田博士は奪い取るようにして画面を見入る。

「もう少し前のデータを映して。上だ。そう、カメラ近づけて。そこからゆっくりと下を映して。はい、止めて。現時点がこの状態ね。しばらく、そのままにしといて。こら、画面を揺らすな。そう、カメラを真っ直ぐに向けて。」

 稙田博士はスマホの記者に指示しながら、作業服のポケットから計算尺を取り出すと、何ごとか計算を始めた。とことんアナログな人だな、と呆れ顔の南に向かって、右手でペンを持つしぐさをする。紙とペンをくれ、と言いたいらしい。

 南は慌てて、そこらにあったコピー用紙とボールペンを差し出す。それを引ったくった稙田博士は、計算尺を動かしながら走り書きをする。何を計算しているのか南には見当もつかない複雑な数式とその計算結果でコピー用紙が埋まっていく。

 計算が終わるのに、さして時間は掛からなかった。稙田博士は自分のスマホを取り出すと、研究室に電話をかけた。

「太田くん、稙田です。瓜生島の放射線はどうなってる? アルファ線が昨日からプラス〇.五だな。分かった、大きな変動があったら連絡して。どこにいるかって? 県庁だ。知事に害獣の説明をしてる最中なの。いや、だからね、無理矢理連れてこられた。」

 しゃべらせておくと、また本筋から外れた文句が始まりそうだ。

「先生、よろしかったら研究室とウェブで繋ぎましょうか? その方がデータが見られます。」

と秘書科の職員が恐る恐る言う。

「いいですね。太田くん、聞こえた? パソコン空いてる? 段取りは県庁の人と話して。じゃ、電話変わるよ。」

稙田博士はスマホを職員に差し出す。顔は既に知事に向かっている。

「はい、少しだけですがデータが入りましたから、ちょっとだけ精度が上がりました。いいですか、あくまで推定ですから、ずれる可能性はあります。天気予報みたいに確率は出せません。」

 こだわるなあ。でも、データを見て機嫌が直ったようだ。一同の顔に、『この研究オタクは子供か』という表情が浮かぶが、稙田博士が感じることはないようだ。

「このペースですと、害獣の最接近は四日後と予想されます。上陸予想地点は瓜生島。害獣の推定体長は六〇メートル強です。」

 推定と言いつつ確信を感じさせる稙田博士の言葉に、一同は言葉を失う。

 ショックから立ち直り、最初に発言したのは知事だった。

「時間がない。今からできることは住民の避難ぐらいかな。」

「そうなると避難範囲が問題です。先生、どうでしょう?」

と総務部長。

「知りませんよ。台風の暴風圏の予想じゃないんですから、害獣の被害が及ぶ範囲なんて計算できません。そういうのは政治的判断ってやつでしょ。」

真実一路の学者はやはり政治家が嫌いなのだ。

「警官隊を攻撃した害獣の攻撃ですが、今回の害獣は一〇倍の大きさとなれば、かなりの射程があるのではないでしょうか? 上陸予想地点の瓜生島を中心として、射程範囲内を避難区域とする、ってのはどうでしょう? 先生、感触でもいいのでお考えを聞かせてください」

と南。

「前回の害獣でも、少なくとも拳銃程度の殺傷能力はあったようです。

 今回の害獣が前回と同様の形態だとしたら、かなりの威力があると考えるのが順当でしょう。しかし、具体的にどの程度かは見当もつきません。

 仮称ですが、うちの研究室ではあれを「外皮銃」と呼んでします。生物の活動というより武器に近いからです。射程距離の推定なんて、武器の専門家の自衛隊にでも依頼してください。市長は学者より自衛隊の方がお好きでしょ?」

 稙田博士はモニターの大分市長を見る。前回の害獣を自衛隊が駆除したのは、大分市から出動要請があったからだ、となっている。研究が至上の稙田博士は、問答無用でサンプルを破壊した自衛隊とその要因となった大分市長が気に入らない、と露骨な態度が出る。

「ああ、自衛隊に接近中の害獣の動きを捕捉させるのは、やめた方がいいです。害獣は基本海洋生物ですから、海の中でソナーでも当てられたら過剰に反応して凶暴になる可能性があります。」

自衛隊の活動にはしっかり釘を刺す。こういうところは頭が回る。知事は苦笑する。

「今から銃の威力を計算していたのでは避難が間に合いますまい。

 市長、稙田先生が言われるとおり、これは政治家の責任でしょう。根拠はありませんが、半径一〇キロメートルの住民は避難。避難場所は学校、公共機関と民間の宿泊施設。ってとこでどうでしょう?」

と知事。

「そうなりますかな。問題が起こったら責任は知事と私で取る、と。」

とモニターの市長。

 末広は感心した顔になる。この二人、案外に肝が据わっている。

 先ほど時事室に飛び込んできた保健衛生部長が発言する。

「となると、問題は避難する期間です。害獣はいつまで居座るのか? そもそも、害獣はなぜ大分にやって来るんです?」

 稙田博士は冷ややかに答える。

「報告したはずですが、害獣は瓜生島の地獄穴を目指しているのです、地獄穴から発する放射線を。前回は、なぜか上陸直前で地獄穴の放射線が減衰したために、手近のレントゲン診断機に目標を変更したと思われます。」

「だとすれば、放射線が減衰しない限り、放っておけば害獣は勝手に地獄穴に落ちてくれるんじゃないですか? 地獄穴は害獣が落ち込むくらいの深さはありますよね。」

と保健衛生部長。

「また直前に放射線が減少したり、他に強力な放射性物質でもなければ、たぶん、そうなります。

 地獄穴の深度は不明です。地球地学研究所が測定したのですが、放射線以外にも、何らかの要因があって測定の音波が底まで届かないそうです。推定でもキロメートル単位の深さはあるようです。穴はほぼ垂直に切り立ってますから、落ちた害獣は推定される自重からして、おそらく登って来られないでしょう。回収は無理です。」

稙田博士は素っ気ない。どうでもサンプルが欲しいのか。だが、そんな要望を受け入れる場合ではない。

 知事は腕を組む。

「地獄穴は未知の現象です。瓜生島は存在自体が謎ですがね。一番の問題は放射線を発することです。そこに、更に人智を越えた害獣を落として、大丈夫なのでしょうか? とんでもない災厄を引き起こす恐れはないでしょうか?」

「分かりません。放射線が害獣の活動を活性化、あるいは害獣が地獄穴の放射線を増大させる可能性はあります。そうなったら、観測さえできない地の底ですから、何が起こっても我々には手の出しようがありません。」

 知事はしばし瞑目する。やがて目を開き、静かに話し始めた。

「害獣を地獄穴に落とす。それで行きましょう。そのために必要な措置は五点です。

 一 地獄穴の防壁は害獣の侵入予測方向を撤去。

 二 そこに害獣の餌になる放射性物質を設置する。

 三 害獣が地獄穴の縁に取り付いたところで、設置した爆薬を起爆。害獣を地獄穴に落とす。

 四 瓜生島中心から半径10キロメール以内の住民は直ちに避難を開始。

 五 害獣の上陸前後から大分市は活動を停止。

 他に何かありますか?」

 意見はない。

「では、これに沿って活動します。非常事態です。一々決済を取る時間もありません。細かい内容は現場の判断で動いてかまいません。役所の体裁とか細かい手続きは後回しにしてください。」

 知事はいったん言葉を切ると、一同を見渡して言う。

「皆さん、最善を尽くしてください。」


  10 乱入

 迫る害獣を瓜生島の地獄穴に誘導する作戦は、誰が名付けたのでもなく「穴落とし」と呼ばれた。

 作戦の肝となる瓜生島の放射線防壁撤去とレントゲン検査用の放射線発生装置の設置は自衛隊に委託することとなった。業者に依頼しようとしたら、県内の建設業者が全社拒否したのだ。

 無理もない、と南も思う。害獣が迫る中、放射線を浴びながらの作業なんて、誰だって逃げ出す。おまけに、この期に及んでも県庁は入札の手順にこだわるので、実際に作業する期間が短くなる。そのうえ経費を値切りにかかった。それでなくても、建設の時に無理をさせた悪評が業界内に広まっている。

 自衛隊の動きは素早かった。瓜生島に資材を持ち込んできた柿木隊隊長が上機嫌なのが南の勘に障った。が、文句を言ってる場合ではない。

 その前段階、もっとも困難と思われた大分市の住民避難の方は、意外にスムーズに進んだ。中心市街地を含む二〇万人の避難にどれほどの混乱が起こるかと思いきや、住民たちは市役所の指示に沿って整然と移動した。

 地区ごとに定められた集合場所に集まった住民たちは、ピストン輸送で用意されたバスに乗って大分市を離れた。

 先の害獣騒ぎを知らぬ者はいないから、避難を拒否する人はほとんどいなかった。

 例外はある。アクアランドの神崎園長が、「生き物に毎日餌をやらなければならないとか、特別な理由がある者が避難しないのを認めろ」と主張した。同様の意見はいくつかの施設からあがったが、一刻も早く避難したい大多数の意向に埋没した。

 結果、神崎園長は県や市の避難指示を無視して生き物の世話を続けた。

 住民の主な移送先には別府のホテルや公共機関を確保できた。ホテルに寝泊まりする者と学校の体育館を割り当てられた者との諍いが予想されたが、実際にはほとんど騒動がなかった。非常時だから譲り合おうとの呼びかけが広がり、不満を言う者はたしなめられる姿があちこちで見られた。

 これには知事の影響が大きい。気さくな人柄で人気の高い知事が、各種メディアで真摯に呼びかけた。「まだ時間の余裕はあるから、指示に従って落ち着いて避難してください。非常時なのでどうか我慢してください」、と。

ここに至り、知事は地獄穴の放射線と害獣との関連を明らかにした。パニックを避けるためとはいえ、これまで隠していたことを謝罪した。

 同時に、地獄穴の放射線は健康被害をもたらすほどではなく、防護壁で完全に遮蔽されているとも説明した。地球地学学研究所はデータを公表し、知事の説明が正しいことを請け負った。

 報道各社から非難が起こったが、豊後総合新報が知事を支持する社説を発表するなどで急速に沈静化した。老練な政治家である知事の根回しの効果だ。

「これだから政治家は嫌いなんです。報道機関もね。」

と稙田博士は取材に来た末広記者にネチネチと嫌みを言い始めた。ゆっくり聞いている暇はない末広は適当に聞き流して研究室から逃げ去った。それがまた稙田博士の機嫌を悪くする。

 末広はネットニュースに稙田博士のコメントを掲載した。害獣の動向に詳しいと知られた稙田博士に報道各社から取材が殺到した。

 基本的なことを何度も説明させられるのはまだしも、センセーショナルな持論に誘導しようとする記者たちに閉口した稙田博士は、マスコミが来られない瓜生島に逃げ込むと言い出した。

 それまでの短い期間でも、記者相手に好き放題に行政の悪口を言い出す稙田博士の放言に閉口した県庁は、稙田博士の隔離に暗に賛成した。しかし、博士を島に渡す工面ができない。こういう時は現場に丸投げするのが役所仕事だ。県庁は対応を現場指揮の南に一任した。

 南は困った。防護壁爆破準備には迅速だった自衛隊は、何やかやと理由をつけて稙田博士への協力を渋った。自衛隊に批判的な稙田博士に仕返しをしたいのかと思うほど、その姿勢は頑なだった。

 ようやく修理が完了した県庁の連絡船は穴落とし作戦のため手一杯だ。

 稙田博士は、主な機材も運べと、例によって一方的に言う。稙田博士一人だけでも工面がつかないのに、機材まではとても運べない。

 南は米水舟長に泣きついた。

「この騒ぎで開店休業中だ。暇だからいいぞ。」

軽く言う米水に、南の方が面食らった。

「有り難いんですが、米水さんの避難は大丈夫ですか?」

「俺は舟乗りだ。いつでも海に逃げられる。老夫婦二人だから荷物もしれてる。」

 いや、だからその海が危ないんだって。

 米水はいったん瓜生島に寄港して南を乗せ、王子港に戻ってきた。待ち合わせの時刻に、学生たちの自家用車でやって来たらしい稙田博士を見て、南は呆れた。数台の自動車から学生が降ろす大きな段ボール箱が埠頭に山積みされていく。

「先生、何ですか、これは」

「観測機材を運ぶと言っておいたでしょう。」

「こんな大量に。舟に乗りませんよ。」

「なんで大きな船を用意しないのです。」

わがままにも程がある。南は言葉を失った。

「二往復かな。近いから行ってやるよ。けど、島での荷下ろしはそっちでやってくれ。」

と米水舟長。

「ああ、大丈夫。彼らにさせますから。」

稙田博士は学生たちを示す。学生たちは露骨に引きつった。

 避難の順番待ちで研究室に待機していたら、稙田博士に無理矢理連れ出されたのだ。いつ害獣が現れるか分かったものじゃない王子港になど近づきたくない。一刻も早くこの場から逃げ出したい。なのに、災厄の中心地の瓜生島にまで行かされるのか。

「五人も乗員が増えたら、三往復だな。移動時間がかかるのが嫌なら、人数減らしてやっぱり二往復にするかな。島に行きたいヤツは?」

 米水は面白そうに言う。学生たちは言葉もなく、激しく首を振る。

 南はため息をつきスマホを取り出し、島に駐在している田浦と門地、二人の警備員に桟橋に来るように指示する。通話を終えて学生たちに言う。

「こっちでの積み込みは手伝ってくれ、島の作業もなるべく早く終わらせるから。

 こういう先生の元に居るんだ、不運と諦めろ。」

「学生たちは僕の研究室なら沢山勉強できるから幸運ですよ。」

と稙田博士。真顔で言ってるから始末が悪い。

「俺は金が無くて学校に行けなかったから、どんな時でも勉強できるのはうらやましいね。」

と米水。どこまで本気なのやら。冗談にしても、板一枚下は地獄の海を生活の場としている、度胸の据わった舟頭が言うと迫力がある。

「舟長さん? 良い心がけですね。大学に来なさい、案内してあげます。海洋生物の研究もありますから、面白いですよ。」

「無事に終わったらね。」

と南は疲れた声を出す。

 稙田博士は不満そうな顔になる。自分がどれだけ勝手なのか自覚がない。米水は面白そうにその様子を見ている。南は呆れる。

「米水さん、あなただって危険なんですよ。いてくれて助かったけど、速く逃げてください。」

「これが終わったらカミさんを連れて佐伯港にでも逃げるよ。俺だってあんな化け物の相手は二度とご免だ。けどな」

南に向かってニッと笑う。

「海の上なら俺は無敵だ。」

 米水の見立てどおり、機材の運搬は二回で終わった。瓜生島の桟橋から大分県の公用車に積み込んで指令棟に持ち込む。その作業に駆り出された田浦と門地の警備員は、やれやれ、という顔になる。

「どこに置くんですか?」

「とりあえず、会議室に。大きな箱から順に重ねていこう。」

「もっと丁寧に扱いなさい」

自分の荷物なのに人に運び込ませ、文句は言う稙田博士を田浦警備員がにらむ。こんな非常時に余計な仕事を増やされて気が立っているのだ。博士は平気な顔で次々に指示を出す。

 昨日から島に駐在している自衛隊員も見かねて手伝う。

「南さん、入り切りませんよ。」

と門地警備員。

「じゃあ、残りは俺の部屋だ、業務に支障が出るが仕方がない。」

聞こえよがしに言うが、稙田博士には通じまい。 

 ともあれ、稙田博士と機材は瓜生島の指令棟に治まった。博士は早速、機材の開封を始め、狭くなった司令棟の場所を更に取る。意に介さない稙田博士の勝手に、職員と一悶おこる。が、並の公務員がこの学者に議論で敵うはずがない。

「先生が急に来たおかげで、食料の余裕が無くなりました。簡易な保存食ばかりになります。いいですね。」

と南。

「かまわんよ」

この研究しか頭にない学者は、食えれば何でもいいのだろう。

「一番若い僕が先生にベットを譲って、寝袋で寝る羽目になりました。これ以上わがままを言わないでくださいよ。」

「研究に必要なことをしているだけです。寝台とかどうでもいいです。害獣が来るまであと二日、まともに寝る暇なんか無くなります。それより、学生たちがみんな逃げちゃったんで、助手がいないんです。人を手配してください。」

南はあきれ果てた。

「そこまで面倒見切れません。一人でやってください。「穴落とし」の邪魔をしない限り、この島での行動に制限はかけません。というか、先生の相手をしている余裕はありません。

 それと、もっとも大事なことです。」

南は顔をグイと寄せる。

「命の報償はできません」

 稙田博士は怪訝な顔になる。

「害獣は島の北側から上陸して地獄穴に向かうでしょう。そのコースに踏み込まなければ、さして危険はありますまい? それより、こんな貴重な機会を逃すわけにはいきません。」

 だめだこりゃ。とことん一般人と感覚が違う。

 天を仰ぎたくなる南に、門地警備員が声がかかる。

「南さん、大変だ。外を、王子港を見て」

何ごとかと窓から対岸を見た南の眉がつり上がった。沿岸の駐車場に、海岸では逆に目立つ緑迷彩色の戦闘車両が入っていく。指揮車両を先頭に、八輪の大型タイヤと一二〇ミリ砲を装備した機動戦闘車が10台、整然と駐車していく。大型の戦闘車両で、広いはずの駐車場がいっぱいになる。

 桟橋に停船した米水が舟上で立ちつくしているのも見える。

「おい、ありゃ、どういうことだ。」

と、さっきまで一緒に荷物を運び入れていた自衛隊員を怒鳴りつける。

「知りません。自分は防壁の爆破の連絡員としてここに派遣されただけで、他の部隊の動きは知らされていません。」

 本当のようだ。南は舌打ちして司令棟を飛び出し、併設された自衛隊の大型テントに飛び込む。

「戦車を持ち込んで、害獣を攻撃するつもりか。」

挨拶もせずに怒鳴りつける。

 パソコンや通信機を操作している自衛隊員たちは平然としている。

「防壁爆破作業の一貫でしょう。あれは戦車ではありません。機動戦闘車両です。」

「大砲ついてりゃ同じだ。爆破作業に戦車がいる訳ねえ。バカにするな。害獣を撃つ以外、ありえんだろうが。おまえら、穴落としをぶち壊すつもりか。」

「不測の事態に対応できるよう備えているんでしょう。」

「あんたじゃ話にならん。柿木大隊長を呼び出せ。」

「隊外からの、そのような要望にはお応えできません。」

「四の五の言うと、地獄穴にたたき落とすぞ。」

 日頃から厳しい戦闘訓練を重ねている隊員たちに、南の恫喝など通用しない。平然と無視された激高した南がつかみかかろうとしたとき、ひょいと割って入った田浦警備員が無言で無線機のスイッチを入れる。

 「何をする」と制止しようとした自衛隊員を門地警備員が押さえる。騒ぎを聞きつけてテントに入ってきた県職員たちもそれにくわわり、田浦と南を守る。

 元自衛隊員の警備員の二人はともかく、普通の県職員相手に自衛隊が本気を出したらあっという間に制圧してしまうだろう。しかし民間人相手に暴力を振るうのを、隊員たちは躊躇した。

 そうこうしているうちに、田浦警備員は無線機を操作し、柿木大隊長に繋いだ。

「どうぞ」

とマイクを南に差し出す。

「ありがとう」

と南はマイクをつかむ。息を吸い、

「貴様、ふざけんじゃねえ。すぐに戦車を引っ込めろ。俺たちを殺す気か。」

スピーカーから柿木の落ち着いた声がする。

「もしもの事態に備えてのことです。そこにはあなたが通信機を奪った私の大隊の者もいるんですよ。それに、万が一に発砲したとしても、見方撃ちなどあり得ません。」

「嘘つけ。最初から害獣を撃つつもりだろうが、軍国主義者め。」

「誹謗中傷はやめていただきたい。シビリアンコントロールは自衛隊の鉄則です。」

「南さん、海を、別府方向を見て。輸送船が来る。」

門地警備員が声を上げる。見れば迷彩色の小型艦艇が波を蹴立てて近づいてくる。興奮して怒鳴り散らしている南は聞き逃したが、民間の船舶にはない、大出力エンジンの爆音が響いている。

「ありゃ、上陸用舟艇「ぶんご」だな。一〇式戦車を搭載しているようだ。」

と元自衛隊員の田浦警備員が言う。

「一般道を走行できる一六式戦闘車両は大分高速道で移動させる。キャタピラが一般道の舗装を壊す戦車は専用のコンクリート舗装道路で別府市の的が浜まで移動、そこから上陸用舟艇に積み込んで、別府湾を横断して王子港まで輸送か。よくもこの短期間で段取りを整えたもんだ。」

 南が唖然として握りしめたマイクに、かすかだが怒鳴り声が入る。上陸した米水が自衛隊に食ってかかっているのが瓜生島からも見える。

 高いアンテナを装備した指揮車から恰幅のいい迷彩服が降りてくる。自衛隊員がキビキビとした動きで降車、整列する。機動戦闘車の隊員たちも背筋を伸ばす。柿木大隊長だ。

 指揮車降りてきた男が指揮官と見て取った米水は、怒鳴りながら詰め寄る。たちまち隊員達に取り押さえられ、指揮車に連れ込まれる。

「貴様、王子港か。米水さんに乱暴するな。」

「自衛隊は自国民に危害を加えんよ。」

迷彩柄の隊員服が指揮車からコードを延ばしたマイクを取っているのが、瓜生島のテントからも見える。

 南の手から、ひょいとマイクが取られる。いつの間にか稙田博士が後にいた。

「あー、聞こえますか。私は西寒田大学の稙田です。」

「ご高名はかねがね」

皮肉っぽい口調だが、稙田博士には通じない。

「害獣への攻撃は止めておいた方がいい。君らの手に負える相手ではない可能性がある。」

「戦車砲が通用しない生物だとでも?」

柿木大隊長の声に嘲笑が滲む。稙田博士それを意に介した風もなく答える。

「そうです。それに、便宜上、「けもの」と呼んでいますが、あれは生物と呼んでよいものかさえ判然としない代物です。調べようにもサンプルは君らが粉砕してくれました。ようやく文句を言う機会を得ました。君ら野蛮な軍人は探求心がないのかね。」

この事態に、そんなことを言いたくてマイクを奪ったのか。南は呆れる。

「攻撃は最大の防御です。前回の我々の攻撃で、大分市の被害は最小限で済んだのです。前回の体長五メートルはヘリの機関砲で撃滅できました。今回は五〇メートルと一〇倍の大型でも、一二〇ミリ戦車砲なら一蹴できます。」

「君はやはり無教養だな。「攻撃は最大の防御」は孫子の兵法の誤用だよ。正しくは、防御を十分にして、そのうえで攻撃しろと孫子は説いているのだ。」

「先生、そんな話をしている場合では……」

と南。この先生はある意味、軍人よりも扱いが面倒だ。

「いいや、もう一つ言うぞ。体長が一〇倍と言うが、体積は三次元だから質量は三乗比だ。途方もない強度の差になる。しかも、それは通常の生物の話だ。害獣は我々の常識は通用せん相手なのだ。」

「先生、ご高説は後でいくらでもうかがいますから、マイクを返してください。」

「待て、君らがつまらんことを言うから、肝心の話があとになってしまった。いま、観測した結果を伝えに来たんだ。

 害獣の上陸が予想より早まる。信じがたい加速をしている。」

「いつ頃になるんですか?」

南は恐る恐る尋ねる。

「あと二〇分ほどだ。それと、体長の推定も誤差があった。たぶん八〇メートルはある。」

平然と言う稙田博士に一同は絶句する。最初に正気を取り戻したのは南だった。

「穴落としを一日早める。すぐに防壁を爆破だ。」

「準備、間に合いません。」

と自衛隊員が言う。

「そんなはずはない。行程表では爆薬の設置は終わっている時刻だ。作業が遅れてるとは聞いてないぞ。」

「それは……」

不明瞭な会話はしないように訓練されているはずの隊員が言いよどむ。

 通信機から柿木大隊長のかすかな笑い声が聞こえる。

「貴様、最初から防壁爆破を遅らせるつもりだったな。なし崩しに害獣を攻撃する気だったんだな。」

南が怒鳴る。

「作業が遅れたのは不可抗力です。しかし、不測の事態への備えが役に立つようですな。」

と冷静な柿木大隊長の声がする。

「ぬけぬけと。戦車で防壁の北側を砲撃しろ。」

「こちらからでは司令棟や南側の防壁が邪魔になって無理ですな。そもそも君にそれを命じる権限はない。」

「どこまでも独断するか。」

「ちょっと静かに」

稙田博士の鋭い声が飛ぶ。思わず南は黙り込む。

 テントが揺れている。地震にしては小刻みな振動は次第に激しくなっていく。海までも震えているようだ。

「来たようです。最後まで観測結果と一致しませんな。」

と稙田博士。

 南はテントを飛び出した。田浦が続く。

 島の北側の海が盛り上がっていく。水面が割れて巨大な害獣が出現する。形状は先のものに似ているが、大きさは一〇倍ではきかない。

「大きさも予想値を超えてます。カメラ用意しますから、その間、誰か録画しといてください。スマホでもいいです。」

テントから出てきた稙田博士が言う。

「のんきなこと言ってる場合ですか。」

南の声に爆発音が被さる。王子港の一六式機動戦闘車が一二〇ミリ砲を発射したのだ。南たちは思わず身を屈める。

 高い放物線の射線を取った砲弾は瓜生島の指令棟と自衛隊の大型テントを飛び越し、巨大害獣の中央に命中した。轟音が響き、発射以上の振動が空気を揺るがす。

 視界を塞いた爆煙が晴れると、害獣は全くの無傷だ。

「言わんこっちゃない」

どこか勝ち誇ったような稙田博士。

 戦闘車両群はつるべ打ちに一二〇ミリ砲を発射する。今度は害獣の前部に集中砲火だ。見事な射撃だが、害獣はやはり損傷を受けた様子がない。

 砲撃の間が空く。害獣の頭部が王子港を指向する。ちょっと反り返った次の瞬間、ガン、と金属を打ち据える音が響き、先頭の機動戦闘車の一二〇ミリ砲が中程から折れ曲がり、車体上部に穴が空く。外皮銃、いや砲と呼ぶべき害獣の攻撃だ。

 外皮砲は車体を貫通したらしく、車体下のアスファルトが爆発したようにめくれ上がる。次の瞬間、攻撃された戦闘車は爆発した。

 巨大害獣の頭部が反り返るたび、戦闘車が撃破されていく。反撃する戦闘車の砲撃も命中するが、害獣には効果がない。一〇台の戦闘車はたちまち全滅した。


   11 崩壊

 「バカな……」

柿木大隊長は蒼白になってつぶやいた。

 いくら巨大とはいえ、戦車の装甲すら破壊する一二〇ミリ砲弾をはじき返す生物など、この世にあるはずがない。しかも、むこうの攻撃は、こちらの装甲を易々と貫通した。

「ヤツは艦砲なみの大砲を装備しているのか。」

あり得ない。

 しかし、現実に虎の子の一六式戦闘車は全滅した。車両はまだしも、手塩にかけて育てた大切な部下たちは戦死してしまった。仇を取ろうにも、残った戦力は上陸用舟艇に残った一〇式戦車のみ。一六式戦闘車と同じ戦車砲の装備だ。とうてい対抗できるものではない。

「火力が違いすぎる」

 瓜生島に上陸しかけた巨大害獣は王子港に進路を変えた。陸上ではゆったりだったのが、海にはいると速度が上がった。

「ヤツは思い上がった人間をあざ笑うために、神が使わした悪魔か。」

 茫然自失の柿木は指揮車の待避すら指示せず、向かってくる害獣をただ見ていた。


 瓜生島の一同の方が立ち直りは早かった。

 自衛隊のテントに乗り込んだ南は、王子港に向かう害獣を見ながら、マイクに叫ぶ。

「柿木大隊長、聞こえるか? 害獣はそっちに向かっている。逃げろ。」

稙田博士がマイクを引ったくる。

「違う。じっとしていろ。迂闊に動くと攻撃される。たぶん害獣の進路は君らじゃない。」

テントの一同は驚いた顔で稙田博士を見る。

 稙田博士は片目をつぶり、右手を害獣が進んでいく方向に伸ばす。

「進路が王子港より東に傾いている。地図を出してください。」

 言われた自衛隊員がモバイルパソコンに周辺地図を写し、稙田博士に差し出す。博士はポケットから計算尺を取り指した。現在位置から進路方向と思われる方向に向けて、定規替わりの計算尺をモニターに当てる。

「県庁の方に向かっているようです。」

「なんでそっちに?」

「知らんよ。」

南の怒声に稙田博士は素っ気なく答える。

「まさか、自家発電のエンジン音?」

田浦警備員がつぶやく。

「ありえる。第五福神丸のエンジン音と県庁の自家発電機とは、害獣にとっては似たような波長なのかもしれない。」

 先の小型害獣が王子港に上陸した際、居合わせた第五福紳丸のエンジン音に反応したのかもしれないとの米水舟長の証言が報告書にあった。推測に過ぎないと、南は気にもとめていなかったから、田浦に言われるまで思い当たらなかった。

 大分市中心地は電力会社の従業員も避難しているから、事故防止のため送電が止まっている。住民は避難しているから問題ないが、対策本部が置かれた県庁を稼働させるため、自家発電機が最大出力で稼働している。

「出力は違うけど、どちらも古いディーゼルエンジン。」

 正しいのかどうか、考えている時間はない。南はスマホを取り出し、県庁の知事室にいるはずの寺山秘書に電話をかける。

「害獣がそっちに向かっている。目標は自家発電機だ。すぐに止めろ。」

「はい?」

寺山秘書の裏返った声が聞こえる。説明なしに言われても意味が分からない。

「だからエンジンを止めろって。攻撃される。」

「ちょっと待って。何の話をしているの?」

 海上の害獣は、頭部が大きくのけぞった。外皮砲の発射だ。

 直後、スマホに衝撃音と寺山秘書の悲鳴が響く。県庁に直撃したようだ。

「寺山さん!」

 南はスマホに叫ぶ。スピーカーから、雑音とともに苦しげな寺山秘書の声が聞こえる。

「今の衝撃で壁に体をぶつけた。起きあがれない。床が傾いてる。電気は--まだ点いてるわね。」

「知事が壁際に倒れてる。血まみれで、動かない。助けなきゃ。ちくしょう、足が……立立てない。――おとうさん……」

寺山秘書の声が急速に弱くなっていく。

 王子港に達しようとする害獣の頭部が小刻みに前後する。初弾で発電機を破壊できなかったので、更に外皮砲を連射したのだ。

 スマホに続け様の爆音が入る。もはや寺山秘書の声は聞こえない。唐突に爆音がとぎれ、通話がとぎれたことを示す電子音が流れる。

 大分市中心街の方向に巨大な土煙が見える。県庁舎が倒壊したのだ。


 無線機から罵声が聞こえる。柿木大隊長は傲然としたままマイクを取る。

「柿木です」

無線機から南の怒鳴り声が響く。

「さっさと出ろ。反撃だ。残った戦車で地獄穴の防壁を破壊しろ。現在、地獄穴からは強い放射線が出ている。穴落としは可能だ。急げ。」

 怒鳴られた柿木大隊長は正気に戻る。

「ちょっと待て。一〇式戦車はまだ海上だ。迂闊に近づいたら上陸用舟艇のエンジン音で攻撃されるかもしれん。」

「そこから撃て。」

こともなげに言う南に柿木大隊長は怒った。

「素人め。射程距離がカツカツだ。だいたい、いくら最新鋭の一〇式でも、戦車が海の上で砲を撃てるもんか。」

「やれ。」 

有無を言わさぬ南の口調に、柿木大隊長が絶句する。

「念のため言っておくぞ。砲撃するのは南側の防壁、現在の害獣の位置に近い方だ。」

「お前たちがいる側だぞ。着弾がずれたらお前らが吹き飛ぶ。分かってるのか?」

「あんたの可愛い部下もな。見方撃ちするような間抜けは自衛隊にいないんだろ。

 そういう偉そうなこと言ってたあんたのおかげで、大勢死んだ。防壁を爆破するための火薬もない。責任、取れよ。」

しばし無言。

「分かった。指令棟の奥に待避してろ。自衛隊の射撃制度は世界一なのを見せてやる。」

 さほど間をおかず、海上の一〇式戦車が発砲した。直後、防壁の上部が吹き飛んだ。

無線機から南の怒声が響く。

「へたくそ。もっと下を撃て。これじゃ害獣を落とせない。」

柿木大隊長が怒鳴り返す。

「黙ってろ。一発じゃ壊せないから、一発目はわざと上を狙ったんだ。次が本命だ。」

 その言葉のとおり、二発目は地際に命中し、防壁を幅一〇メートルほど破壊した。害獣が通り抜けるのにちょうどよい幅だ。穴の縁はほとんど崩れていない。見事な射撃だ。

 ただちに島の自衛隊員たちがテントから走り出て、地獄穴の縁の爆薬を設置にかかる。そのための火薬だけは届いていた。柿木大隊長はわざと穴落としさく線をわざと遅らせるつもりだったのが、伝言ゲームはどこかで齟齬が生じたらしい。重大な組織の不備だが、今はその原因を問う時間はない。

 破壊された防壁の両側に指向性爆薬をしかける。害獣が地獄穴の縁に着いたところで、両側から斜め内側の地面を爆破する。四五度の傾斜の坂を作り、害獣を地獄穴に滑り落とすのだ。

 自衛隊員たちは一〇個の爆薬を手早く設置していく。さすが、訓練されたプロは手際がいい。わざと作業を遅延していた者達とは別人のようだ。

 作業が終わるころ、瓜生島の指令棟に戻り、旧式の観測機を見る稙田博士がつぶやく。

「これはいけませんねえ」

南は稙田博士を見る。また想定外の事態か。

「放射線量が急速に低下してます。これじゃ害獣を呼び寄せられない。誰か、害獣の様子を見て。」

田浦警備員が走り出て叫ぶ。

「害獣は依然、大分市中心に移動中。こちらに向かってくる様子はない。」

南は問う。

「害獣をおびき寄せ競るためのレントゲン装置は?」

「設置まで一〇分は掛かります」

自衛隊員の報告を聞いた南は唇を噛む。

 剛胆な田浦が悲鳴を上げた。

「舟頭さんが」

王子港の駐車場、害獣の反撃を受けずに一台だけ無事だった指揮車から米水が飛び出した。第五福紳丸に乗り込むとエンジンを始動させた。続いて指揮車から飛び出した迷彩服が、指揮車から引き出した大型のアタッシュケースを持って、出港しかけた小舟に飛び乗った。

 南はスマホで米水舟長を呼び出す。

「米水さん、いま逃げるのは危険だ。害獣があなたの舟に反応するのは、あなたが一番よく知ってるだろう。」

米水のちょっと怒った声がする。

「誰が逃げるか。害獣をおびき寄せるんだ。」

エンジンの回転数の上がるのがスマホ越しにも聞こえる。だが、

「だめだ。あいつ、おかだと反応が鈍いのか。」

と米水の声が聞こえる。

「もともと海中の生息ですから、陸だと音の伝わり方が弱いのかもしれない。」

と稙田博士。

「そんな分析している場合じゃない。」

南が叱責するが、学者は知ったことではない。

 第五福紳丸の舟上では、迷彩服の男がケースを開き、太長い棒を取り出すと、慣れた手つきでそれに小箱をセットしていく。

「米水さん。柿木大隊長は何をしてるんだ?」

南はスマホに呼びかける。舟上の迷彩服が米水からスマホを受け取るのが見える。

「柿木だ。責任を取るので、あとはよろしく。」

「何をするつもりだ。それは何だ?」

「ロケット砲だ。戦車でも一撃で撃破できる。一度照準したら目をつぶって撃っても命中する優れものだ。」

「そんな物、自衛隊の装備にあったか?」

指令棟に戻ってきた田浦警備員がつぶやく。元自衛隊員だから武器には詳しい。装備品にまで柿木大隊長は独走しているのか。が、いまはそんなことを言ってる場合じゃないと、南は無視する。

「その程度の大砲が害獣に通用するものか。やめろ、反撃される。米水さんを巻き込むな。」

すかさずスマホに米水の怒鳴り声が響く。

「あんなわけの分からんヤツに、これ以上、別府湾を荒らされてたまるか。ケリを着ける。隊長、やってくれ。」

 柿木大隊長はロケット砲を発射した。白い煙を引いて飛翔した砲弾は害獣の頭部に命中した。

 害獣は全くダメージを受けた様子はない。が、攻撃に反応した。キャタピラともムカデの足とも形容できる外皮が左右逆にうごめき、巨体が反転していく。

稙田博士が言う。

「放射線量が増大してきた。これなら害獣を呼び込める。どうも害獣の動きと地獄穴とはとの関連が分からない。しかし、これは困りました。」

この事態でも観測と分析か。どこまでも冷静な稙田博士につられ、南は問いかける。

「何です?」

「防護壁のこちら側を破壊したから、放射線が防げないんです。この指令棟の防御では持ちません。長引くと我々は被曝します。」

「やれやれ、だな。みんな、覚悟決めてくれ」

田浦警備員が言う。一同はうなずく。

 その間にも害獣は回頭していく。頭部がのけぞり、外皮砲を発射する。ガッと異音がして第五福神丸の測弦が削られる。が、かすっただけで航行に支障はない。米水舟長の神懸かった操船は、紙一重で害獣の攻撃を避けたのだ。舵輪を左手で持ち、誇らしげに右手を挙げる米水が瓜生島からも見えた。

 だが、そこまでだった。害獣はつるべ打ちに外皮砲を発射した。何発もの直撃を受けて、第五福紳丸と二人の男は砕け散った。

 南は歯を食いしばった。泣いている暇はない。


   12 決戦

 第五福紳丸を撃沈した害獣は、そのままの進路で瓜生島の南端に上陸した。このまま進めば、指令棟の先を通り抜け地獄穴に達する。

 巨大な異物を間近にした指令棟の一同は言葉をなくす。速度は遅いが巨体故に、進路は違うのに自分を押す潰そうと迫ってくるような迫力がある。

 そうこうしているうちに、害獣は指令棟の一〇メートルほど前に迫る。ここまで近づくと全体が見えない。

 キャタピラともムカデの足とも形容できる推進機関は、間近に見ると、巨体からは考えられないほどの小さな突起が、目に追えないほどの速度で回転しているのが分かる。ムカデの足と違うのは、それが一対ではなく、数え切れないほどの軸に分かれていることだ。甲高い不協和音が響くのは、害獣の小さな部品からか?、それとも回転する外皮と地面とが擦れているのか。

 迫ってくると、更に押しかかってくるような恐怖が高まる。威圧された一同は害獣を凝視する。一人を除いて。

「いい案配だ。真っ直ぐ地獄穴に向かっている。穴落としの予定地点まで、あと五分ほどでしょう。」

稙田博士が右手を伸ばし、親指と人差し指で作ったL字を見ながらつぶやく。どういう観測方法かと問う者はいない。

 南は我に返る。自衛隊の上位者らしい男に近づいて小声で言う。

「爆破の用意は?」

害獣の発する異音で声が通りにくいが、大声を出すのがはばかられる。隊員も南に顔を寄せて言う。

「完了してます。この起爆装置を作動すれば順番に爆発します。」

いつの間にか敬語になっている。が、もはや気にする者はいない。

「爆破のタイミングは?」

「防護壁近くに配置した隊員が、知らせてきます。」

南が防護壁の方を見ると、即席に掘った塹壕から自衛隊のヘルメットと通信機が見えた。

「指揮棟から防壁隊へ。状況を知らせよ。送れ。」

隊員が無線機に呼びかける。

「防壁隊から指令棟へ。害獣は防壁に接近中。このままの速度なら、あと五分で起爆地点に達する見込み。送れ。」

「指令棟から防壁隊へ。了解した。引き続き観測せよ。通信終わり。」

指揮官は満足げにうなずく。

「防壁隊と呼称しますが、、二人です。島に派遣された人数自体が少ないから、最小人数の派遣です。害獣の最接近を確認し、通信を送ったら直ちに撤退します。彼らが安全圏まで待避したのを確認したら起爆します。地獄穴への土砂崩れとともに、害獣は滑り落ちまる手はずです。」

「見事だ。」

南は思わずつぶやく。不測の事態に、短時間でよく段取りを整えた。一つ間違えば命がない任務、更には被曝の恐怖と巨大害獣の威圧に耐え、隊員たちは冷静に対処している。日本の自衛隊は優秀だ。きちんとした指揮が執れている限り、感嘆すべき仕事をする。

 その間にも害獣は進む。指令棟の隣の自衛隊のテントを、残された備品ごと踏みつぶしていく。キャタピラに似た動きとは言え、人間が扱う重機とは比べ者にならない重量と頑丈さだ。害獣が通りすぎたあと、テントは文字通り跡形もなくなっていた。それなりの強度があるはずの支柱も、害獣の小さな突起で数えきれないほどの回数踏み砕かれ、細かく引き裂かれたのだろう。

 時間がゆっくりと過ぎていく。

 突然、通信機からガーっという雑音が響いた。

「指令棟から防壁隊へ。雑音が入信している。聞こえるか? 状況を知らせよ。送れ。」防壁隊から発信はしているようだが、激しい雑音で聞き取れない。

指揮官は通信を繰り返すが、通信機は雑音を出すばかりだ。

「電波障害ですな。これは想定外でした。地獄穴の放射線と害獣との共鳴で太陽フレアのような現象が起こっているのでしょう。ここまで接近してから起こるとは、興味深い現象です。」

南は、「そんな馬鹿な」とも「そんな解析してる場合か」とも言わなかった。常識では計れない事象が起こり続け、感覚が麻痺したのかもしれない。

「防壁隊から手旗信号です。」

隊員が言う。

防壁の方を見ると、塹壕から出た隊員が両手を振っている。

「通信機故障 害獣、間モナク 最接近」

旗を持っていないが、この距離なら手の動きで読みとれる。隊員が信号を読み上げる。指揮官が指示する。

「防壁隊に返信、『了解』」

隊員が外に飛び出し、両手を振る。

「見事です」

と南は再びつぶやく。想定外の事態でも冷静に対応してくれる。

「しかし、これはまずいぞ。起爆信号が着信しないんじゃないか?」

 田浦の疑問に南は絶句する。起爆装置は無線で起爆する。有線だと害獣に踏みつぶされる恐れがあるからだ。線を引っ張る時間も惜しいから無線にしたのが裏目に出た。

 じりじりと時間が過ぎる。

「防壁隊から手旗信号。『目視デノ確認 害獣 最接近 停止した』」

隊員が読み上げる。

「防壁隊に返信、『了解 直ちに待避せよ』」

隊員が再び飛び出す。ほどなく、防壁から二人の隊員が駆け戻ってくる。

「防壁隊。安全圏まで待避しました。引き続き、指令棟に向かっています。」

「よし、起爆。」

起爆装置のスイッチを押す。反応はない。やはり電波が届かないのだ。

 静かだ。害獣が停止したため、駆動音も消えている。

「ここまで来て、何か方法はないか。」

「電波が届く場所まで近づけばいい。最悪、受信機に発信器をくっつければ起動する。」と田浦。

「特攻など認めん」

と南。

「ほかに手はない。」

田浦の右手にはいつの間にか拳銃が握られている。指揮官は反射的に腰のホルスターに手を伸ばした。しかし、そこに収められているはずの拳銃がない。

「自衛隊のくせに、抜き撃ち用の堅いホルスターなんか使うからだ。覚えておけ。自分が抜きやすいってことは、こうやってすり取られやすいんだ。」

田浦は左手で起爆装置を取る。

「やめろ」

南が叫ぶ。それに気を取られた田浦に指揮官が飛びかかろうとしたとき、銃声が響いた。

 門地警備員が天井に向けて拳銃を発射したのだ。

「田浦さん、行ってください。」

「やめろ」

再び叫ぶ南に門地警備員の銃口が向けられる。

「動かないで。」

田浦はもう一度起爆装置を押す。

「やはり、故障ではないな。これなら電波が届く範囲に近づけば起爆する。じゃあ、ちょっと行ってくる。」

 田浦は指揮棟から飛び出す。戻ってきた防壁隊とすれ違う。怪訝な顔の二人に指揮官が叫ぶ。

「その男を止めろ。」

何を言われたのか分からない二人が躊躇しているところに、銃声が響く。門地が拳銃を撃ったのだ。訓練された自衛隊員は反射的に伏せる。その間に田端は走り抜ける。早い。もはや防壁にたどり着くまで誰も追いつけまい。

 防壁に近づきながら、田浦は起爆スイッチを押し続けている様子が見える。だが、爆発しない。やはり受信機に最接近しないと作動しないのか。既に安全圏から外れている。それでも田浦は躊躇なく走る。

 田浦が害獣の後部を超え、防壁に達しようかというところで、地面から、ボコッと音がして地表が陥没した。ついに起爆したのだ。爆発方向が制御された特殊な爆薬は爆風を上げない。ましてや映画のように炎を吹き上げたりしない。

 一見、地味に見えるが指向性爆薬の効果は絶大だ。連動した爆破は地獄穴の縁を瞬く間に打ち崩していく。その崩落に、田浦の姿は一瞬で見えなくなった。

 計算どおり、四五度の傾斜に流れ落ちた土砂は、害獣の巨体を飲み込んで地獄穴に落ちていく。

 巨大な土煙は指令棟まで押し寄せてくる。もはやボロボロの指揮棟に土埃が舞い込み、一同は咳き込む。

 埃が晴れたとき、地獄穴の縁に幅二〇メートルに渡る土砂崩れが起こっていた。害獣は見えない。地獄穴に崩落したのだ。

「終わり、か……」

南のつぶやきを否定するかのように、地面が震えだした。地震は急速に激しくなっていき、立っていられないほどの縦揺れが起こる。加えて、小さな島なのに地響きが鳴り渡る。

「こりゃ、普通の地震じゃない。こんなプレハブじゃ保ちません。外に逃げましょう。」

稙田博士が言う。

 自衛隊員が戸を開こうとするが開かない。振動で立て付けが歪んだのだ。

「かまわん。蹴破れ!」

 指揮官の指示で隊員たちは戸を蹴飛ばす。揺れで体が定まらず、力が入らない。だが、屈強な自衛隊員たちに立て続けの蹴りに、プレハブのアルミ戸が耐えられるはずがない。

 戸は弾き飛ばされる。その間も地震は激しくなっていく。一同は這うようにして屋外に逃げ出した。

「震源はたぶん島の中央、地獄穴です。海岸に逃げましょう。船着き場はコンクリート製です。」

と稙田博士。

「地震の時に海に近づくのは危険では?」

と指揮官。

「震源地よりはましでしょう。とにかく建物から離れた方がいい。倒壊する。」

 言う間にも、指令棟が傾き、接合が外れたらしい屋根の建材が滑り落ちる。それがきっかけになったかのように、指令棟は見る見る崩れていく。

 一同は四つんばいで海岸に移動する。

 一〇メートルも動かないうちに一同の足は止まった。逃げ込もうとしている船着き場が倒壊していく。揺れのなか、スローモーションのように崩れたコンクリート片が海に飲み込まれていく。

 船着き場が壊れているだけではない。海がせり上がってくる。いや、島が沈んでいるのだ。振り返れば、島の中央の地獄穴は害獣を競り落とした部分以外も縁が崩れていく。頑丈なはずの防護壁も地獄穴の内側に崩れ落ち、穴に飲み込まれていく。

 一夜で隆起した瓜生島は、今また伝説と同じく、一刻で別府湾に沈もうとしている。

「困りました。逃げ場がありません」

稙田博士は冷静というより、どこまでも浮世離れしているな、と南が思ったとき、ひときわ激しい縦揺れが一同を襲った。

 南は中空に放り出され、そのまま地面に叩きつけられた。波がすぐそこまで迫っているな、と思いながら、南は気を失った。 


   13 再建へ

 ゲホゲホと海水を吐き出しながら、南は意識を取り戻した。

 人工呼吸で肺を押していた男が手を止める。吐き出した水をまた喉に詰まらしかけた南は男の強い力でにうつぶせにされた。水を吐き出すと、激しく咳き込んだ。背中をさする男を手で制して、南は上半身を起こした。

「息を吹き返したぞ。本部に連絡しろ、『救助者一名、蘇生』」

「了解。こちらアクアランド所属のアクア一号。臨時害獣対策本部、聞こえますか。先ほど確保した救助者一名が息を吹き返しました。繰り返す。救助者が息を吹き返しました。送れ。」

雑音が激しいスピーカーから応答が流れる。

「臨時害獣対策本部からアクア一号へ。一名が蘇生、了解した。救助した人数を再報告せよ。送れ。」

「アクア一号から臨時害獣対策本部へ。本船の救助者は一名。他船の状況を知らせよ。送れ。」

「臨時害獣対策本部からアクア一号へ。貴船の他に救助報告なし。」

 南は再び意識がもうろうとしてくる。ぼーっとしまたま船員たちのやりとりを見聞きしていた。どうやら海に飲み込まれた後、この小型船に救助されたようだ。しかし生きている実感もなく、ともすればまた気を失いそうになる。

「おい、しっかりしろ」

人工呼吸していた男が南の肩をつかんで揺さぶる。されるがままになっているのを見て平手打ちする。それでも反応がないのを見て、更に頬を打つ。

「飲め。一息にいけ」

 ポケットから小瓶を取り出し、フタに琥珀色の液体をついて南に突き出す。

 南は言われるがままに飲み干す。強いアルコールにむせ、咳き込む。胃が焼ける。

「何ですか?」

「ブランデーだ。こう言うときに飲ませる海軍の伝統だ。」

(俺は軍人じゃない)と南は嫌な顔をしたが、悪態をつく元気はなかった。

「正気に戻ったようだな。名前は?」

「南一郎。瓜生島対策臨時室長。」

「ほう、お偉いさんだな。おい、本部に連絡しろ。救助者は南一郎、対策室長、とな」

 無線手が復唱する。ようやく頭が働きだした南は男に尋ねる。

「状況を教えてくれ。」

「瓜生島が水没後、生存者救出の要請を受けた本船は佐伯港を出港した。二時間ほど前から救助活動を行っている。本船の他には、近隣から集まった一〇隻ほどが救助活動に当たっている。これまでのところ、君の他に救助者はない。」

「そんなはずない。稙田博士も門地さんも一緒にいたんだ。俺が助かったのなら、鍛え上げた自衛隊員が無事なはずだ。もっとよく探してくれ。」

「やってるよ。」

男は語気も荒く、南をにらみつける。

「だが、期待するな。島一つ沈んだんだぞ。別府湾に入れるようになるまで一晩待たねばならなかった。」

「そんなに時間が経っているのか……」

「君が助かったのも奇跡だ。ベルトに舟の残骸が引っかかっていた。それが救命胴衣代わりになって、君は浮かんでた。」

男は傍らをあごでしゃくる。

 長さ一メートル程の木材が転がっている。破損した小型舟の測弦のようだ。古い舟だろう。白い塗料がくすんで剥げかけている。破砕された先端に消えかけた文字がかろうじて読みとれる。

「……神丸--第五福神丸、米水さんの舟だ。」

「知り合いか?」

「害獣を瓜生島に誘導した人だ。」

南は木片を抱いてつぶやく。

「『助けが必要なときはいつでも呼んでくれ』って。最後まで、助けてくれた。」

 船員が近づき、男に声をかける。

「神崎園長、いったんおかに戻りましょう。救助者を病院に搬送しなければ。」

神崎はうなずいた。

「俺は大丈夫だ。捜索を続けてくれ。」

「だめだ。残念なから他の生存者は見つかりそうにない。南くん、君も酷い状態だ。せっかく助かったのに、ちゃんと治療しないと、死ぬぞ。」

「俺だけが生き残って。立派な人も、賢い人も、勇敢な人も、みんな死んでしまった……」

「違う。君は沢山の人に生かされたんだ。何が何でも生き抜く義務がある。」

南は嗚咽した。

 二日後、南は医者の診断を待たず、勝手に退院した。神崎園長が言うほど症状は悪くない。ほとんど無傷なのに、痛みに呻く重傷者に囲まれるのはいたたまれない。

 倒壊した県庁舎に代わり、県庁業務は明野庁舎で行っていると聞き、そこに向かった。混乱しきった状態で、自分に何ができるのか分からないが、他に行くところもない。

 南は被害申告の受付係に配属された。害獣上陸時に避難が完了していなかったため、大分市中心部のの被災は南が思っていたより激しかった。この事件の当事者にその受付をさせるのは懲罰人事ではないかとも思ったが、県庁組織はそれどころではない人手不足だというのが実態だろう。

 これまで判明している死者行方不明者一八〇五名。

 もっとも被害が大きかったのは外皮砲の直撃を受けて倒壊した県庁舎で、在席していた職員のほとんど、千人近くの死亡が確認されている。倒壊した庁舎の捜索は今も続いており、調査が進めば更に犠牲者数は増えると思われる。

 受付をしている最中に、南が事実上の害獣対策の指揮者だったと知れた。たちまち犠牲者の遺族が押し寄せてきた。罵倒されるのはまだましで、息子を失って殴りかかってくる老人もいた。泣きながら夫を返してくれと訴える女性を、南は正視できなかった。返す言葉もなく、南は黙って耐えた。

 それでなくても、受付業は過酷だった。申告を受け付けても、どの程度の補償ができるのかさえ不明瞭で、それを非難する人、泣かんばかりに惨状を訴える人、瓜生島の対応への不満を延々としゃべる人もいた。南は被災者にひたすら頭を下げ続けた。その度に、南は自分の感情がそぎ落とされていくように感じた。

 必要最小限の事項を聞くだけの事務的な受付が出来ない南の対応は、一件あたりの時間が長くなる。それでは終わりの見えない被害申告業務が進まないと上司に責められた。南はそれも黙って受け入れた。現実を知らない、責任逃れがうまい上司が勝手なことを言うのはいつものことだ。

 精一杯の努力をした人が死ぬのを間近に見過ぎた。怒りも悲しみも果てた。もはや無力感しかない。こんな扱いを受けてまで働かねばならぬのか。

 県庁なんか辞めてやろうか。そう思うと、無能な上司の叱責など屁でもない。

 受付業務を初めて二日後、豊後総合新報の編集局長が南を尋ねてきた。

「ここにおられると聞いたときは驚きました。県庁も酷い人事をする。

 ご無沙汰です。」

 編集局長は静かに頭を下げた。前に瓜生島での一芝居に付き合わせてから、さして日は過ぎていないけれど、そういわれると随分と昔のような気がしてくる。

「やつれましたね」

と南。もともと細身で気弱に見えた編集局長は、更に血色が悪くなったようだ。

「あなたほどではないですよ」

と編集局長は返す。何日か鏡を見ていないが、自分が酷い有様であろうことは想像できる。

「取材ですか? ご覧のとおり立て込んでますので、できれば業務終了後にお願いしたいんですが。」

「いや。いくら新聞屋でも、今のあなたに話を聞くほど非情じゃありません。

 お知らせしたいことがあって。というか、伝えた方がよいか迷ったのですが、私の口から伝えるのが責務だと思いまして。」

編集局長は一旦言葉を切った。

「末広が死にました。」

南は絶句した。

「行方不明だったのですが、先ほど、県庁舎で遺体が確認できました。無断で取材に行っていたところ、害獣の攻撃にあったようです。」

南は無言で続きをうながした。

「あの日も瓜生島に行きたがっていたのですが果たせず、次ぎに情報が集まる県庁に行ったのでしょう。」

「そんな気はしていました。責任感と正義感の強い男でしたから。立派な男だったのに。死ぬべきは無価値な自分でした。」

南は涙した。枯れたと思っていた涙が止めどなくあふれてくる。友を失い、まだ、悲しむ感情があったのだ。

 編集局長は諭すように語りかける。

「辛いでしょうか、仕事を続けてください。ありきたりの言葉ですが、末広もそれを望んでいるはずです。お互い、生き残ったからには、責務を果たさねばなりません。」

 南は黙ってうなずいた。同じようなことを神崎園長に言われたばかりだというのに。忘れてはいけないことだというのに。

 まだやるべきことはある。この災厄から再建を果たすまでは、苦しくても逃げ出すわけにはいかない。

                                           (了)

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