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終末都市の塵芥  作者: Anzsake
ベゴニア:ヘンカン/ちっぽけな僕ら
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奥からのイレギュラー

窓越しに空を見上げる。クレーンと同じ高さに巨大な影がいた。

足が長い。ダンゴムシを無理やり引き伸ばして足を付けたような姿だが、腹に別の虫が何匹も貼りついている。

その貼りついている虫でさえ1.5メートル近くあるが、それが小さく見えてしまう。


息を呑む。視界に入り切らないサイズの圧迫感に、思考が一瞬止まる。


何より、その長い足の甲殻に灰色の胞子をつけていた。奥地の方からやってきた虫だろうが、ここまで大きなものは見たことがない。


タネが威嚇するが、近づこうとしない。今のタネでも、あれは殺せないらしい。


「何ですか、あの粉みたいなの」


「胞子だ。ここらじゃあまり見ないが……」


胞子が視界を漂っているのが鬱陶しい。目が痒いわけではないが、ただでさえこの街の空は暗いのに余計に周囲が見えなくなる。


奥地にはしばらく足を踏み入れていなかった。だから今、この状況にどう対処するかがすぐには浮かばない。


もちろんこのまま逃げるのが一番だ。だが、僕たちの目的はリズの確保だ。それに、あの虫が人間にどれだけ興味を持つかも分からない。


一度外に出る。僕たちの上を、奴の長い足が跨いでいく。ここら辺をウロウロしているが、どこかへ行く気配はない。建物の間を器用に縫うように足を置きながら、わずかずつ進んでいる。


腹についていた虫が何匹か降りてくる。空気銃で撃ち落とすが、デカ虫は無反応だった。


貨物列車に近づく。胞子が視界を覆うのが気に入らないが、奴が動かない今がチャンスだ。中を探すが、人はいない。木箱がいくつか置かれ、薬や鉄材が詰まっている。ツユクサが欲しがっていたのはこれかもしれない。


他の回収員たちと合流するが、リズの姿はない。


「もう逃げたか、誰かに連れて行かれたか……」


胸の奥が冷える。目の前で奪われた顔が脳裏に浮かぶ。あの時動けなかった自分の腕を思い出す。


「もういいです!皆さんを巻き込むわけにはいきません」


「どっちにしたって、奥に進むならあれの対策くらいは見ておきたい」


人員は貴重な資源だ。余程のことがなければ、見捨てるわけにはいかない。


足元に近づいて斧を振り下ろす。レバーを引き、ブーストをかけて振り抜くが、甲殻に弾かれ軌道が逸れる。足が上がり、踏み潰されそうになる。咄嗟に転がって回避した。


空気銃も効かない。腹に貼りついた虫で弾が止められる。今の装備品では太刀打ちできない。


「――あれはもう死ぬ。気にしなくていい」


知らない声に、全員が一斉にそちらを向く。ツユクサといたケラ喰いだった。背中の腕は二本。尻尾はタネより少し大きい。


普通に言葉を返してくる。だが、その無表情な顔と声の温度が釣り合わず、背中が少しだけ冷える。


「……流暢に喋るじゃん」


「もう死ぬってのは?」


タネが威嚇するが、ケラ喰いは動じない。


「大きくなりすぎたケラは、仲間と食べ物を持って遠くへ行こうとする。そこで死んで、新しい生息域を広げるんだ」


デカ虫はまだウロウロしているが、少しずつ南へ向かっていた。ケラ喰いが歩き出し、それを追うようにして僕たちもついて行く。


「……君、名前は?」


「ユユ。そっちのタネは?」


「タネ」


「それは知ってる」


「他にも名前があるのか?」


「あんたらと同じだよ。タネは種族名だ」


タネが首を傾げる。よく分かっていないようだ。僕も分からない。


「それは誰につけてもらったんだ?」


「ママ。私たちを産んだタネ個体だよ」


「ママって、お母さんって意味じゃないんすね」


「ツユクサに聞いた時、私も驚いた。図らずも同じ意味を持つ言葉があるんだね」


タネに慣れ始めていた頭に、普通に喋るケラ喰いが現れて混乱する。女性らしい話し方をするなら、服を着てほしい。


工業地帯を抜けると潮の匂いが鼻を刺す。久しぶりの海が見えた。だがここはのんびり座っていられる場所じゃない。


横倒しになったビルを抜けて海へ出る。ところどころ沈んだ建物が顔を出している。水位が上昇したのだろうか。足元が濡れる程度の深さで、デカ虫は姿勢を低くし地面に体を伏せた。


貼りついていた虫が動き出したと同時に、ユユが飛びかかり虫を殺し始める。それを見て、タネも飛び出す。


その光景を眺めながら、ぼーっと腰を下ろす。


息絶えたデカ虫から胞子が漂っている。風に舞って視界を霞ませる。


旧市街のことは、まだ何一つ分かっていない。


食事をそこそこに終え、ユユが戻ってくる。タネはまだ食べていた。


「……ツユクサは殺した」


「そうか」


ユユは悲しそうではなかった。虫の体液を海で洗い流している。


「君はなぜそんなに上手に喋れるんだ?」


「背中の腕が二本のやつは、大体そうだよ。あの個体は知らないが」


「腕の数で変わるのか?」


タネが食事を終えて戻ってくる。まだ少しユユを警戒していて、僕の影に隠れる。


「基本的に背中の腕は六本だ。それ以下は六本に勝てず住処を追われる。でも、二本の個体は知能が高い。ママの言葉もすぐに覚えられる」


「ツユクサのこと、怒ってないのか?」


「別に。色々教わったのは感謝してる。でも、人間はここで生きるのは無理だ。いつか死ぬって分かってた」


潮風が冷たく肌を撫でる。聞きたいことは山ほどあったが、どこまでユユが知っているか分からなかった。


「そういえば、お前たちと同じ服を着た男に、さらった女を取られた。そこのタネが着ているそれは、仲間の証か?」


「どっちに行った?」


「そこまでは分からん」


ジニアだろう。ここに来て目的がひとつに収束する。


急がなければ。


「胞子」(ほうし)

旧市街に漂う灰色の微粒子。自力移動はできず、風や生物に付着して広がる。


虫の主食であり、虫の行動範囲・生息域を決定づける要因となる。人体への有害性は確認されておらず、現在は視界不良や機材汚れの問題として扱われている。


旧市街奥へ進むほど密度が上昇し、特に外縁10km地点以遠で目に見えて増加。虫にとっては食料だが、人間にとっては行動を阻害する障害物であり、回収員の装備必携理由の一つとなっている。


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