同種殺し
コミュニティの周りには線路がいくつも走っている。
敢えてそういう場所を選んだのだ。
理由は二つ。
ひとつは、非常時に解体したレールをすぐ復旧作業へ持ち込めるためだ。
破損したレールを外し、散らばったバラストをかき集め直す。
朽ちた枕木を引き抜き、新しいものへ交換し、新品のレールを固定する。
これを、この先2km分行う。
今晩も僕とタネは虫の警戒を担当する。
線路復旧に十五人。警戒に僕一人。残り四人で少しずつ電車を前進させる。
1km地点で休憩を挟んだとき、作業員たちは普段力仕事をしているとはいえ、慣れない作業にすっかり疲弊していた。
大型の空気清浄機を起動し、皆が無言で水を飲む。
僕だけは息ひとつ乱れていない。警戒役は有事以外では疲れることがない。
それが、なんだか申し訳なかった。
「僕だけ何もしてないみたいだ」
「ベェさんが疲れてたら、昨日は全滅の可能性もありましたよ。気にしないでください」
シライシが汗を拭いながら笑った。
「そうか……虫は任せろ。シライシたちは存分に働いてくれ」
「ベェ、お腹空いた」
疲労に紛れてタネが呟き、小さく笑いが零れた。
目的の最後のレールの交換が終わる頃には午前三時を回っていた。
「もー無理だ。俺動けねぇ……」
座り込むシライシ。カリンとリズは地面に頭をつけて、息を吐いている。
皆の元へ歩み寄った時、貨物列車がわずかに動いた。
先頭の動力が稼働し、発進しようとしている。
慌ててアンカーを飛ばして引き止めるが、ワイヤーをあっさり切られた。
顔全体を覆うガスマスク。I型ガスマスク。
他の回収員は初めて見るだろうし、僕も久しぶりに見た。
「よぉ。チビおやじ」
懐かしい声だった。
失踪した黎明期の仲間。ツユクサ。
あれから一年以上、生きているとは思っていなかった。
「……おやじじゃねぇよ」
ツユクサはボロボロのパーカーのフードをかぶり、相変わらず細い体を晒している。
「チビは否定しないのな」
「…ツユクサだよな?」
「俺に似た奴が居るのか?どんなセンスのいい奴だよ、是非会いたい」
「お前みたいなのが2人も居てたまるか」
「感動の再開で悪いんだが、俺もこいつが欲しくてね」
昔と変わらない、鬱陶しい仕草と声。
昔は嫌いじゃなかったのに、今見るとその細さも相まって、どこか気持ち悪かった。
回収員たちが武器を構える。
ツユクサを一人殺すだけなら空気銃で済む。
だが、貨物列車ごと盗られるのは避けたい。
「せめて半分ずつにしないか?」
「それはダメだ」
「一両」
ツユクサはわざとらしく考える仕草をした。
その態度が、だんだん腹立たしくなる。
「じゃあいいよ。昔のよしみで、一両ね」
「……助かるよ」
貨物列車の最後尾が切り離される音がした。
その瞬間、背後でリズの声がする。
ケラ喰いがリズを抱えて飛び出した。
「リズ!」
タネが反応し、しっぽで叩き落とそうとするが、ケラ喰いの背部腕に弾かれる。
ツユクサはいつの間にか列車に飛び乗っている。
「一両の対価は貰ってゆくよ。じゃあな、チビおやじ」
大袈裟に手を振り、リズを盾に電車が南へ走り出した。
僕は呆然と立ち尽くすカリンを横目で見ながら、心の奥が冷たくなるのを感じていた。
僕一人では、やはり何も出来ない。
残った一両を連結させ、全員で帰路に備える。
疲労とショックで全員が無言だった。
あの場合、女が狙われるのは当然だ。
僕の判断ミスだ。
殺すべきだった。あの瞬間に。
「……動けなかった」
シライシが呟く。
カリンも俯いたまま動かない。
リズは新しい後輩で、シライシが特に贔屓にしていたのを知っているだけに胸が痛んだ。
「……奴を追う。先に帰ってていい」
ワイヤーを交換しながら告げると、全員が立ち上がった。
「俺も行く」
「黙っていられない」
「リズちゃんに手は出させん」
カリンはまだ呆然と立ち尽くしている。
カリンの前まで歩み寄り、その顔を覗き込んだ。
カリンは目をそらした。それを見て悔しさが胸を刺す。声にならないようだ。
「カリン、僕のミスだ。ごめん。今から追うけど、どうする?」
カリンはぎゅっと唇を噛んだ。
「……僕は、あなたの仲間を殺してしまいそうです」
「なんだ、奇遇だな。僕もそのつもりだ」
電車の防衛に半分、リズ奪還に半分の戦力を割く。
タネは言わずもがな、シライシもカリンも奪還に加わった。
線路を辿れば目的は見失わない。
南へ続くレールを歩いて十分。
工業地帯で停車している貨物列車を見つけた。
タネが低く唸り、周囲を警戒する。
ケラ喰いが列車の屋根で何かを貪っている。
ツユクサに懐いているのかもしれない。
密集した建物に身を潜めながら倉庫を囲む。
「……あれを放置しておく方が厄介だ。ここで見つける」
「ですが、早く逃げた方が……」
「追っ手は来てるか」
「タネの反応はありません」
ツユクサの声が漏れ聞こえる。
僕は深呼吸し、全員へ小さく頷いた。
「一旦待ってて」
そう言い残し、扉を蹴破った。
部屋の奥にツユクサと取り巻きが二人。
武器は構えていない。
「……おやおや、おかえりチビおやじ」
「会いたかったよ、ヒョロガリ」
「悪いことは言わねぇ、早く逃げな」
「…女の子はどうした」
「お前年下好きか?やめとけよ、お前にはもっとヒマ──」
ツユクサが口を開いた瞬間、銃声が二度。
ツユクサの胸に二発命中。
回収員が突入し、取り巻きも即座に片付けた。
この状況で言葉を交わす時間はない。
カリンがツユクサの死体に近づき、立ち尽くしたまま見つめている。
ゆっくりと僕の方へ振り返った。
「ごめんなさい……顔を見たら、撃ってました……」
「まあ、ガスマスクで顔は見えてないけどな」
そう言った僕の声が思ったより冷たく響いた。
シライシが駆け込んでくる。
「ベェさん! 窓の外、見たことない虫がいる!」
窓の外に見えたのは、虫の巨大な甲殻だった。
足だけで人間より大きい。
「こいつのケラ喰いも逃げましたよ! 俺らも逃げましょう!」
倉庫がわずかに揺れ、甲殻の影が這う。
外でタネが低く唸る声が響く。
「Ⅲ型ガスマスク」(さんがたがすますく)
旧市街の大気汚染下で回収員が使用する呼吸維持装備。ガスマスクは以下の三型が存在する:
•I型: 顔全体を覆い、フィルタ交換式。黎明期から使用。
•Ⅱ型: I型にボンベ送気機能を追加した併用型。古参回収員が愛用。
•Ⅲ型: ボンベ供給専用型。フィルタ式を廃止し、軽量化と視界確保のため口鼻部のみを覆う簡易構造。
当初は胞子対策としてI型が必須だったが、胞子の無害化確認後、大気汚染対応に重点が移行し、Ⅲ型が主流となった。現在は古参がⅡ型、他回収員がⅢ型を使用するのが一般的である。