ケラ喰い
タネが一歩下がる。タイマンじゃ勝てないと踏んだらしい。
四本の背部腕を持つ個体が、こちらへじりじり近づいてくる。タネと戦ったことはないが、あれも食って増える生き物だ。死ぬときは死ぬ。
僕は一歩前に出て、体を大きく見せる。僕がやっても大して意味無いかと思いすぐ辞める。
細いしっぽが空気を切り裂いて伸びる。五メートルは離れているのに、一瞬で首を狙ってきた。最小限で避ける。向こうも急所が分かっている。
しっぽが首を巻こうとした。斧を振り下ろすが切れない。しゃがんで首を締められるのを避ける。後ろから迫る突きを、タネが弾いた。
「ベェ」
「助かる」
個体はしっぽだけの攻撃をやめ、距離を詰めてくる。飛びかかる腕を潜り抜け、腹へ斧を浅く叩き込む。レバーを引く。空気圧で斧が加速し、伸びてきたしっぽを叩き落とした。
血は赤い。衣服の切れ端が混じっている。こいつ、人を食った可能性がある。
四本個体が身を引いたが、ここで仕留める。
四本個体に駆け出す。怯えが見えるが、しっぽは止まらない。有線の攻撃は軌道が分かる。軌道を辿り、干渉し、ずらす。
斧の間合いに入った。勝負は一瞬。
四本個体が口を大きく開く。そこへ斧をねじ込む。固くて切れないが、それでいい。この斧は押し込むためにある。
タネが迫るしっぽを弾く。
レバーを引く。もう一度。
頭を地面に叩きつける。しっぽが緩んだ瞬間、タネが胸を貫いた。動きが止まる。
死体を拘束し、貨物列車へ運び込む。小型斧のカートリッジを交換する。燃費は良くないが仕方ない。
拍手しているやつがいるが、恥ずかしいのでそそくさと電車へ戻った。
褒められるようなことをしたのは分かっている。だが、僕は別に褒められるような人間じゃない。
「ベェ」
タネが裾を掴む。頭を撫でると、猫のように擦り寄ってきた。
「勝てるやつ他にいますかね?」
水を飲んでいるとシライシが来る。
「タネ無しなら、分からなかった。」
「その時は別の作戦もあったんでしょ?」
否定はしない。どこかでタネを信頼しているのは事実だろう。
「僕は、指示された戦闘をやるくらいしか能がない。マリーやジニアの方がよっぽど凄い」
「さすが古参。役割分担ができた組織は強いですよね」
「今はバラバラに動いてるけどな」
背丈以外は普通に褒めてくるシライシが、良いやつだと思う。
⸻
何度目かの岩の爆破で、前方に貨物列車が見えた。四両編成だ。
線路拡張計画は、ここまで復旧できれば目処が立つ。
帰り道に、夜が明ける。朝日が区切りを告げる。
「綺麗ですね。」
横でカリンが東を見て呟く。リズも同じ方向を見る。
昔は僕も同じことを思った。今では虫の湧く合図だ。歩を速める。
「これから虫の大群が湧く。死にたくなければ急げ。」
電車が揺れる。虫がぶつかってきた。嵐でガラスが割れ、今はシャッターで塞いでいる。
採光できないのは残念だが、寝やすいのは利点かもしれない。
カリンとリズは、虫がぶつかるたびに怯える。シライシが欠伸をしながら励ましている。
タネは殺した四本個体の横で座り込んでいた。
近づいて、隣に座る。
「なぜ殺すんだ?」
「ママになれないから。」
「他の奴がいるとママになれないのか。」
「そう。」
母の腹で兄弟を食う魚がいた気がする。名前は忘れた。
「なぁ、こいつらなんて呼ぶよ。」
回収員が近づいてきて言った。
「みんなタネって呼んでるが、タネはこの子一人だろ。」
回収員がタネの頭をわしゃわしゃする。タネは嫌がった。
「すまんすまん。別の呼び名をつけた方がいいんじゃねえか?」
「そうだな。」
考える。ファンシーな名前は嫌だ。長い名前も呼びづらい。
「ケラ喰い、なんてどうだ。」
「ケラ?」
虫がぶつかる音がした方を指さす。
「ああ、虫けらを喰うからケラ喰いか」
回収員は豪快に笑った。
「あれを虫けら呼びできるのは、お前さんくらいだな」
そういう意味じゃないが、まあいいか。
「さっきの戦い、かっこよかったです。」
シライシとリズは寝ている。座っていると、カリンが声をかけてきた。
「ありがとう。」
「シライシさんに聞きました。ずっとこの仕事を?」
「そうだね。これくらいしかやることがない。」
「怖くないんですか?」
虫がぶつかる音がして、カリンが身をすくめる。
「そうだな、怖くない。」
「なぜ?」
「死んだ方がマシだと思うと、怖くなくなることがある」
タネと初めて会ったときは怖かったが、今はもうその恐怖すら起こらない気がしている。怯えていても仕方ない。
「そうですね。」
カリンはリズの方を見る。カリンにとって“死ぬより辛いこと”はリズを失うことなのだろう。
「一応聞くが、二人は双子か?」
「双子じゃないですよ。父親が同じ腹違いってやつですかね。」
「その親父は。」
「僕が殺しました。リズには邪魔だったので。」
当たり前のように笑顔で言う。
覚悟はもう決まっているらしい。
「いいね」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
「ベゴニア」
自称三十手前。年齢不詳。
古参回収員のひとり。体格は小柄だが、その小ささゆえに虫との接近戦を得意とする。
瞬間討伐数は過去最高記録保持者で最も多く虫の血を浴びた男と呼ばれる。
任務は確実に遂行するが、本人は自分を「褒められるような人間ではない」と評している。