虫の嵐
「嵐」は最近起き始めた現象だ。
雷雨が来ると、虫たちが都心部から一斉に低空飛行で移動し、嵐が収まる頃にまた都心へ戻っていく。
過去に2度遭遇したが、どちらも痛い目を見た。
逃げる方がまだマシだと、簡易拠点を畳んで電車に飛び乗る。
ジニアを含む数人がまだ戻らないが、渋々食料を置いて発車した。
電車が速度を上げる頃、遠くで雷が鳴る。すぐに黒い壁のような虫の群れが迫り、車窓にシャッターを下ろす。
電車が揺れ、バチンバチンと虫がぶつかる音が響く。
「ベェ、お腹空いた」
タネは呑気だが、全員が緊張で立ったまま警戒する。俺とシライシは最後尾車両で待機する。
「なんで貨物列車じゃないんですかね」
「前に壊れた。今はこれしかない」
シャッターが大きく凹む音がする。
「ケラ…」
タネが呟く。虫が一斉にぶつかり、何度目かの衝撃でシャッターが破れた。
虫が車内に転がり込み、不規則にのたうち回る。
タネがしっぽで突き刺し即座に仕留める。続けて入ってくる虫も同じく仕留める。
穴から顔を出したタネを見て、虫たちが車両を避け始めた。タネは旧市街の方をじっと見つめている。
嵐が過ぎ去る。これなら2度目の嵐に巻き込まれず帰れるだろう。
車体上部の扉を開けて別車両の仲間と生存確認を取る。
外を見ると車体は虫の液体で染まり、壁はベコベコだが動作に問題はない。
「いやぁ、緊張しました。死ぬかと思いました。心臓バクバクです。ギターがあれば良かったんですが」
「それだけ喋れるならボーカルも行けるな」
タネの方を見ると、倒した虫を並べて食べている。
車上に出て風を感じながら遠くを見る。この国で一番大きな山が霞んで見えるが、今どき登る奴なんていない。
電車は高架線を走り、麓のコミュニティへ戻る。名前はない。ただの拠点だ。
停車後、荷下ろしと感染症確認、念入りな殺菌が始まる。その間に担当者がタネに気づく。
「この子は?」
「懐いてる未確認生物だ。マリーに報告する」
破れたタネのジャケットから腕が伸びるが、担当は冷静だ。
シライシとタネと本部へ向かう。元は集会所だった3階建ての小さな建物だ。
「はい」
ノックして入ると、マリーゴールドが報告書を確認していた。回収員のトップ、女幹部だ。
「その子は?」
面倒なのでタネに腕としっぽを出させ、口を開けさせる。マリーも驚かない。
「…タネか」
「種族名なんですねー」
「ベェ、お腹空いた、何か食べたい」
「…ここまで話す個体は初めてだ」
マリーはタネに目線を合わせる。
「好きな食い物は?」
「ケラ」
マリーが笑うのを久しぶりに見た。
「来な。この生き物、西でも確認されてる」
地下の檻にはタネに似た個体がいた。目が合った瞬間、互いに口を開けて威嚇し合う。
「意思疎通できた全個体が『タネ』と名乗り、ケラを食うのが目的だと答える」
「ママとは言わなかったか?」
「ママ?言ったのか?」
「ママに言葉を教わったと、都心部を指してた」
檻の個体が檻を壊して飛びかかり、タネと取っ組み合いになるが一瞬で決着する。タネがしっぽで串刺しにして殺した。
「いいのか、サンプルだろ」
「同種で殺し合う性質が分かった。十分だ」
何事もなかったようにタネが俺の裾を掴む。
「ベェ」
「懐いてるな。理由はあるのか?」
「ママと匂いが似てるんだとさ」
マリーが顎に手を当てるが、すぐ真顔に戻る。
「まあいい。この調子ならコミュニティで生活できるだろう。周囲には伝えておく。ただし秩序を乱せば即処分だ」
指差したのは倒れた檻の個体だ。タネは理解していないようだ。
外に出ると、シライシがやっと息を吐いた。
「はぁ…緊張した…。同期はやっぱ違いますね」
「そうだな」
「ベェさんは、あーいう敷いてくれるタイプの方が合いそうですね」
「玄関マット位の大きさしかないぞ」
「帰る場所の一番大事な場所じゃないですか。自信持ってくださいよ」
「急に褒めるなよ、調子が狂う」
マリーもかつては共に旧市街を歩いた仲間だ。今では女傑だが、昔はもう少し、いやもっと柔らかかった。仕方ないとはいえ少し辛い。
「ベェさん、これからどうします?」
「タネの生活品をどうするか考える」
「じゃあ俺の買い出しにも付き合ってください」
「…気が乗らない」
ジャンケン、あいこ、あいこ、負け。
ジャンケン以外ならボコボコにできるのに。
「タネ」
タネは都心部で確認されている未確認生物であり、言語模倣能力を持つ。外見は人型で背部から2本の腕と尾を有し、機動力が高い。ケラ(大型化虫)を主食とするが、捕食目的以外の行動基準は不明。「ママ」という発言例あり、母体または発生源の可能性が示唆される。現状、回収活動の補助要員として観察を継続中。正体および目的は未判明。