カリン:「クラウス」(前半)
やっとムカデの後ろ姿が見えた頃には、トラックはもう遠くに逃げていた。
「僕らも逃げましょう!」
「その逃げ腰、べェに染ってない? あんな害虫、ここで潰すでしょ」
「この人数じゃ無理ですよ!」
「でかいだけさ。弱点を叩けば死ぬ。どんな畜生も同じさ」
サルビアさんは楽しそうに笑って、弓を構える。オダンゴさんも無言で武器を構えている。
腰が抜けて座り込んだリズを起こす。
「……大丈夫、僕がついてるから」
「……うん」
仕方なく、僕も武器を取った。
地鳴りが、また響いてくる。どこからともなく、腹の底を這うような音。
「おい! 縦に散れ!!」
左から迫る轟音に、僕はリズの手を引いて走る。建物が崩れる音すら、このムカデの足音にかき消されていく。
「あれ……家、食べてない?」
口の中が見えた。小さな顎が何層にも連なり、細かく動いている。
その口を開きながら、ムカデはコンクリートの地面を砕いて、何もかもを飲み込んでいた。
「はぁ……こりゃすごいな」
サルビアさんが口笛を吹く。僕はこの人のことが正直、ちょっと苦手だ。
「さてと、どう殺すかな」
「僕らだけでも、撤退できませんか?」
「勝手にすれば。弱虫には興味ないし」
軽くあしらわれて、思わずムッとする。
「なんなんですか! その……」
「うるさい」
僕の声を遮るように、サルビアさんは駆け出していった。
矢を番えて、クラウスの口に狙いを定める――が、砕けるコンクリの破片が邪魔で、矢はそれに弾かれてしまう。
「戦えないなら、ヘイトも散るし逃げれば?期待してたけど。まぁ、どっちでもいいか」
「……私に、できることはないですか!?」
先に声を上げたのはリズだった。
振り向いたサルビアさんが、ほんの少しだけ目を細めて笑う。
「どうかな? 自分で考えてみなよ。ボクが合わせてあげる」
「えっと、足を狙うのはどうでしょうか?」
リズの声に、サルビアさんがすぐに動く。
見えていた節足に矢を放つと、矢は関節に刺さり、その脚の動きが一瞬鈍くなる。
その刹那、クラウスの頭部がこちらを向いた。
「走れ!!」
地を這う巨体がこちらに突っ込んでくる。
僕は再びリズの手を引き、横方向に飛ぶように逃げた。後方から崩れる家屋の音と、砂塵と、巨大な咀嚼音が追いかけてくる。
横からタネのしっぽが僕のからだに巻き付き、リズごと安全圏に逃がしてくれた。
「…タネちゃん、ありがと」
リズの言葉に、タネはあまり反応しない。ただ静かに見つめている。
「…リズ、逃げる?」
タネは淡々としていたが、リズはそれに迷わず首を振った。
「ううん。私、あの人を放っては行けない」
「…分かった」
僕だけが逃げたがってるみたいで、みんなだけ遠くに行くみたいで。
勝てないことより、それが悔しかった。
「…あぁ分かったよ。やってやる!」
頬を叩いて立ち上がる。
僕だって、リズを置いていけない。
とはいえ、これは力押しの戦いじゃない。
『勝てない相手に勝つには、運とか仲間とか、外的要因が必要なんだ。個だけでなんとかなるなら、人間はとっくに旧市街を取り戻してる』
師匠の言葉だ。近づくことは出来ない。オダンゴさんも僕も、真正面では手も足も出ない。
サルビアさんの攻撃をどう効かせていくかが鍵だ。多分。
赤い煙が上がっている。補給支援砲台だ。
サルビアさんとオダンゴさんがこっちに来る。
「2人とも、怪我は無い?」
「はい。大丈夫です」
「先ずは補給しなきゃダメだね。問題は、その時間をあれがくれるかどうかだけど」
「…なら俺が、時間を稼ぎますよ」
ぎこちなくオダンゴさんが笑う。地鳴りのせいで少し手が震えているように見えた。
一方のサルビアさんは、いつも通りに目を細めて笑う。
並んで笑い合う2人。全然違う2人なのに、不思議と噛み合っている。
こんな状況でも、妙にたくましく見えるのが腹立たしくて、少し羨ましかった。
轟音と共に補給物資が落ちる。ムカデは今も建物を食べているが、音に気づいて補給物資の方に顔を向けた。
「リズだっけ?ボクと補給品取りに行くよ」
「…はい!」
二人の会話の横で、オダンゴさんが僕を見る。
「カリンはタネちゃんと二人の援護をしてて」
「僕もそっちに行きます」
「大丈夫。俺1人で行けるから」
不安そうに見つめる僕に、オダンゴさんは笑って言う。
「ベゴニアさんなら、ここで食い止めちゃいますもんね。俺だって、やれるだけやりますよ」
メイスを取り出し、オダンゴさんは走り出した。それと同時にサルビアさんとリズも走り出す。
リズの足音が、コンクリートの破片を踏むたびに弾ける。
真っ直ぐ走ってるのに、景色が揺れて見える。心臓の音が耳の奥で響いていた。
「焦らないで。まだ来てないから」
サルビアさんが並走しながら言う。
でもその声に、少しだけ震えが混じっている気がした。
「……はい」
その一方で、後ろで何かが叫んだ。
「おい!こっちだムカデ!!」
オダンゴさんの声だ。金属が何かを殴る音と同時に、クラウスの黒い巨体がゆっくりとこちらを向く。
関節が擦れるような鈍い音が、地面を伝って胸に響いた。
「行くよ!」
サルビアさんの声とともに、再び走り出す。
振り返ると、オダンゴさんのメイスが高く掲げられていた。
瓦礫に埋もれた補給物資を掘り起こす。3人でも、この状況に焦ってしまう。
表面が見えてサルビアさんが取っ手を引き上げる。
中には小さなエアカートリッジ、小さな矢、それに8人分の食料や水やボンベ。
「武器やボンベだけ集めろ、他は後だ」
3人で補給品を掻き集める。少し盛りあがった瓦礫の向こうで地鳴りが響く。それが間違いなく、こちらに近づいている。
「おい!逃げるぞ!!」
サルビアさんがいち早く動く。瓦礫の向こうから巨大な頭が見えた。
僕も逃げようと足を上げた時、リズが瓦礫に足をひっかけた。
「リズ…」
口が先に動いた僕と違い、前にサルビアさんが出てリズを抱き上げる。
「口より先に手を──」
その言葉は最後まで続かなかった。
黒い巨体がサルビアさんを吹き飛ばす。
ムカデが口を開ける。だがその目は、吹き飛ばされた彼女ではなく、瓦礫の上の補給物資へと向いていた。
無数のギザギザが並んだ口が、物資を咀嚼しながら動く。
飛んだ瓦礫のひとつが、僕の頬をかすめた。
その巨大な頭の横に、確かに見える。
血の着いた一本のメイスが、深くめり込んでいた。




