旧市街の静寂
電車が揺れる。
虫が車両に突撃した音がして、窓に黄色がかった液体がぶちまけられる。
虫は大型化して力だけは強くなった。
鎌を持つ種類に体を真っ二つにされた回収員もいる。
ただ甲殻はスカスカだ。
空気銃でも、拾った斧でも、殺そうと思えば殺せる。
問題は数だ。
日中は群れて動く。主食は胞子だから人間は基本食わないが、邪魔だと思えばすぐ襲ってくる。
爆撃なんかできるはずもない。
資材を回収する立場で資材を壊すわけにはいかない。それじゃ本末転倒だ。
天井を見ながら、電車が揺れるのをぼんやり感じる。
これで寝てるやつはシライシくらいだ。
他は各々、点検したり筋トレしたり、暇を潰している。
それでも志願者はそこそこ居る。
歩合制だが、近場を漁るだけでコミュニティで商売するより倍近く稼げる。
だから、命を賭けてでも来るやつはいる。
夕方になり、虫の動きが落ち着く頃。
電車の掃除とメンテナンスが始まる。
これが壊れたら帰れない。
時折飛んでくる虫を空気銃で落としながら作業を続ける。
もうひとつ大事なものがある。
電車に積まれた大型の空気清浄機だ。
こいつがあるから、ボンベの補給もできるし、電車周辺だけはガスマスク無しで生活できる。
濾過フィルターの掃除と交換。
15人ほどで分担して夜までに終わらせる。
夜。ようやく最終チェックを終えて探索に出る。
2日目からは動きも慣れてきて、シライシの準備も早い。
「なんでタネを連れてきた」
「ジニアさんが怖いから連れてけって」
「ベェ、お腹空いた」
言われてしまえば仕方ない。
3人で探索に出る。
今日はシライシを初めて奥地方面へ連れていく。
パンデミック前の地図で言えば、都心を中心に半径50kmほど。1番外側が外縁0kmと呼んでいる。
東端の海岸には別の回収員がいるという噂はあるが、都心で探索している話は聞かない。
先人のルートをなぞりながら外縁7km地点まで進む。
そこから北へ、漁れそうな場所を探す。
「ベェさん、最高どこまで行ったんすか?」
「黎明期の頃は進めるだけ進んでたな。……それでも15kmくらいだ。戻ってこれたのは運がいい」
「ここら辺でもそれなりに危険ですし、奥はもっと凄いんでしょうね」
「いつか連れてってやるよ」
「いやぁ、安全第一ですから。ここら辺でいいです」
「安全第一で僕に着いてくるのは間違いだぞ」
あの頃はタネのような生き物はいなかった。
大規模調査で進んだだけで、物資回収はほとんどできなかった。
色々あってすぐ引き返した。
今はその時いた回収員を古参と呼ぶ。
僕もその一人だ。
壁をアンカーで越える。
タネは四本の腕でひょいひょいと壁を登る。羨ましい限りだ。
雨粒が頬を打つ。
見上げると雨が降ってきていた。
近くの目印のない建物へ入る。
旧市街は雨が多い。
浄化の雨だの海の温暖化だの言われるが、実態は誰も知らない。
タネの体を布で拭いてやる。
「広い建物ですね。なんすかここ」
声がやけに反響する。
ロビーらしい広さ。売店。意味の分からない銅像。
「美術館ってとこかな?」
「へぇ……美術館なんて初めて来たかも」
「そういうの興味無さそうだもんな」
「逆にベェさんが絵の前で立ってるの想像できませんね」
雨の音が遠くで響く。虫の気配はない。不思議な空気。
「こういうの、売れます?」
壁の絵を見ながらシライシが尋ねる。
「買い手がいればな……いないけど」
「ふーん」
建物の中は暗く、ライトの先しか見えない。
これ以上の奥は不要と判断し、引き返す。
売店にあったノートや色紙をいくつかカバンへ入れる。
「雨。行きます?」
「あめ」
シライシの言葉に、タネが復唱する。
「そうだな、行くか」
ジャケットのフードを被り、タネのフードも被せる。
「タネちゃん、これなんて言う?」
シライシが上を指さす。
「あめ」
「同じだな」
「おなじ」
「……急ぐぞ」
酸性雨はあまり浴びたくない。
タネは耐性があるのだろうか。
別の建物へ入る。三角の目印がある。
探索済だが、拾いきれていない合図だ。
大型のショッピングモールだ。
回収員はここを“宝島”と呼ぶ。
「すげぇ……くせぇ」
「くせぇ」
「そうだな。耐えろ」
大型モールだけに、生鮮食品も大量にあったのだろう。
密閉空間の中で腐敗臭が立ち込める。
ガスマスクは大気汚染は防ぐが、臭いは貫通する。
服、雑貨、家電、アウトドア用品。
全てが金になる。
使えそうな雑貨、薬品。
散らばったタバコを何箱か拾う。
軽くて値がつく、コスパ最強の品だ。
「ねぇタネちゃん、これ持てる?」
シライシが家電売り場の冷蔵庫を指さす。
タネは頷き、四本の腕で冷蔵庫を軽々と持ち上げる。
「なにこれ」
「冷蔵庫だ」
「れいぞうこ」
運搬ルートが確保できれば、これは大きな得になるかもしれない。
物音がして振り返る。
虫が四匹出てきた。
1m級の幼体二匹。1.5m級の鎌持ちが二匹。
空気銃のコッキングを引く。
仲間を呼ばれる前に幼体を二匹撃ち抜く。
鎌持ちの一匹が飛びかかってくる。
横薙ぎをしゃがんで避け、腰の斧で鎌を切り落とす。
もう一度振り下ろしを躱し、逆側の鎌も切り落とす。
虫は再生できない。
胞子を食う口は人間には脅威ではない。
もう一匹の頭を空気銃で潰す。
視覚を失った虫はしばらくあらぬ方向へ歩いていく。
鎌を失った虫に、タネが尻尾を突き立てて仕留める。
そのまましゃがみこみ、甲殻を剥いで肉を食べ始めた。
俺とシライシは顔を見合わせる。
「食べます?」
「気が乗らない」
ジャンケンは拒否する。
冷蔵庫に他の物資を詰め、タネが満足するのを待つ。
ボンベの残量を考え、このまま直帰だ。
タネは冷蔵庫を持ち直し、俺の後ろをついてくる。
雨は止んでいる。
登った壁は迂回して電車へ戻る。
「タネちゃん、すげぇな。これじゃシライシも卒業か?」
「不味いですねぇ……家族に何て言おう……」
「“年下の後輩に仕事取られた”って説明してやれよ」
「新しい仕事、どうしましょうね」
受付に物資を納品する。
思った以上に時間が経っていた。
夜明けが来る。
都心側から昇る太陽が目に刺さる。
遠くへ行くほど探索時間は短くなる。
朝日の中で見える都心の空気は、肉眼でも濁っているのがわかる。
「そうだ、大事な話がある。嵐を感知した。今日の昼には帰るぞ」
「あらし」
「次は、持ち帰れるといいな」
「回収員」
汚染された旧市街にて物資を回収し、コミュニティの生活を豊かにする為の職業。
医療品、雑貨、壊れた機械など様々な物を持ち帰りコミュニティを潤す。
虫と胞子と大気汚染の旧市街は生きて帰る保証は出来ず、それでも仕事を続けるのは金やロマンに蝕まれた馬鹿野郎達の集まりだからである。