それが私にできること
タネはマユラの料理に夢中になっていて籠内に置いて行っても問題なさそうだ。
「それでは、お気を付けください」
マユラが深くお辞儀する。リズがつられてお辞儀をする。
武器はない。この素材集めはこの籠内の若者たちによる儀式のようなものらしい。
隣で意気込んでいる若者と目が合う。リズと同い年くらいだろうか。真っ直ぐな視線が眩しい。
「おっ、見ない顔だな。お前らは何を取りに行くんだ?」
「要塞種の甲殻を取りにな。君は?」
「俺はソハラ。弟のソハルに薬草が欲しくてな」
あどけなく笑う。この世界にもまだ、こんな純粋な若者が居るのか。
ソハラがリズを見て目をそらし照れながら肩を揺らす。まだおじさんでは無いが、久しく見た光景に微笑ましい。
「なぁ、あんた名前は?」
「え?」
「いや、別に。聞きたくてさ」
「…リズ、だよ」
「へぇ、いい名前だな」
僕の笑顔にリズがきょとんとする。ソハラが僕に言い訳をするのを聞き流す。
狭い洞窟内は、ここが本当に同じ国とは思えない。風が涼しく空気が澄んでいる。ガスマスク無しで息を吸う。
地表には植物はなく、空気がうっすらと白い。胞子の酸素で呼吸出来るのだろう。ここも旧市街の生態系の一部なのだと分かる。
ソハラと別れてリズと洞窟の中を歩く。
「…不思議な場所ですね。神秘的です」
足元の水溜りは上に空いた穴から微かな光が反射して青と白が壁に映り揺れる。
昔、水族館と呼ばれる施設で似たようなものを見た気がする。
「小さな穴が空いているな。地中を動く生き物が居るかもしれない」
洞窟の穴の浸食を見るに何かが無理矢理通っただろう。要塞種か?確かにこの狭さであの長さの足は動けないだろう。足の短い種が居るのだろうか。
「…ベゴニアさん、お詳しいんですか?」
「まあね、昔色々見てきたからね。もう少し奥に行ってみようか」
迷路のような場所を進む。別れ道の度に軽く跡を残したので恐らく迷うことは無い。
跡の付いた道に出たら、その跡にもう1つ跡を付ける。
回収員の落書きと同じ。そもそもその案は僕が提案したものだ。
ぼんやりと空洞の音だけがする。狭く死角が多く、空気が白く先がよく見えない。
他の生き物の音がしない。自身の足音ですら掻き消えてしまいそうだ。洞窟に空いた小さな穴や胞子と湿気からそうなるのだろうか。
本当にケラ喰いが居るのか。横を歩くリズは綺麗な景色にあまり怖がっていなさそうだが、僕は逆にこの違和感の正体が掴めず不気味だと感じる。
微かに足音がして止まる。反対側からソハラが出てきた。緊張を解き静かに息を吐く。
「あ、リズさん。目的は見つかった?」
ソハラは藻類を握りしめて笑う。目当ての薬草だろうか。
「…いいえ。ソハラさんは見つけられたんですね」
ソハラが歯を見せて笑う。薬草を掲げて見せてくれる。
「おう。でも、もう少しだけ取っておこうかな。今日はなんか元気だし。病気がちの弟の為にも頑張るぜ!」
笑って手を振るソハラが来た道を戻りながら手を振る為にこちらを振り向く。
リズが手を振り返す。
「…良い人ですね」
白い空気を切り裂く様にソハラの後ろから黒いものが迫ってくるのに誰も気づかなかった。
「ソハラ!後ろ!」
前を向いて直ぐにソハラがこちらに駆けてくる。僕達も後ろに走る。
視界も音も悪いこの場所で緊張を解いてしまった。ソハラは前を向いてたら気付いたかもしれない。
水たまりで窪みになってる所に飛び込む。水が跳ねて腰まで濡れる。
「ソハラ!」
手を伸ばす。ソハラの背中のすぐそこに黒い球体が迫っている。
飛び込んでくるソハラの右手首を掴んだと同時に音を立てて黒い球体が目の前を右に転がって行った。
リズが目を見開いて息を飲む。手に掴んでいる人の感触の先がとても軽い。左を見れなかった。
ドシンと小さく音がした後、ベリベリと何かを剥がす音がする。
リズの頭を下げさせ水たまりに肩まで浸かる。
右を覗くと、先程の黒い球体が仰向けになり倒れている。形は要塞種とよく似ているがあしが短い。超巨大ダンゴムシと言った所か。
その甲殻を剥がして中の肉を静かに食べている人型。4本個体のケラ喰いだ。
剥がした甲羅を捨てて肉を貪る。こちらには気づいていない。
「…私、行けそうな気がします」
そう言ってリズが水から出た。止めようと手を伸ばした左手に彼の右手首を掴んでいたのを思い出す。
薬草を握りしめたその右手は汚れや傷の多い手だった。
リズがピチャリと水を含んだ足音を立ててケラ喰いに近づいていく。
武器のない俺が前に出ても共倒れだ。
だがケラ喰いはリズを一瞥して肉を食うのに戻る。
ケラ喰いがリズを外敵と認知しなかったのか?これまで出会ってきたケラ喰いは人間も襲ってきた。こいつは違うのか?それとも、リズが。
こちらに戻ってくるリズは恐怖等の感情は無く、ただ正面から目を逸らした。僕の左側には、ソハラの潰れた死体がある。
「…取ってきました」
そう言って片手で甲殻を受け取る。ズッシリとしていて、しかし金属よりもかなり軽い。
ケラ喰いがこちらを敵視していないうちに水から出る。
「…ベゴニアさん。ソハラさんは私が持ちます」
そう言ってリズは手を出す。ゆっくりとソハラの腕をリズに渡す。
水が落ちる音がする。ソハラからなのか、甲殻からなのか、自分の体からなのか分からない。
無駄にはしない。そう心に言い聞かせ、足元を見ないようにリズと洞窟を後にする。
「落人の籠の洞窟」
この洞窟は、大気汚染や胞子の濃度が極端に高くないため、ガスマスクなしで呼吸ができる珍しい旧市街の環境である。しかし空気が完全に澄んでいるわけではなく、わずかに漂う微細な胞子と湿度の高い空気が洞窟内で音の反響を乱し、反響音が拡散されることで音が響かなくなっている。
また、洞窟内の壁や小さな穴は、地下水や生物の移動によって常に微細な気流が生まれており、この気流が空気の密度ムラを作り出し、わずかな音すら吸い込むように消してしまいる。そのため、自身の足音すら掻き消え、生き物の気配が薄い異様な静けさが生まれてしまった。
青白く反射する水たまりは地上の汚染物を含まない地下水であり、洞窟上部の小さな穴から入る微かな光を反射して揺れ動くため、神秘的な光景を生む。しかしこの「綺麗さ」もまた、生態系が極めて小さい輪の中で閉じているがゆえに生き物の気配がなく、静寂が支配する場所であることの裏返しである。




