命をいただく
崖の下の迷路のような細い横穴を抜けると、広い大きな場所に出た。周囲を崖に囲まれていて遠い地上の上に空が見える。知らないうちに昼になっていたらしい。
シライシたちはちゃんと合流出来た頃だろうか。
「君たちはマスクをしなくていいのか?」
案内してくれた人に尋ねる。
「外に出る時には、我々も口鼻の防護は致しますが。ここは大丈夫です。胞子も虫も居ませんよ」
そう言われるのでガスマスクを外す。空気を吸って安心かは分からないが、少なくとも普段フィルタ越しに感じるあの異臭は無い。
それを見て案内人はにこやかに笑い僕らを大きな建物に案内する。
パッと見の印象は教会だ。奥の壁に描かれた絵はケラ喰いだろう。「タネ様」と言う言葉と繋がる。
そこに立っている老人はタネを見て膝をついた。
先程案内人がやっていたのと同じだ。
「…この時が来ないことを願っておりましたが……ようこそ、遠人の籠へ。私は司教のマユラと申します」
もう一度深く頭を下げられる。おちうどのかご。このコミュニティには名前があるらしい。
いつの間にか周りに人が沢山いて皆同じように膝をついて頭を下げる。そして手を後ろに回し、背中で手を合わせるのだ。
罪人が後ろ手で縛られているようなその姿勢に若干の嫌悪感を抱く。
だがそれを見ていたタネが、伸ばしていた背部腕を同じように背中で手を合わせるように仕舞った。
「…それは?」
「これは、タネ様が背の腕を畳む姿を真似たものです。敵意がないと伝えるための、私たちなりの拝礼なのです」
言われてみれば合理的だ。タネは種族名とユユは言っていたが、こう直接言われると違和感がある。
マユラに案内されて土で造られた小さな家に入る。ジャケットを脱いで外見よりも広い部屋に敷かれた布に腰を下ろす。真ん中には火にかけられた鍋がある。
「おもてなしをさせてください。何かございましたら、お答えします」
マユラさんが鍋のシチューを混ぜながら話す。綺麗な赤系のスープは食材が何かよく分からないが、良い匂いがして食欲をそそる。
これまで食べていないリズのお腹がまた鳴った。
「タネ様というのは?」
「外の人々には馴染みないかもしれませんが、我々はタネ様を"新たな人類"としています。我々旧き人々はタネ様と共にあり、それを支える為に今も生かされているのです」
「…宗教?」
「そう呼んでいただいて構いません。ですがこれは"祈り"では無く、我々の"使命"なのです」
以前タネのことを「新人類」と言っていた人も居た。ここまで根強く信仰されるのも不思議では無い。
皿に移されたシチューはいい匂いがする。少し警戒している僕やリズと違い、タネは気にせずかきこんだ。一瞬でタネの皿は空になる。
「これはなんの料理なんだ?」
「虫の肉を使っております」
タネの皿におかわりを注ぎながらマユラは話す。怪訝な顔をしている僕を見て笑って説明する。
「タネ様の頂かれる物は我々にとっても命のめぐみです。確かにそのまま調理しては美味しくないですが、我々旧き人々が満足できるよう調理してありますよ」
先にリズが食べる。目を見開いてリズもシチューを美味しそうに食べる。
「…美味しいです」
そうこぼし食べる速度が早くなる。
多分僕の方が「虫は食い物では無い」と言う先入観が強いのだろう。思い切って口に入れる。
美味しい。思いのほか柔らかく、トマトに似たシチューの味付けとよく絡み、口の中で余韻が広がる。
エビに似た食感の肉は程よい噛みごたえで、あっという間に皿を空にしてしまった。少し大人げない。
マユラは笑いながら僕たちにシチューを振舞ってくれる。タネがシチューを全て平らげてしまって、鍋は空になった。
「ごちそうさま。とても美味しかったよ」
僕の言葉に頷いてリズが両手を合わせてお辞儀をする。
「料理が出来れば、私も皆さんの役に立てるでしょうか…」
リズが空の皿を見て呟く。
言ったあとでリズがハッとこちらを見た。
目が泳いでいる。
「私も、タネ様に召し上がっていただきとても光栄です。よろしければこちらの調理法はお教えしますよ」
「これ、ケラより美味い」
初めてタネが料理が美味いと言った。とは言え材料はケラだが。
「地下にはとても大きな虫が居ます。とても硬い甲羅で覆われておりますが、タネ様方はいとも容易く甲羅を剥いでしまうのです」
要塞種のことだろうか。確かにあいつの甲羅は斧を弾いた。壊れた斧を思い出す。
「その甲羅を加工し道具を作り、タネ様が食べきれなかった虫の肉を、我々は少しずつお借りしています」
「…その甲羅、武器に出来たりしないか?」
そう言って壊れた斧を見せる。受け取ったマユラに機構を説明する。
「…えぇ、武器への加工は可能です。しかし我々は必要な分のみタネ様から頂いておりますゆえ、差し上げられる分はございません。もしあなた方が採りにいかれるのでしたら、ご案内致します」
「案内してくれ。頼む」
頭を下げる。タネも真似て頭を下げる。
「えぇ、もちろん。ですが、そこは他のタネ様の巣です。そちらのタネ様は同行しない方がよろしいかと」
タネを見る。もちろんよく分かってない顔をしている。
「あの、ベゴニアさん」
リズに声をかけられそちらを見る。真剣な顔で僕を見ている。
「私も…同行しても良いですか?」
「虫肉のシチュー」
落人の籠等で調理される食用料理の一つ。地表の甲虫や飛翔虫の筋肉部を中心に用い、トマト類似果実・香草・塩を加えて煮込むことで臭気を抑え食用可能にする。肉質はエビや鶏肉に似た食感で、タンパク質供給源として重宝されている。
タネ型個体も摂取可能であるが、必ずしも必要ではない。落人の籠では「タネ様が口にするものは恩寵である」と信じられており、調理時は衛生・毒性確認に最大限注意が払われる。




