回収員と旧市街
社会の鎖は外されたのに、人はまだ、人のために生きている。
急停止の振動と音でシライシが目を覚ます。大きなあくびに体を伸ばし、寝起きのアピールを声に出して言う。わざわざ。
今回の回収員は約20人。前回の遠征で嵐に遭い、車両がひとつ吹き飛んだ。生きていたのは運が良かった。電車が止まる。ボロい車両だが、線路が生きているだけありがたい。
装備の最終点検だ。
ボンベの空気を満タンにする。小柄な僕では軽型ボンベで精一杯。それでも呼吸だけなら5時間は持つ。
ワイヤーアンカーを装備ベルトに固定し、ボンベを繋ぐ。
ガスマスクのフィルタを確認して装着。
リュックにぶら下げた大気汚染観測機のバッテリーは満タン。
最後に空気銃のペレットを確認して、外に出る。
時刻は午後10時。ここは旧市街の外縁、5km地点。日中は虫の活動が激しいから、夜明けまでに動く。
遠征は4日間。続々と探索に散っていく回収員たちを見送り、僕はシライシを待つ。
「お待たせー」
シライシが降りてくる。遠征を始めて数回目なら、これだけ気が抜けていても不思議じゃない。と言いたいところだが、それにしても緊張感が無い。
「……アンカーズレてる」
慌てて直すシライシを置いて、さっさと歩き出す。情けない声を出しながら、シライシが後ろからついてくる。
外縁を北上する。前回と同じルートだ。
「いやあ、また地形変わってますね。サビも増えてる」
前回通った道は、ビルの倒壊で塞がっていた。アンカーで越えてもいいが、運搬用ルートは開拓しておきたい。ぐるりと回ってみるが、物資を運べそうな隙間は無い。諦めて乗り越える。
ビルの上部にアンカーを撃ち込む。ボンベの空気圧を使う独自の機構だ。ゆっくりとワイヤーを巻き取りながら、壁を歩いて登る。
「こっちも荒れてますねぇ。俺、こんなの見たことないかも。行きます?」
「気は乗らない」
こういうときはジャンケンで決める。
運の良いほうの選択に身を任せるのが決まりだ。負けたのは僕。
目の前には、大量の虫の死骸が広がっていた。
これを進もうとするシライシは、多分イカれてる。
「べェさんならこれくらい行けますか?」
“べェさん”とは僕のことだ。マリーがそう呼んでいたせいで、いつの間にかそう呼ばれるようになった。
「どうだろう。成功率三割とか?」
「ゼロじゃないんすね。イカれてますね」
「ぜったいれいども、当たる時は当たる」
「命懸けの仕事でそれやります?」
道路に降りて先に進む。人の亡骸は落ちていない。ゾンビパンデミックは悲惨だったが、ここにいた人はもっと遠くまで逃げた。そこから全国へ広がったわけだが。
「シライシはここら辺に住んでたか?」
「いいえ。でも来たことはありますよ。まさかゾンビじゃなくて虫に怯えるとは思いませんでした」
「来たことあるのか。新しい観光スポットだな」
「どちらかと言えば虫が観光客では?」
旧市街に初めて来たときは、みんな膝を落とした。文字通り。
あまりにも生態系のサイクルが早い。虫はこれほど早く進化するのに、人間ときたら。
だが今日は、やけに虫が出ない。
適当な雑居ビルに入る。派手な店の残骸が残っている。酒みたいな嗜好品は高値がつくからありがたい。
「べェさんには刺激的すぎますね」
「そうだな。大きい子供にも刺激的だ」
シライシが背の低い僕をからかうのはいつものことだ。
未開封の酒や誰かの着ていたドレスをリュックに入れる。入りきらない分は玄関にまとめ、外に目印をつけておく。
「どうします?回り道してルート開拓しますか?」
「そうするか」
旧市街は相当広い。パンデミック前の地理で言えば2000㎢あるとかないとか。
回収員の発足から2年。奥にはまだほとんど手をつけていない。虫の数もだが、そこまで進むための装備が足りない。
重型ボンベでも呼吸だけで10時間。線路も、ここまでが正常に使えるギリギリだ。
大気汚染観測機の数値が少し上がる。ここらで電車の方角に戻りたい。
建物の隙間の狭い道を進むが、もっと大きい道でないと運搬ルートには向かない。
進むうちに行き止まり。舌打ちする。
「ぶっ壊したら行けますかね」
「やってみるか」
壁の小さな隙間に、シライシの予備の軽型ボンベを差し込む。リミッターを外し、紐を引くと破裂。壁が崩れる。
「これって限界までやるとどこまで火力出ます?」
「さあ?試したことない」
「これで嫌いな上司の頭を…爽快ですね」
「…まだ生きてるかな」
空気を圧縮して放出する技術が広まり、アンカーや空気銃が普及したおかげで、回収員の探索範囲は広がった。
軽型ボンベひとつで、空気銃は50発撃てる。
なかなか狭い道が終わらない。
雑居ビルの前を通り過ぎようとしたとき、大気汚染観測機が動く。
ここだけ空気が綺麗だった。試しにガスマスクを外し、息を吸う。問題ない。
「入ってみます?」
「気は乗らない」
またジャンケン。また負けた。
今日の僕は運が悪い。
ニヤニヤ笑うシライシに渋々ついていく。
空気銃のペレットを散弾に変える。
異様な雰囲気だ。虫の巣の跡がある。酷く荒らされていて、もう虫はいないらしい。
固いものを砕くような咀嚼音がする。警戒しながら音のする方へ進み、部屋を覗く。
まだ幼い子供だった。こちらを振り向く。
人間ではないと、すぐ分かる。
白目は真っ黒で、黄色い瞳の中の模様が変わる。
傍らには虫の死骸が落ちていて、それを平然と食べていた。
何より、背中から腕が二本生えている。四本の腕で虫を掴んで食べている。
「可愛い。なんか愛嬌のある顔してますよね。娘と似てるかも…いや、こんな目をしてた時期があったかも」
「シライシの娘には腕が4本あるのか」
「あるわけないじゃないですか」
幼い子供みたいで、確かに“人”なら可愛らしいだろう。“人”なら。
化け物は僕らを見比べ、背中の腕を触手を伸ばし、僕の方へ虫の一部を差し出してきた。
その動作が、健気と言われれば、まあそうかもしれない。
「食べる?」
「……」
言葉を話したことに、脳が一瞬止まる。
シライシが僕を羨ましそうに見ている。
もし代われるなら代わってやりたい。
お前がこれを食べたら、僕は相方を辞める。
「空気圧縮ボンベ」(くうきあっしゅくぼんべ)
汚染区域で呼吸を確保するための携行型空気供給装置。都市外の高濃度大気汚染環境下でガスマスクと併用して使用される。また、同時にアンカーワイヤー。空気銃にも使用される。
容量はボンベの大きさで変動し、回収員はこれを背負い、残量がある限られた時間内で資材回収を行う。残量がゼロになれば即撤退を要し、帰還できなければその場で命を落とすこととなる。
再充填は専用装置でのみ可能。
リミッター解除で爆破も出来るが、これは活動時間現象のリスクになる為使用は限られる。