わたしの少女漫画家さん
少女漫画家さんと編集者さんのお話。
「ボツ。」
もう常連になってしまっている、真夜中のファミレス。妙に硬いソファに浅く腰掛けていたヒワは、男のその一言にぐっと口をへの字に曲げる。
「なんでですかっ」
「なんででも。」
思わず食って掛かるヒワに、スーツを着た眼鏡青年は端的に返す。
「うがーッ」
叫ぶヒワたちのテーブルに並べられたのは、夜食のたらスパセット――ではなく、漫画の原稿。しがない漫画家を驀進中のヒワと、そのしがない漫画家を担当しどうにか売ろうと鞭を振り回す、『月刊キティ』編集者の村西。
二十代という比較的年の近い者同士だったけれど、美大の漫画研究会上がりのヒワと、有名大学卒のやり手の村西とでは全く性格は異なっていた。
「だから、少女漫画家のアタシには無理なんですって」
首に巻いていたマフラーに顔を埋めて白旗を揚げるヒワに、村西は深い溜息を吐く。神経質そうな印象を与える黒ブチ眼鏡と、その奥にある三白眼気味の目がちろりと視線を送った。
「……先生、」
明らかに感情を抑えた声を村西に掛けられ、ヒワは怯えた目をマフラーから上げる。涙目になっているけれど、それも堪りかねたのか、ヒワはテーブルに広げられた原稿を人差し指でびしっと指した。
「アタシは少女漫画家なんですッ」
「ええ、」
村西は至極当然とばかりに同意する。
「それがボーイズラブ漫画なんて描けませんッ」
あまりの大声のヒワの宣言に、まばらに店内に座っていた客たちがちらほらと振り返った。それでも慣れた店員たちは素知らぬ顔。
「はいはい」
毎度繰り返される漫画家の大宣言に、村西は頷いてテーブルの原稿を片付けていく。
「軽ッ。村西さん、軽いですっ」
「――いいですか、先生」
ヒワの訴えも軽く受け流し、村西は落ち着いた声色で真っ直ぐに姿勢を正した。
「あなたが描く漫画で得意なのは、日常の中の男女のラブストーリー。優しいお話が多くて、可愛らしい。読者の反応も悪くない。けれど、その反面、キャラクターは穏やかな人格に穏やかなストーリー……あなたの漫画には変化がないのです」
ヒワは下唇を噛んだ。それを見返しながら、村西は両手に持った原稿をテーブルにとんとん、と落として紙束を揃える。
「今の読者たちはとても貪欲です。変化のない漫画はきっとすぐに飽きられてしまう」
村西の冷静な口調がヒワには痛い。自分が描いてきた漫画を、自分自身をすっぱりと切られてしまう。痛い。胸が痛い。けれど、それは漫画を描き、商品として売るためには正確な評価だった。それが分かっているからこそ、痛い。ヒワは胸元の服をぎゅっと掴んだ。
「私は、あなたの漫画が好きなんです」
事務連絡を述べるように、ぽつりと吐かれた言葉。
「え、」
思わず顔を上げて、担当を見ると村西はいつもと変わらない表情でこちらを見ていた。
「私はあなたの描く漫画が好きなんです。だから、先生の描く漫画が潰されるのは我慢がならない。今はボーイズラブの需要が――」
まだ続く村西の話をよそに、ヒワはもう一度下唇を強く噛んだ。
漫画を描いて雑誌に投稿していた大学時代。少しばかり絵が上手くて、漫画家になると妙な自信とプライドで大学を卒業しても就職先は探さず、漫画を描いていた。
『――あなたの漫画、好きです』
幾度持ち込みで色んな編集部を訪れてもいつも軽くあしらわれたり、プライドを踏みにじられる罵声で終わる自称漫画家に、彼は最初からそう云ってくれた。
自分でさえ自分を信じられなかったあの時期。村西だけは、この才能と呼ぶにはしのびないちっぽけな腕とプライドを守ってくれた。
「ヒワ先生?」
不思議そうにこちらを見る村西の両手には、今もちゃんと自分の原稿がある。
『月刊キティ』に持ち込んだときも、最初は怒っているのかと思うような能面顔で、けれども自分の未熟な汚い原稿を彼は大事そうに両手で抱えてくれていた。
「……頭、痛い」
ヒワの一言に、村西はほうっと息を吐く。
「泣き過ぎですよ、毎度毎度」
ヒワはもしゃもしゃになった前髪をニット帽に差し込みながら、テーブルの端に置いていた紙ナプキンで涙を拭いて、鼻をかむ。
「仮にも夢を与える漫画家なんですから、紙ナプキンで鼻をかまないでください」
呆れたように村西にそう突っ込まれ、ヒワは赤い目でちろりと相手を見た。
「夢を与える漫画家も、一応人間ですから」
「そう一応人間で仮にも女性なら、ティッシュくらい持ってなさい」
村西はスーツのポケットをあさって、ポケットティッシュを差し出した。差し出されたそれは、街灯で配られているいかがわしい女性のイラストと電話番号がプリントされている。
「……。」
「……。」
それに村西自身も気付いたのか、若干ティッシュを差し出す手が揺れた。ヒワはそれを眺めながら、不意におかしくなった。
「……アタシの方が、絵は上手いです」
いかがわしいポケットティッシュをもらい受けながら、ヒワはわざと拗ねたように云った。村西は三白眼の目を僅かに見開き、それから少しだけ照れたように咳払い。
「当然でしょう。私の少女漫画家さんなんですから」
毎回くだらない真夜中のファミレス大宣言をしてしまう理由が、ヒワは何となく分かった気がした。
少女漫画家さんの続編もあります。
もしご縁がありましたら宜しくお願いいたします。
お読みいただきありがとうございました。