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春を売る少年  作者: 凪司工房
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 ガス燈に模した外灯が石畳の路地に並んでいた。大通りの(にぎ)やかさから少し遠ざかった裏路地が緩やかな上りでカーブしながら向こう側へと続いている。そこをぼんやりとした光が照らす下、胸元までがよく見える解禁シャツ姿の少年たちが、ねっとりとした視線で道行く男たちを見つめている。中には声を掛け、笑顔を交わしている者もいる。

 その様を横目に、丁寧に磨かれた革靴の足音を立てながらゆったりと歩く長身の男性がいた。薄いが(ひげ)がある。仕立ての良いブラウンのスーツからは淡い柑橘系の香りが漂い、少年たちは鈍く輝く目を彼へと向ける。

 その男性はある一人の少年の前で足を止めた。ガラスのように澄んだ青い目をした少年だ。ハンチング帽を目深に着ているが右側に強い癖がついていて反っている。そこから(あふ)れる毛並みは猫のように細く、光を透かしていた。


「春を買いませんか」


 他の少年たちと同じような定型句だ。その言葉そのものに意味はない。ただ取引きをするかどうかを、確認するように見上げる。


「それでは今宵は君の春をいただくとしようか」


 男の笑みに応えるように少年も目を細めて笑ったが、それも単なる作り物だ。けれどそれで充分なのだ。世の中には建前というものが必要なことを少年はよく理解していた。


「じゃあ」


 そう言って少年は男の右手を掴み、坂の上へと誘導しようとする。一分も歩かないうちに怪しげなネオンサインの看板が幾つも現れ、ホテルという名の遊興施設が待っていることを知っているからだ。相手によってAからCランクまであるが、少年は男性の仕立ての良いスーツに特上の香りを感じていた。

 しかし彼は首を横に振る。


「まずは食事をしよう。それに、君には服が必要だ」


 不思議なことを言うものだ、と思ったが少年は基本的に相手に逆らわない。文句を口にするのは客を相手にしていない時だけだ。彼は笑顔を作ってから自分の薄くなったお腹を擦り「そうだね」と笑って見せた。

 

 ここは男娼が立つ有名な“若葉ロード”と呼ばれる通りで、待っている少年たちも通りかかる大人の男も、それをよく理解している人間ばかりのはずだ。警察すら黙認し、何人かいる元締めたちは甘い汁を(すす)っている。

 男娼とは文字通り男の娼婦のことだ。春を売る。だから基本、若い男性、少年が多い。誰も肌がつるりとして女のような顔つきで、どちらかといえば小柄な方が売れる。

 しかし男は少年の手を握ることもせず、肩を抱こうともせず、一人で先に歩いていく。こういうのはベッドに入ってから正体を現すタイプだ。そう値踏みをした彼は黙ったまま男の背に続く。

 

 ――今夜は長そうだ。

 

 と感じて少年は軽い足取りで他の少年たちの視線から遠ざかった。

 

 やってきた大通りに面したその服屋は既に明かりが消え、CLOSEDの看板が掛けられていたが、男性が構わずにドアを叩くと、中から店主らしき男性が慌てて出てきて二人を中に入れてくれた。

 紳士服を専門に扱う店のようで、少年は自分が場違いなところに立っていると肌で感じる。空気の匂いが違うのだ。

 男性に言われるがまま、少年はシャツとズボン、それにジャケットを買い与えられると、それに着替え、元着ていた古い方は店主によってどこかに持って行かれてしまった。

 店を出て、ショーウインドウに映った自分の姿を見ると、どこかの行儀の良い金持ちのお坊っちゃんのようだ。


「では行こうか」

「あの」

「何かね?」

「イヴァンです」

「ん?」

「名前」

「ああ。そうか。イヴァン。いい名だ」


 男性はそれだけ言うと鼻の下の薄い髭を歪ませて微笑し、通りを駅の方に向かって歩いて行った。

 

 駅から三十分ほどタクシーに乗り、随分(ずいぶん)と雰囲気の大人びた街にやってくる。

 男性が入っていったのは控えめに看板を出すレストランの一つだった。ボーイとやり取りをした後、「こっちだ」と奥の席へと案内される。

 落ち着いた空気が漂う店内では話し声すら過小だ。イヴァンは一体ここが何料理の店なのかも分からないまま、とりあえず紙ナプキンを手に取って広げる。広げたはいいけれど、どうしたものだろうと考えていると男性と目線が合った。


「こういう場所は初めてかね?」

「そうですね。相手がどこかに連れて行ってくれる場合でも大衆料理屋か、屋台か、ホテルだったり、ラウンジだったりで」

「分からないことは尋ねればいい。分からないことを恐れる必要はない」

「あの、では、これはどう使うものなんでしょうか」


 ナプキンを両手で広げ、苦笑を浮かべる。


「手や口が汚れたらそれで拭えばいい。それだけのものだよ。落ち着かないようなら水でも飲んで、ひと心地つけばいい」

「ありがとうございます」


 湾曲し、持ち手の部分が細く折れそうなグラスを手に、一気に水を飲み干すと、ボーイがやってきて新しい水を注いでいった。その水は微かにソーダが入っていて、()せそうになる。けれど普段イヴァンが口にするどの水よりも美味しかった。

 しばらくして運ばれてきたのは前菜と呼ばれるものだろう。カラフルなものが皿の中央にちんまりと載っている。スプーンで(すく)って食べると一体何を食べているのか分からなかったが、それは溶けるようにして失われ、次を掬おうとした時にはほぼ全部が失われていた。

 どこの国の人間がこんなもので満足するのだろう。

 そう思いながらも次々と出てくる訳の分からないものを口に入れ、空腹が呆れてものも言わなくなった頃に、やっとパンが現れた。


「お替りは自由だよ」


 男性にはイヴァンの心が読めるのだろう。その言葉に感謝をして、お腹が満たされるまでパンを頼んだ。

 そんなことをしたものだからデザートに出てきた三種類のアイスの盛り合わせを食べ終える頃には、もう半分目が落ちかけていた。


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