イブリンの場合④ 今度は追われる女、そして追う男
「あの夜の女性がお前だって事も分かっているぞイブリン。なぜさっさと消えた?」
心底理解出来ないといった表情でブライト=オースティンが言った。
彼はかつて階段での危機一髪を救った相手が私である事もあの一夜を過ごした相手が私である事も分かっていると言うのだ。
私は全身から脂汗を流しーの、心臓がばくばく早鐘を打ちーの、ストレスで胃がキリキリ痛いーのでもう大変な状態に陥っていた。
だけどそんな事は噯にも出さず努めて平静を装っている。
こうなったらもう、私に出来る事はただ一つ。
「……仰っている意味がよく分かりません。どなたかと人違いをされているのでは?」
シラをきり通すだけである。
しかしブライトも動じない。
「人違いではないな。キミのその独特な魔力、階段で初めて会った時にも感じた不思議な波長……他者と間違える筈がない」
「でも、100%ではないにせよ、世界に一人は波長ががよく似た人間がいるそうですよ。それに、オースティンさんが仰るその方が私である事を示す証拠なんて何もないでしょう?」
私は毅然として告げた。
証拠なんて有るはずがないのだから。
だけどブライトは私をじっと見て、それから言った。
「……いや?キミの後ろ髪に消しきれずに残っているプラチナブロンドの魔法染めの跡が何よりの証拠だと思うが?」
「ええっ!嘘っ!?残ってたっ!?……あ゛」
毛染めの解除が上手くいってなかった衝撃に、私は思わずそう言ってしまった。が、時すでに遅し。
ブライトが口の端を上げた。
「嘘だ。綺麗に解除出来てる」
「か、鎌をかけたのねっ……」
「だってキミが素直に認めないから。何故だ?何故なかった事にしようとする?」
「うっ……そ、それは……」
「二人とも合意の上だった、それなのに何故」
「だ、だって」
「だって何だ」
ブライトがじりじりと詰め寄る。
私はデスクを背にそこに手をついたブライトに閉じ込められる。
「イブリン俺はあの夜、奇跡が起きたと… コンコン、
ブライトが何かを言い掛けたその時、部屋のドアがノックされた。
「はっ、はいっ!」
私は渡りに船だと思い、急いで対応した。
ブライトの腕の囲いを抜け出す時に「チ、」と舌打ちが聞こえた気がしたが聞こえなかった事にしよう。
ドアを開けると、法務部長の秘書官の女性が立っていた。
「失礼します。トワルド部長がオースティンさんをお呼びです。ご一緒に部長室にご同行願えませんか?」
一分の隙もないバッチリとメイクをキメた女性秘書官が対応した私をスルーして、私越しに部屋の中ブライトに告げた。
ーー彼の周りにいる女は透明人間扱いという事かしら。恐れ入ったわ。
私が内心辟易としていると、ブライトは掛けてあるローブを着ながら「わかった。すぐに向かう」と返事をした。
「ご案内しますわ」
と色気を載せた視線で女性秘書官はブライトに言った。
そして廊下に出て彼を待っている。
ブライトは私の横を通り過ぎ様に、
「今夜、一緒に食事をしよう。その時に話そう」と耳打ちして部屋を出て行った。
ブライトを伴い部長室へ向かう瞬間、女性秘書官が私を見て勝ち誇ったような笑みを浮かべたのがどうにも解せない。
……彼とイイ関係になりたいならどうぞ。
私を牽制する必要なんてどこにもないのに。
なんだかムカムカするのは女性秘書官かブライトの所為か、それともこれが世に言う悪阻というものなのか、私には分からなかった。
一体何の話で部長室に呼ばれたのだろう。
ブライトはその後終業時間まで戻って来なかった。
食事にと言われたけど私は了承していないし、戻って来ないのだから仕方ない。
助かった~と言わんばかりに私はオフィスをざっと片付けて、さっさと帰宅した。
◇
◇
◇
やられた。
とっとと帰りやがったな、イブリン。
例の新しい法規についての報告の後に部長の与太話に付き合わされて戻ってみれば、
オフィスに彼女の姿はなかった。
ようやく捕まえられたと思ったらまたするりと手の中からすり抜けてゆく。
魔術学園の最終学年で偶然出会った彼女。
階段から落ちかけた彼女を咄嗟に救ったその時、触れた部位から恐ろしいほどに心地よい魔力を感じた。
その時は驚き過ぎて、彼女に礼を言われてそのまま別れてしまったが、それを後になって後悔した。
どれだけ探しても全く見つけられなかったのだ。
彼女について分かっているのは一年生だと言うことだけ。
それとふわふわのライトブラウンの髪と淡い青灰色の瞳。
あと、あの忘れられない波長の魔力。
彼女に触れて、もう一度あの波長を感じてみたい。
俺は強くそう願った。
それなのに、あれ以来彼女の姿を見る事なく卒業を迎えてしまった。
「都市伝説かよっ……!」
最後に学園を去る時に思わずそう呟いたのを覚えている。
このままもう二度と、俺は彼女に会う事は叶わないのだろうか。
自分でも不思議に思っている。
たった一度、階段で出会っただけの女の子にこんなにも惹かれるなんて。
だけど外見で一目惚れがあるならば、
触れた魔力に一瞬で心を奪われる事だってあると思う。
……まぁ……外見も可愛い子だったが。
どうか、どうかもう一度だけでもいい、彼女に会いたい。
俺は心からそう思っていた。
その思いが引き寄せた幸運か、
魔法省の先輩の結婚式の帰りに立ち寄った馴染みのバーで彼女の方から声をかけられた。
最初は彼女だと分からなかった。
一年生で十六歳だった彼女が大人の女性になり、しかも髪色を変えてもいたのだから。
しかし彼女が隣に座った途端に感じた僅かな魔力に、俺は息を呑んだ。
彼女だ……!
あの時の、あの彼女だ。
なんという偶然。なんという運命。
名前も素性も語らない彼女をなんとか絡め取り、
その夜……彼女に触れる事を許された。
敢えて名前を語らない彼女。
一夜の逢瀬に慣れているとは思えない初心が堪らなく可愛かった。
まぁいい。
今は何も語らなくても、互いに何も知らなくても、
これから知ってゆけばいいのだ。
もう逃すつもりはない。
何年も馬鹿みたいに焦がれるのには意味があったのだ。
やはり彼女しかいない。
彼女と共に生きていきたい……!
彼女を抱きながら、魔力の所有印を刻みつける。
キミは知らないだろう、
キミの左薬指に何もつけていないのを確認した時の俺の喜びを。
キミの体が無垢であったと知った時、そして魔力を刻む時に先約が無い事を知った時の俺の喜びを。
そしてキミも俺に恋情をこめた眼差しで見つめてくれる事に、心が震えた事を。
朝起きて、隣で寝ていた筈のキミが消えているのを確認した時は軽く絶望したがそこで諦めるという選択肢はなかった。
彼女には既に“印”を付けている。
どこに居ようと一瞬で居場所はわかる。
そして調べたところ……
まさかの魔法省勤務。
しかも同じ法務部。
六年越しに知った彼女の名はイブリン=ロズウェル。
「イブリンか……良い名だ」
さあ。
彼女を、イブリンを奪いに行くか。
運よく彼女の居る地方省へ出向の話がある。
もちろんその役目を手に入れた。
あとは……彼女を補佐官に指名するだけ。
そしてイブリンと再再会する。
イブリンは俺が何も知らないと思っているようだ。
必死に平静を装う姿が堪らなく可愛い。
だが俺が知っている事を告げても、
彼女は頑なに認めようとしない。
まるで何か、秘密を抱えているような。
イブリンが隠そうとしている秘密……
心当たりはある。
そうなればいいと自分で魔力と共に彼女の体に刻んだのだから。
女性の体の事には詳しくないが、
そろそろその兆候が出ているのではないだろうか。
だとしたら……
だとしたら、俺は嬉しい。
こんな勝手な男ですまない。
だけど……だけどすまない。
どうしても俺は、キミが欲しいんだ。
キミと宝ものを大切に育んでゆく、
そんな人生が欲しいんだ。
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次回…イブリンの場合、解決編です。