お化け屋敷奮闘記
高校三年、最後の文化祭が大流行している感染症対策の為、放送委員と映像研を総動員してオンラインで開催された。
俺が指揮を執っていた生徒会アトラクション、という名のお化け屋敷は一般公開がなくなったので取り止め。
などということはなく、元の計画では三つの教室を使った代物だったが、「生徒が楽しめるものがない状況で少しぐらい生徒に素晴らしき思い出を!」と我等が生徒会長様にご命令され、過去最大規模の五教室ぶち抜きのお化け屋敷を作った。
……一週間前に計画変えるのやめろよな、クソがっ。
資材の用意だってあるんだよォ。
しかも感染症対策で気を使うから微妙に全員で作業とかやりづらいんですけどぉ?
などと生徒会室にウィッグとペストマスクつけて、注射器片手に殴り込みに行ったのはいい思い出だ。
それでも、やっと終わった!
くっそ忙しかったぁ。
一体何度会長様に一生駄目彼氏しかできない呪いを掛けようとしたことだろうか。
会長様のポケットマネーでのお菓子とアイスバーとダッツとペッパービーフジャーキー(俺のリクエスト)の差し入れ(半分脅迫)が受け入れられなかったら全員でストっていたに違いない。
……ちっ、ブルジョワがっ!(そろそろ理不尽)
それでも各委員会、部活動から俺の指名した奴等を引き抜いてこなければ絶対に回らなかっただろう。
段ボールと暗幕がやっぱり足りなくなり、放課後街の知り合いの店と他校を巡りかき集めたりもした。
中学の頃から面識があるスポーツ系のアパレルの店は客が全然来ないからと軽トラも出してくれた。
来年度、男女共にバスケ部の練習試合用のリバーシブルと、冬用のスウェットを作成する契約を顧問と次期部長と取り付けたのが良かったのだろう。
なに、少し値は張るがモノはいいのだ。
特にデザイン性は全国のショップでもトップクラスなのは間違いない。
だからあんなに渋い顔をしないで欲しい、なぁ来年の部長さんよ。
え、無関係の人に言わないで欲しいって。
無関係だからいろいろ考えずに笑ってられるんだよ。
お化け屋敷自体に話を戻すが、元々うちの学校のお化け屋敷はクオリティ、というか脅かし方が上手く、周辺校の中ではぶっちぎりに怖いと有名だ。
俺は一年の時からずっと有志、又は役員としてお化け屋敷を作り上げてきた。
今年は他の仕事が少なかった為お化け屋敷に専念できた人が多くおり、演技指導や小道具作りの時間がそれなりに確保できた。
幾度と推敲を繰り返し万全のコンディションで臨み、過去最高のスコアを叩き出すことができた。
……別に製作作業をサボってた訳では無いからな。
なんだかんだで時間空いたサブの有志の奴等が多くて、ひとつの作業を全員でやると効率がそこまで良くないし、感染症で上が煩いからだよ。
ちなみにここでいうスコアとは客数ではない。
何パーセントの客(組数で計算)をリタイヤさせたか、である。
……自称進学校なのに頭おかしいと思う。
でもそれが好き。
最高でしょ。
我が校の素晴らしき伝統に万歳!
因み俺が何故三年もお化け屋敷を続けているかというと、文化祭中、唯一のエアコンを好きに使える部屋で、暗闇の中脅かして悲鳴を上げさせ泣かせるのがとても楽しいからである。
まぁ他にも、腰抜かして動けなくなったリタイヤした隣の学校の女子生徒をお姫様抱っこで救出したり、来年入学志望の中学生三年の女子を難易度イージーコース(笑)としてエスコートするのだが、その時思いっきり抱きつかれたり、いつもクールなクラスメイトのそそられる泣き顔を見れたり、いわゆる役得があるからという理由もなくもないだろう!
……これ本当に以前にあった実体験ですぅ。
羨ましいだろぉ?
そんな俺の作る最後のお化け屋敷だ。
殆どが同じ学校の奴等になってしまうのは残念だが、それなりに全校人数もいる上にリピーターも少なくない。
つまり今まで通り本気で振り切った!
それを五教室!
飽きがきてはいけないのでサイコ感も後半には取り入れた!
仲間も例年より気心が知れた連中を多く徴収することができた。
低年齢の子がいないにも関わらず、ぶっちぎりで歴代最高スコアを叩き出せたのは決して偶然ではないのだ。
俺達は成し遂げたのだっ!
このスコアを越える時代が訪れるかは実に疑わしい。
そう、つまりこれは偉業。
燦然と輝く偉業である。
あぁ、誤解なきよう言っておくが去年までのスコアも低年齢の子には手加減しつつの話である。
それでも泣かれる。
それだけの話だ。
まず入り口の扉開けて暗闇の先に僅かに見える異形からして、雰囲気に呑まれてちょっと脅かしただけで精神が削がれることが小さい子には多いのだ。
因みに生徒会役員共が入場すると、連絡屋が悪い顔しながら化け物共に知らせに行き、レベルが格段に上がる。
勿論普通の人なら殆ど見えないぐらいの暗さだが、化け物共はかなり本格的な暗順応を果たしているのでターゲットを見間違う筈もなく、ちゃんと役員にしかあそこまでの鬼畜仕様は適応していないので大丈夫!
……何が大丈夫なんだ?
しかしながら、入り口とかでお化け側を逆に脅かしてやろうぜ!などとのたまう輩がいれば、役員でなくとも連絡があり、反応を見ながらだがそれなりに難易度が上昇するので注意が必要ですけどね。
因みに難易度が上がると突如デスボイスが上がったり、壁が迫って道が狭くなったり、道が変更したり、道がループしたり、足に触れる手が濡れたり、黒板を引っ掻いたり、追跡蜘蛛お化けが執念深くなったり、殆ど役に立たないペンライトが滑り易くなったり、他にも色々あるが、うん、本当にね、色々ある。
あと今年は興がのってしまい、一日に三十分だけ客には一切伝えずに色とりどりの電気つけて、ゴアなダークメルヘンに早変わりするファンシーモードが導入された。
……されてしまった。
はい、だいたい俺のせいですね。
着ぐるみやらコスプレ系の様々なファンシー衣装が裏の一区画に積まれているのはなかなか壮観だったと言っておこう。
因みにそんな中だが最高難易度を味わえるのは一人だけ、我等が文武両道系黒髪ロング美少女生徒会長様だ。
どちらかというと不意に脅かすのもいいが、雰囲気にあてられて恐怖や驚愕の閾値が極端に下がるタイプというのも調査済みであり、ソロ攻略しか認めなかったのでそれなりに耐性はあったみたいだが、二教室目の半分いかないぐらいで遂に泣き崩れた!
尚、リタイヤは会長様に限っては無しだ!
勿論イージーコースのエスコートも救助隊も付くことはない。
よって遅延系の仕掛けは殆ど使わなかったのに会長は脱出までに十分以上かかっていた。
何人の生徒の客に抜かされたことだろうか。
客は基本的に暗順応できていないので表情をきちんと確認された訳では無いないのが救いだろうか。
……そう言えば二十分もいればそれなりに暗順応するはずなのに最後まであの感じだったなぁ、会長は。
はい、化け物達が光を使い撹乱することを覚えたせいですね。
ナイス、クリチャー!
その後、会長が使い物にならないと副会長がクレームを付けてきたが、内股で泣き顔の会長の写真データを後夜祭のエンドロール用に提出することで、両手で握手をしチークキスからのハグをして肩を組んで笑い合った。
あと会長からの差し入れのサワークリームオニオンのポテチを超強炭酸水で流し込んでむせていた。
お化け屋敷のスタッフはもっとたくさん写真や動画を確保(記録資料として)してるんだけどね。
俺のUSBに可愛いくしゃくしゃな泣き顔や、恐怖にうち震える美少女の顔が大量に増産され、夜の性活にも役に立ちそうでなにより。
職権乱用?
個人情報取り扱いにおいての不備?
はっはっはっ!
聞こえんなぁ。
そんな文化祭も昨日、例の写真による会長赤面の後夜祭を終え、本日閉会式を執り行い、役員と一部有志の最後の片付けや整理整頓が終わり俺たちの高校最後の文化祭が終わった。
その後、暫く行けていなかった学校のすぐ近くにある同窓会運営の自習室に顔を出し、スタッフの方とこれからの利用頻度等の話をして、閉館まで生物の受験勉強をしてきた。
今はもう夜中の十一時前ぐらい。
自習が終わりコンビニでサーモンサンドとシャキシャキレタスとローストビーフのサンドイッチにアイスコーヒーとアイスクレームブリュレを買って駅に着いたところだ。
人があまりいないのでアイスコーヒーは歩きながら飲み、残りは駅のホームで食べる予定だ。
地方都市のそれなりに大きめな駅だが俺の最寄り駅がある路線は一時間に一本程しか走らない。
あと一五分ほどで特急の渋谷まで走ってきた電車が戻りそれを快速にして下りで県庁方面まで走る、それが俺の終電だ。
改札をちょっと曲がってるけどギリギリ引っ掛からない定期券で抜け階段をゆっくりと降りる。
うちの学校の文化祭は周辺では一番早くに行われる文化祭であり、もうこんな夜中なので風がまだまだ冷たい。
そもそもこの街が周辺と比べて冬は寒いし、夏は暑くていけない。
昼夜の寒暖差も酷いもので文化祭中の最高気温は32度であったのに、先程駅前の温度計では13度になっていた。
まあそれでもアイスコーヒー飲むし、アイスクレームブリュレを食べるんですがね。
なんだかんだ昨日までのお化け屋敷が特に快適だったため、余計にこの刺すような夜が不快に感じてしまって仕方がない。
来たる終電の出入口に近い柱に背を預け、スマホにイヤフォンを繋ぎ曲をかける。
十数年前の先輩達から受け継がれている文化祭のテーマソングと今年の三年のバンドが作った一年限りのテーマソングを聴き流す。
遂に終わった、そう思いながらも提げたビニール袋から、5分程経ても未だしっかり堅いアイスクレームブリュレを取り出し齧り付く。
パキッと割れるカラメルの音は心地よく、芯にある硬いアイスで歯が冷たく染みるのは、なにか喉から込み上げてくるものがある。
ジッ─ツッツ─ギャリリ、プツン……
不意にイヤフォンの音が途切れた。
線を引っ張った訳でもないし、まだ新しいヤツなんだがなぁ。
ブリュレを袋ごと咥えてスマホを取り出し画面と接続を確認する。
すぐに直りはしたし、聴き始めたばかりでなんだが、なんとなしに興が削がれたのでイヤフォンを外す。
ブリュレとサンドイッチ三種食べてからにしようかな。
新作の、以前と違うサーモンサンドの味の感想をSNSに長々と書き込みながら最後のローストビーフサンドを食べ終わり、ゴミを一纏めにして備え付けてあるゴミ箱に捨てに行く。
その時、ゴミ箱の隣のギシギシと音が鳴り、体重が重いぞ、と言われるようで大嫌いな木の椅子に、女の子が独りで座っている事に気づいた。
別にいつもこの時間なら四、五人はいるので、今日は珍しく一人だなと思っていたぐらいだが、一体いつの間にいたのか。
ここら辺の高校は私立以外制服はないので、ちょっと荷物と髪で見づらいが、制服らしきものを着ているのでまず中学生で間違いないだろう。
こんな時間にどうしたのだろうか。
塾帰りかな?
この時期はあんまりだが真冬になると高校受験を控えた中学生が、短期でこの駅の近くに沢山ある学習塾に学校後電車で通う子がそれなりに見られる。
このくらいの夜中までいる子もいないことはない。
顔を伏して髪が掛かり、あんまり横からじゃ確認できないがもしかして寝ているのだろうか。
不用心な。
駅構内では見たことは無いが7、8年前まではこの駅近くの旧い寂れつつある繁華街や路地には、薬売りや学生に水商売や風俗をほぼ無理矢理させる連中もいたらしいからな。
3年前、高校通いだした頃にはだいぶ減ってきたクスリの売人に声をかけられた事もある。
最近はまず見かけなくなってきて清々してきたところだがまだ注意は必要だろう。
本当に寝てるのかとゴミ捨てついでに近寄ったが……どうやら違ったらしい。
押し殺し、しゃくりあげるか細い泣き声。
ここ数日、実に聞き慣れた声が微かに聞こえた。
マジかよ。
そう思いながらもゴミを音を立てて投げ捨てる。
今迄こちらを気づいていなかった少女がビクッとして顔をあげる。
「おぉ、おぉ、どうしたんだ、こんなとこ、で……」
言葉に詰まり、息を飲む。
俺を充血した上目使いで見遣る彼女の顔は実によく知ったものだったから。
泣き腫らした顔でも間違えることはない。
古い友人、今では俺がそう呼ぶ友の一人と同じ顔だ。
森谷夏実。
小学四年の時に知り合い、他校生ばかりなので休日によく集まって莫迦やった古い友人達。
しかしその中で一番集まりが悪かったのは彼女だ。
夏実なんて名前だがウィンタースポーツ、特にスノーボードが大好きで、時期日本代表と噂されるような奴だった。
練習や体力作りを一日中するようなことが度々あった為、顔を合わせた回数は他の友人の半分を優に下回るだろう。
しかし紛れもなく俺たちの友であり、仲間である。
彼女の成績に共に一喜一憂し、悩み合い、助け合った。
行動力があり、物怖じせずにものを言う性格で、飾らない強い子だった。
あの日までは。
中学二年の冬、いつも通り彼女は雪山で泊まり込みの練習をしていて、俺たちは仲間内の一人の誕生日が近いからお祝いのパーティーの計画を立てていた。
夏海の従姉妹でもあった胡白のバースデーだ。
胡白はその日は夏実に付いて雪山の麓の、別の友人の親戚の経営する山荘に行っていたから。
もう何十回も重ねたメンバーの誕生日だ。
中々新しくて面白い意見がなく悩んでいる時だった。
俺の買ったばかりスマホに胡白からの着信があった。
話題の主役からの電話で皆で顔を見合わせたあと、スピーカーにして電話に出れば切羽詰り、泣き叫ぶ声。
宥めながらも話を聞けば夏実が山で事故ったと連絡があったらしい。
ヘリが救助に雪山へ向かっているそうだ。
胡白にはこちらに戻って来るように言う。
こっちもただ待つだけではない。
全員を落ち着かせて夏実の行く病院を調べる。
状況的に考えてドクターヘリではないだろう。
県の救助隊だと考えられる。
ならば山に近くてある程度の大きさの総合病院。
候補は二つだった。
荷物を整え駅へと向い、どちらにしてもすぐ行ける大きめの駅への電車に飛び乗る。
そこで着いた駅が今現在立っているこの駅だった。
ここで使わないだろうが二ルート分の切手を買い二十分ほど待った時に胡白から電話があった。
無事にヘリが夏実を確保したという。
向かう病院も伝えられたが、そちらは次の電車までに十五分あった。
かといってタクシーは時間が更にかかる上に金も手持ちでは全員が着くかは微妙。
不安に苛まれながらも全員で待つしか無かった。
病院に着いた時、夏実はICUにいた。
夏実はヘルメットもしていたし、臀から胸にかけてと、肘のプロテクターもしていた。
しかし怪我をしたのは膝下らしい。
どういう状況でどんな怪我をしたのかなんて雪山にもスノボにもそれほど詳しくない俺達にはわからなかった。
どうやら当時は意識はちゃんとしていたが麻酔をかけて眠らせたらしい。
脳や呼吸器は大丈夫で死ぬことはないと言っていた。
だが外傷がやはり酷い。
何時間病院にいたかなんてもう覚えてないが、その日夏実が手術を終えても目を覚ますことはなく、皆一度家に帰り翌日見舞いに来た。
夏実は見舞いに来た時には起きていて笑っていた。
勿論それは作って貼り付けただけの笑顔だということは、今までの夏実を知っている皆がわかっていたことだけれども。
左足の膝下切断。
右足は複雑骨折。ボルトの補強が入っており、こちらはいつかはそれなりには治るという。
他の場所にもいくつかの裂傷に強打による内出血があった。
美女スノーボーダーとして日本一、いや、世界一有名になってみせると常日頃謳っていた彼女だが、その道は暗く閉ざされてしまった。
それでも森谷夏実は強くて美しい女の子だ。
彼女は中学を無事卒業し、高校には行かずに語学やPC、料理や絵画など様々な事に挑戦し、次の自分の輝けるものを探している。
今でも月に二回は必ず会っている。
そんな夏実が、今、目の前に。
いや、違う。
今の夏海じゃない。
こんなに小さくはないし、顔の傷跡もなければ、足もある。
しかもよくよく見れば制服は彼女の中学のものだ。
もう人がいなく一昨年合併され無くなった中学のものだ。
あの頃の、事故前の夏実そのものじゃないか。
どうして。
いや、まさかそんなわけ。
「うっ、ぐすっ。
あなた、誰、です、か」
おっと、完全に呆けてたわ。
ちょっと、この子からちゃんと話聞こうかな。
「俺は朝日奈 梗。
懸稜高校の三年生だな。
お前は?」
「夏実、森谷夏実。
十四歳、で、す」
「こんなとこで、こんな時間に、なんだって泣いてるんだ?」
「怖い、の。
ううっ。
足が無くなるのが、もう、もう滑れないのが」
クソッ!
なんなんだこれは?
白昼夢か?
いや、もう深夜だから普通に夢か幻か。
質が悪いったらありゃしねぇ。
特に最近はこの手の夢は見なくなってきたってぇのに。
「辛いだろう。
でも俺達が、」
「怖いの。
皆に嫌われるのが」
あん?
何の話だ。
この子は事故前の夏実の似姿だろう。
この先の未来が怖い夏実だろう。
しかし、皆に嫌われる?
「怖いの!
梗が私を見なくなって、胡白だけを可愛がるのが。
私だけを見てくれる人がもういなくなるのが。
私が、皆に忘れられちゃうのが。
もう、私にできることが無くなるのが。
私は私を許せない。
あと、少し、だったのに」
涙を流しながらも目を見開いてそう訴える彼女を、見ているだけなんてできず力強く抱き締める……ことはできなかった。
彼女に触れることはできず目を真っ赤にした少女の姿は蜃気楼のように溶けていく。
……海もないのに、ましてや真夜中で蜃気楼のようってなんだよ。
ただのに過去に囚われた俺の痛い幻覚だろうよ。
あぁ、胸が痛い。
頭も痛い。
カバンから自習室備え付けの炭酸水を取り出し勢いよく煽る。
封は既に空けてあるが、まだ冷たいこいつの炭酸は十分過ぎるほど強い。
バチバチと痛く煩い口内を無視して残っていた全てをを飲みきる。
今日はこれで二本目だ。
またゴミ箱に空のボトルを投げ入れて、備え付けの時計を見上げながら元の柱の場所へ戻る。
あと、電車が来るまで、あと七、八分ってところか。
目を瞑り顎を引き、ただただ柱に身を預けて待つ。
ホームにキンキンと響くアナウンスの奥から電車の音が突き抜けてくる。
瞼を開き足元の荷物を乱暴に拾い上げる。
あれ?
いつもと電車が違うなぁ。
東京からの特急がこの駅から快速になって行く筈なのだが。
電車が違うことはたまにあるが、今回は特急はどうなった、車庫まで走んなくていいのかって話になるしなぁ。
もしかして何処かで事故ったか不備でも見つかったか。
まぁどちらにしても今の俺にはどうしようもないことであり、どうでもいいことだ。
きっちり最寄り駅まで時間通りに走ってくれる電車がありさえすれば。
あぁ、でも快速だったらゆったりシートに座れたか。
見た事のない灰色の電車に急ぎ足で乗り込む。
中は適温で盆地の夏の夜の蒸し暑さも冬の凍てつく風も忘れさせてくれるだろう。
……全車両これに変えて欲しい。
ワンマンなんて目じゃないし、いつもの快速よりも絶対設備いいでしょ。
人が少ないので荷物も座席に置き座り込む。
その時俺が入ってきたドアから一人の女の子が入ってきた。
先程俺も飲んだ炭酸でむせていた副会長。
俺のひとつ年下の二年、森谷胡白だ。
学校のすぐ近くに家があるのでこの電車に乗ることはまずない奴だ。
「セーンパイ!
今日、いいですよね?」
度々俺の家に泊まりに来る時以外は。
「悪かねぇけどなんだってこんな日に」
「いや、だって明日から振替じゃないですか。
一緒にいたいんですよ」
こんな感じだが別に付き合っている訳では無い。
いや、昔は付き合ってたんだがなぁ。
一昨年の夏休みに、いい加減顔も体も飽きるぐらいには体を重ねた。
その後も半年ぐらい友人としての付き合いと互いの好奇心と欲求を満たしあっていたが、遂に恋人としてはなんか違うってことで形としては別れたのだ。
その後俺は幾人かと付き合ったが胡白よりも長く付き合えた人はいなかった。
胡白はその後はずっとフリーにしていたが。
しかし去年の前期が終わり胡白が生徒会に入るとまた状況が変わった。
また肉体関係を持ち始めたのだ。
うん、なんかそういう流れだったんですよ。
今日のこれも、まぁそういう事だ。
最近は忙しくてそんな行為もしてなかったけどな。
キスや、ちょっとしたイチャつきぐらいはしてたけど。
遂に終わった文化祭の話をしながら電車に揺られる。
そして話の流れが一段落したところで俺は先程の話をした。
その時の胡白の表情は驚愕、唖然、疑念、自責、といった様であった。
やはり思い入るところはあるよな。
まぁ結局は俺の疲れた時に見た、心の隙であり弱さなのだろうが。
「先輩、その……お姉ちゃんの制服なんですけど、今、ないんですよね」
胡白は夏実のことを今でもお姉ちゃんと呼ぶ。
いや、そんなことはいいが、何の話だ?
俺も中学の制服は後輩に殆どあげたから持ってないぞ。
「いや、お姉ちゃんが少し前買ったばっかのタブで最初の絵を描く時、資料にしたくて取り出そうとしたんですよ。
ほら、お姉ちゃん几帳面だから保管してある場所も勿論わかっていたので。
だけど専用のカバーはあったのに制服はどこにもなかったんですよ。
いや、元々換え用だったシャツとかはあったんですけど、基本的な一セットはどこにも。
それで今、制服姿のお姉ちゃんの話しを聞いて、その……なんて言うか」
いつもより雑音が少ない車内で、暗く俯いた声で胡白が語ってくれる。
なるほどねぇ。
「いや、俺そういうの専門外なんですけど」
「ですよねぇ、目黒さんとかならまだしも」
俺達の古い友人にはこの国の霊的守護を担っていると公言する男もいるのだ。
後で話を持っていくとしよう。
お化け屋敷では現役の霊の皆さんの仲介もしてもらおうと思っていたが、一般開放がなくなってしまったので雇用することはなかった。
一霊だけ、俺の個人的サポートで手伝って貰ったけれども、これは個人的な友人付き合いを始めたので別問題。
兎に角今俺たちがどうこうできることでは無いのだ。
ただまあ、明日あたり夏実に会いに行こうかな。
「……なんでここにいるんだぁ、お前ら」
30分ちょい、涼しく快適な電車に揺られ着いた寂れた駅の前に、見慣れた友人達が勢揃いしている。
嫌な予感がする。
胡白が俺の斜め後ろで控えてるのも問題だ。
こいつ知ってやがったな。
こんな時間まで待って何をするつもりだ。
「特別出張版!
お化け屋敷、一名様ごあんなぁーい!」
……はぁ?
何言ってんんっつっ!
古く罅が入った地面が黒く染まり這い出て来た黒い腕に囚われる。
顔の筋肉が盛大に引き攣るのがわかる。
「おい待て、テメェらぁっ。
ランド直結だろコレ!
まじふざけっ――」
幾ら何でもこれは無いだろ、コレは!
なんの恨みがあるってんだ。
ちょっと俺の最高傑作を楽しく遊んで貰っただけだろ?
記録を握ってこれからも何かとつけて言い寄ろうなんて考えてないぞ。
幻覚はちょっとやり過ぎたと思ったけど終わって見れば楽しかっただろ?
いいじゃん、エレベーターが途中で落ちたって、巨大な叫声女に追いかけられたって、BGMが途中で止まったって、目の前に花瓶が落ちてきたって、顔のない女子生徒が落ちてきたって、出てからも赤子の声が聞こえてきたって、ずっと監視されているような感覚があったって、夜空から星が落ちてきたって、目に見える景色に少しファクターが掛かったって、お前達なら、大丈夫だろう?
光のない世界に落ちながら、帰ったらどんな夢物語を見せて
やろうか思案する。
あぁもう着いたか。
良かった、だいぶ浅い所だ。
だが足場が悪っつつ――
見えたのは様々な年代の人の体。
裸で生気も何もないニンゲンモドキがその硝子玉の如き瞳状のナニカをこちらに向ける。
一呼吸置いて次々と飛び掛ってくる人型。
それを走り、跳び、避けながら階段状の足場を見つけ急いで駆け上がる。
真っ当な生物相手じゃないとなんの役にも立たないのが俺だ。
何回か取り憑かれながらも見えた出口で、スマホを奪われた上に会長様に蹴落とされた。
右足にくっ付いてたニンゲンモドキをぶん投げてストライクしてやった。
……クソが。
しかしUSBのデータは学校に厳重に保管してあることを知らないらしい。
必ず泣かし、土下座させることを決意しながら肉の布団に落ちた俺は、群がる肉塊を跳ね除けるだけの力もなく。
貪られた。
まぁいい。
俺が俺で無くなろうが、この肉の群勢でもって這い上がるだけなのだから。
3割程実話です。
5割程実際に夢で見たことです。
2割は指が勝手に動いて記した妄想です。