エピローグ
さくら子は朝からバタバタしていた。
里帰り出産を選んだ娘はつい数日前に彼女にとっての初孫を出産した。今日は娘のお見舞いに行くと称して、その初孫を見に行くのだ。
「おとうさ~ん!用意まだ~?」
声をあげて旦那を呼ぶ。いつも適当な服しか着ないくせに、こういう時だけはなぜだかいっちょ前に気にするのだ。普段の服装でいいのに…。
「もう行く!」
寝室から声が返ってきた。彼のもう、は後10分後だ。一体何年夫婦をしている思っているのか。はぁ、と溜息をついてリビングに戻り、隣の畳の間へと入る。
そこには両親の仏壇があった。今朝既に確認したのだけれど、念のためもう一度。心の中でそう呟いて線香の火が消えているか確かめる。
うん、よかった。ちゃんと消えていた。
再度チンっと、鈴を鳴らして「お孫ちゃんみてくるね」と両親に報告し席を立つ。
「もう、用意できたよ!」
びくりと肩を震わせる。驚いた。後ろに旦那が立っていたのだから。彼にしては大変珍しく、彼のもうは本当にすぐの事を指していた。
「お義父さんとお義母さんに報告でもしてたの?」
「そう。今から行ってくるよって。ついでに火が消えているかの確認も兼ねてね」
「煙が出るタイプに変える?」
うちで使用している線香は、煙が少ないタイプのもの。だから心配性のさくら子は、本当に火が消えているのか不安になり、こうして日に何度も確認に来るのだ。旦那はそれを気遣ってこうして提案してくれる。だが、このほのかに漂う香りが大好きで、他のものには絶対に変えたくない。
「ううん、大丈夫。この桜の香りが好きなの」
「お義母さんが?」
「ううん。私が」
何だそれ、と呆れた声で旦那が返してきた。
「何か買っていく?」
「そうね、一度コンビニに寄ってから行きましょうか」
そう笑いながら二人仲良く家を出る。その時ふと思い出した。
「そういえば、最後に病院に行ったのは、母を看取る時だったような…。それに対して、今度は新しい命を見に行くなんて…。なんとも言えない気持ちだわ」
「お義母さんのことは残念だったよな。無事、三途の川を渡ってお義父さんと会えていると良いのだけれど…」
「そうね…。認知症も治ってることを祈ってるわ」
「いつか俺らも認知症になるんだよな…」
「ねぇ?もし私が認知症になって、徘徊し始めてしまったら、お父さんはその時どうする?」
さくら子はずっと後悔していた。
もしあの時仮眠さえとっていなければ、もしもっと早く母を見つけてさえいれば、見知らぬ他人が人をひき殺してしまうことも、母が死んでしまうこともなかったのに…。せっかくのワクワクした楽しい気分がしんみりしたものになってしまった。
「一体、急にどうしたんだ?」
いつもこんなことを滅多に言わない。少し様子の異なるさくら子に旦那は戸惑ってしまう。
「いや、ふとね…。なんだか怖いのよ。もし認知症になって全てが分からなくなってしまったら?もし徘徊して人様に迷惑ばかりかける様になったら?私も娘に辛い思いをさせるかもしれないと思うと、もう歳なんて取りたくないの…」
さくら子の言わんとすることを旦那は痛感していた。ずっと近くで彼女が義母を介護している姿を見てきていたのである。だから、彼女の不安に思う気持ちを随分と理解できた。
だが一方で、初孫に会う前にこんなこと話したくないな、と他人事のように客観視している自分もいた。
「もし忘れてしまったら…」旦那は悪戯にニヤリと笑う。「部屋中に俺の写真を貼ってあげる。嫌でも思い出せるように」
「あのねぇ」さくら子は呆れ、声を失う。
「もし夜中に徘徊するなら、部屋を施錠して外出できなくしてやるよ」
「なによそれ。そんなの虐待よ」さくら子は少し怒りを含んだ声でそう答える。
「でも、それくらいしないと、きっと母さんの不安は取り払えないよ。それに、大丈夫。俺が生きてる間はちゃんと面倒見てやるから。娘にも迷惑かけないようにしてやるから」
「もう、本気で言ってるのに…」
さくら子は口を尖らした。でも旦那の言っていることも一理ある。そんなに不安が募るなら、監禁や軟禁するのが一番手っ取り早いのだ。でも、さくら子はそれには同意できなかった。だって、例え何もかも忘れてしまったとしても私たちは生きている、感情のある人間なのだから。
「ま、今気にしてもしょうがないさ。とりあえず、健康第一で運動、運動!」
旦那の能天気さに少し腹が立ったものの、確かに今気にしてすぐにどうにかなる問題でもないな、と思い返した。
「あ、さっき着替えてる時にさ、赤ちゃんの写真と名前が送られてきてたんだけど母さんはみたか?」
旦那の問いに首をかしげる。
「あら、そうなの?まだだわ」携帯の通知を確認する。確かに娘からメッセージが二件ほど送られてきていた。「でもやっぱり最初は、自分の目でお孫ちゃんに会いたいかな!だからまだ見ないでおくわ」
「じゃあ俺もそうしよう」
旦那はそう呟いて、取り出した携帯を再度ポケットにしまった。
「そういえばさ、前にお婿君と話していたんだけど、彼のお父さんはクウォーターっていうらしいんだ。で、あの青い瞳はそのお父さんからで、もっと言えば、ハーフだったおじいさんからの遺伝らしいよ」
「私も娘からその話を聞いたわ。お顔もお姿も本当、日本人にしか見えないのに、世代を超えて青い瞳だけを受け継ぐなんて、本当すごいわよね。神秘的だわ…」
そう言って天を仰ぐ。入道雲の奥には、澄んだ青々とした空が広がっていた。
***
昼前にさくら子が旦那と病室へ到着したとき、お婿君も丁度少し前に着いたばかりのようだった。なぜなら彼の額には少し汗が滲んでいたからである。
「今日ね?少しだけど、目を開けたのよ」
にこりと微笑んで両親に話しかける娘。
「名前は前々から二人で決めていたものにしたんです!」
爽やかな笑顔を浮かべるお婿君。
さくら子と旦那は二人並んで生まれたばかりの赤子を覗き込んだ。
「沢山の人と会って、色んな経験をして欲しいの」
そう願いを込めて。
お婿君と同じ透き通るような青いビー玉の瞳を持った彼女たちの初孫は、
『岡田 紡』
と名付けられた。
今まで長い間お付き合いありがとうございました。
完結しました。
最後に全体的に校正をした後に、
ネタバレを含む後書きを掲載し、
完全に完結とさせていただきます。
大変読みにくい書き方でしたが、
(現代と1960年代と交互に出てくるパターンの小説)
いかがだったでしょうか?
今回一番伝えたかったテーマが
【認知症患者が好きな人にただ会いに行く(徘徊)】
だったのですが、ご理解いただけましたでしょうか?
他にもちょこちょこあるのですが、
それはまた校正後に書かせて頂きます!
また、現在介護されてらっしゃる方は、
『徘徊なんてこんな爽やかなものじゃない!』
と批判があると思います。
もっともです。しかと受け止めます。
是非感想や、ここはこうした方が良いのではないか?
との意見も送っていただけたら幸いです。
校正が終わるまでは感想欄開放いたしますので、
後学の為にも宜しくお願い致します。
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嬉しいです。
重ねて、約7.8ヶ月もの間のお付き合い、
ありがとうございました。