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花時計の王子様(下)4/5

 「そうよ、私は時間を間違えてたのよ」


 もっと言うべき言葉はたくさんあったのに、口から零れ落ちた光一さんへの第一声は、自分の過ちを咎めるものだった。そう、私は17時・・・夜7時・・・を間違えていたのだ。


 あの時、息を切らしながら到着した公園の中は真っ暗で、人気がなく、しんと静まり返っていた。誰もいなかったのだ。急いで花時計前へと駆けていき、時間を確かめる。7時前だった。指定時間より少し早く着いたのに…、と安堵したのもつかの間、なぜか光一さんの姿が見えないことに疑問を抱き、薄暗い外灯の下で再度彼からの絵葉書を確認した。心臓の音が一瞬止まったかのように感じた。なぜならそこには『夜17時』と書かれていたから。再度花時計を確認する。もう二時間も過ぎていた。そしてその時になって百合子が怒っていた意味が理解できて、私は泣き崩れたのだ。最後の最後でどうしてこんな初歩的な過ちを犯してしまったのだろう…と。


 「でもどうして居たの?」


 ずっと疑問だった。人気のない暗い公園。わずかな電灯に照らされた花時計。自分の早とちりが原因で、最後だというのにも関わらず、言いたいことも言えずに会えなくなってしまった光一さん。私は確かに絶望の中にいたのに…。


 気が付くと冷たい体の人に後ろから抱きしめられていたのだ。


 『よかった…』


 そう呟いた低く震えた声に心が震えた。


 「あの時、まさか君が来ないという選択肢を選んだとどうしても思えなかったんだ」遠くを見つめながら光一さんは声を落とす。「もしかしたらまた事故にあったのではないか。そう思ったら気が気でなくて…後10分、後10分って思ってたら、君の姿が見えて…。あの日ほど神に感謝したことはないね」


 光一さんはニヤリと不気味に笑って私の頭を撫でる。


 「あんなにも長い時間、しかも寒空の中待たせてしまってごめんなさい」


 「いいよ。全く気にしてなかったし、むしろ君が無事でよかった。それに、結局は会うことができたのだから、それで十分だよ」


 「わたし、あの時驚きと安堵で頭が混乱してしまって…」 

 

 冷たい体に抱きしめられた時、初めは何が起きたのかと恐怖で体が強張ってしまっていた。でもすぐに『良かった。本当に良かった…』と光一さんの安堵する声が聞こえて胸が熱くなったのだ。そして、この時ある感情が芽生え、それが腑に落ちた。


 ずっと我が儘を言ってしまったことへの罪悪感と、それでも傍にいてくれたことへの感謝の気持ち、多様で複雑な気持ちが絡み合い、彼に対する本当の想いに気が付かなかった。だが、今ならわかる。私は、この人に惹かれているのだ。心の底から慕っているのだ。


 それは恋なんて淡いものではなくて、という深い想いであった。


 自分の気持ちに気づいた私は、その後何も言葉を発さず、たまたま制服の左胸に挿されたままになっていた赤い花を彼に差し出したのだった。




 「私ずっと負い目を感じてたの…」


 「うん」


 「ずっと優しくしてくれてたから」


 「うん」


 「ずっと傍にいてくれたから」


 「うん」


 「どんな我が儘も聞いてくれたから」


 「うん」


 「でも、あの時自分の感情に気が付いて…」


 「うん」


 「どうしても離れたくなくて…」


 「うん」


 「また、貴方を縛り付けてしまった…」


 光一さんはじっと私を見つめていた。


 「私ずっと光一さんに謝りたかったの…。あの日、私が引き留めてしまったせいで貴方の人生を随分と狂わせてしまったわ…」


 光一さんはゆっくりと首を横に振る。


 「それは違う。俺だって君にずっと恋していたんだから…」




 二人は今初めて出会ったあの日の花時計の前にいた。


 まだ中学生の私と、都会に出て来たばかりの光一さん。


 あなたを迎えに行ったあの日。あなたと初めて出会った日。


 あなたを『花時計の王子様』と命名したあの日。





 「君は覚えていないかもしれないけれど、あの花時計の前で初めて君を一目見た時から俺は恋に落ちたんだ。君のことを目で追うようになって、気が付いたらいつも君のことばかり考えるようになってた…。大好きだった。だから、君が誰を見ていても、誰を好きになったとしても、君の笑顔が見れるならそれで…それだけでよかったんだ…。だけどあの日、俺の余計な一言のせいで…」

 

 光一さんはそういって私の額にかかっていた前髪をそっとかきあげる。ごめん、と呟いた彼の顔は苦渋に満ちていた。


 「あの事故は光一さんのせいではないわ」私は懸命に弁解する。「私の無計画さのせいよ。責めるなら私を責めてよ!ずっと光一さんは充分すぎる程私に尽くしてくれたじゃない!なのに…私が…」涙で声が続かない。私はずっと大きな十字架を背負っていた。彼をここまで追い詰めたのは私なのだ。私の我が儘なのだ。


 「君にそんな負い目を感じさせていただなんて…謝るなら俺の方だよ。君にまだいてほしいと言われたときは自分の耳を疑うくらい嬉しかった。ずっと君と一緒にいたかった。それが例えまやかしだとしても。それでも俺は君とずっと一緒にいたかったんだ」


 私は思い切り頭を横に振る。首がちぎれそうになるくらいに。


 「まやかしなんて言わないでよ!私が!私が光一さんとずっと一緒にいたいと思ったのよ!もっと早くから素直になっていたら、本音を言えていたら、先輩への思いと比べたりさえしなければ…」


 後悔が次々と涙と共に溢れ出てくる。光一さんは優しく微笑んで涙で歪んだ私の顔を覆い隠すようにそっと抱きしめてくれた。


 「あの時、あの公園で君からもらった花の意味は随分たっても分からなかったんだけど…」そう言ってどこからともなく白いポピーの花を取り出し、手渡してくれた。「随分と遅くなってしまったけど、これが返事だから。受け取ってくれる?」


 それは私の通っていた高等学校の卒業式での風習。男子生徒の白い花と女子生徒の赤い花の交換。


 「もちろん…」私は鼻をすすりながらそれを受け取った。「でも、どこでこれを知ったの?」


 「ここに来た時に、百合ちゃんから聞いて…」

 

 そう言って遠くの方で花畑の上に寝転がっている女性に顔を向けた。私も彼につられてその方角を見る。そこには中学生の百合子の姿はなかった。ここまで手を引っ張ってくれたあの成人した女性…。


 - やっぱり、そうだったのね…


 記憶はすっかり戻っていた。


 あの見目麗しい女性は、もう何十年も前に亡くなってしまった私の妹、百合子だった。


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