花時計の王子様(中)3/4
「父上」
数年ぶりに父親と話すというのにも関わらず、不思議なことに自分の声も頭も妙に冷静に働いていることに心の中で驚いていた。
「罰するのは彼ではなく、私に。彼は私の我が儘を聞いてくれたにすぎませんので」
父は奉公人を一心に見つめ、後ろから話しかけている息子の声は聞こえんとばかりに、目を向けようとする素振りすらしなかった。
- ああ。やはり、自分のことは嫌いなのだ、憎んでいるのだ。一刻も早くこの人から解放されたい…
心の中でそう呟き、父の向こうに見える、叱りつけられていたあの優しい奉公人に目をやる。そこには全身を激しく震わせながら頭を畳みにさすりつけるようにして土下座をしている彼の姿があった。その姿に心を痛め、顔を歪ませる。
ふと父の体が揺れ、奉公人の前に置いてあった”モノ”が視界に入った。我が目を疑う。そして、それが何の為にそこに置いてあるのかを理解した途端、腹の底から怒りがふつふつと急激に湧いてきた。
「父上、何の真似ですか?」
自分でも驚くほどの低い声で父に威嚇する。それは感情を押し殺し、常に冷静に務めていた我を忘れるほどの衝撃的なものだった。
「私と直接話すことをさんざん避けておいて、自分の思い通りにならなかったらこうなのですか?」
目の前のこの男は父親なんかじゃない、人間でもない。鬼だ。一体いつの時代の話なんだ。こんな事をさせようとするなんて…。
「彼一人始末して、その後どうするつもりだったんです?あなたが本当に話さないといけないのは、彼ではありません。私ではないのですか?」
そう父に初めて本音の怒りをぶつけた後に、ふと冷静になった。自分だって父との対話をずっと避けていたではないか。自分は果たして彼を責める立場があるのだろうか?つっかえていた何かがストンと胸に落ちて来た。
奉公人の目の前にあったそれを手にとり、まじまじと見つめる。時代錯誤とも言えるこの状況に意味もなく笑みがでる。こんなものでは人は死ねない。いや、失血死で死ねるかもしれないが、相当苦しむはずだ。簡単には逝けない。
「なぜ私ではなく、彼に切腹させようと?」
喋る度に低く唸る自分の声。
「なぜそうしたのか聞くこともなく、簡単に始末しようと?」
協力者一人も助けることのできない自分が情けない。なんと無力なことだろう。
「血のつながりはなくとも…。どれだけ私を嫌っていようとも…。何故そうしたのか、理由くらい聞いて欲しかった」
「いいえ!全ては私の責任です。申し訳ありません」
先ほどまで土下座していた奉公人が頭を上げ、大粒の涙を流しながら進に叫ぶ。
「私は旦那様のお気持ちも、進様のお気持ちもどちらも知っていたのです。知っていた上で行動しました。私がもっと取り次いで、もっと対話にさえ持ち込めていれば…」
何を言っているんだ?とつい気が抜け、ボケっと奉公人に目を向ける。こいつはただの一介の奉公人だ。主人である我々に、ましてや父に意見などできやしないのに…。
「全て私の責任なのです」
「お前は関係ないだろ」そう言おうとした。だが、その前に父の力強い腕に引っ張られ、力の抜けた手から”モノ”を奪われた。そしてその矛先を…。
「旦那さまなりません!」
そこからは、まるで別世界にいるかのように全てがスローモーションで動き出した。
進は父にとりあげられた”モノ”を取り返そうとする。だが、進よりはやくに奉公人が動き、それを父から奪い取る。そしてそれを自分にむけて…。
進はそれをとめようと柄を掴もうとしただけだった。本当に何の意図もなかった。誰にも傷ついてほしくなかったし、傷つけたくもなかったのだ。
だが思った以上に強く柄を掴んでしまい、その反動で”モノ”の矛先が奉公人のもとから、あろうことか父に向き…
気が付くと自分と奉公人の間には、腹から鮮明な血を流し、横倒れている父がいた。
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