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花時計の王子様(上)3/3

 いささ川を超えるとあの不思議な女性はもう既にいなかった。どうやら光の粒となり消えてしまったらしい。先ほどまで彼女が腰かけていた滑らかな石の表面を撫でながら、今のは一体なんだったのだろうか、と自分に問う。父の声だけがやけに低く私の耳に残っていた。


 暫くは考え込んでいたのだが、途端に考えることをやめることにした。だって、思い出そうとしてもこれ以上なに進展しないということはもう分かりきっていたことだったから。


 赤、青、黄…。様々な色彩で色づいている花畑へと歩み始める。どの花々たちも艶やかで麗しく咲き乱れており、さらにそれらが漂わせてくる香りもまた酔いそうなほどの大変濃いものであった。


 どこへ向かえばよいのだろうか?ただ、前へ前へと自分の思うがまま、自由に足を進める。




 どのくらい歩いたのだろう?陽が少しずつ傾きかけていることに気づいた。夜になったらどうすればいいのだろう?辺りには何もない。このまま野宿することしかできないのだろうか?周辺をくまなく見渡す。だが、どの方角も景色は変わらない。ただ一面に色彩豊かな花畑があるだけで、人ひとりの陰すら見当たらない。


 - もう、どうでもいいや


 少し投げやりになって、ポンっと背中から花畑へと倒れこむ。


 - そうよね、もう歩かなくてもいいや。誰か見つけてくれるまでここにいたらいいのよ。私から探すのではなくて探しに来てもらえばいいの…


 目を閉じて、優しい風を体で感じる。風は私の頭を、頬を、胸を優しく撫で、どこかに消えていった。




 どのくらい寝ていたのだろうか?


 温かな気温が少し涼しくなっていきた気がして、目を開く。多彩な色で彩られていた花々は今では傾いた陽に照らされ、赤く染め上げられていた。


 - 私、寝ていたの?


 目を閉じていただけで、寝ていたという自覚は全くなかったのだが、この陽の傾き具合からすると随分と時が過ぎてしまっているようだった。とても不思議な現象だった。


 - どうしようか?


 頭を抱えて上半身だけ起こす。このまま進み続けるべきか、ここで立ち止まっておくべきか迷っていた。肌寒さに体を震わせ、自分の無計画さに、はあ、とため息をついた時だった。小さな可愛らしい鳩が私の膝の上に飛び降りて来た。この子の足には紙が括りつけられている。『何かしら?』不思議に思いそれに触れようと手を伸ばす…。


 が、鳩に触れようとした途端、それは飛び立ってしまった。「待って」と口から無意識に零れ落ちた声は広い花畑の中で虚しく響く。残念に思いながらも鳩を目で追いかけた。すると、鳩はある場所へと飛び込んでいくではないか。


 - あら?あんなところに何かあったかしら?


 先ほど周辺を見渡した時には何もなかったのに、随分と先にはなにやら見覚えのある公園があった。そしてその奥に微かに見えるのは…


 - あれは花時計?


 その前に一人の黒い人影も確認できた。誰かは分からなかった。花時計の方を向いて静かに立っているだけであったから。


 人がいたことに安堵した私は、勢いよく立ち上がりその影の元へと駆け寄っていく。今まで起こった不思議な怪奇現象とか、ここがどこなのかとか、分からないことを全てを聞いてみよう。


 公園へと近づくにつれて、その人影がよりはっきりと鮮明に確認できるようになってくる。


 まさか…、そんな…


 その公園に、その花時計に、その人影により近づく度に、失われていた記憶が少しずつ蘇ってくる。


 初めて会った日もこんな真っ赤な夕陽に照らされていた。再開は学校で、押し入るように彼の所属している部活動に入部した。雨の中あなたの心に触れて、暖かな陽ざしを避けながらも、またこの公園で忍び逢ったこともあった。ここの絵もたくさん描いたし、あなたの描いた絵だって見せてもらった。あなたのご家族のことを聞いてとても胸が痛んだし、年の明ける前後に過ごした、最後のあの日を思い出すと、ちくりと甘い痛みが私の胸にささる。大切にしまっていた淡い記憶たち…。



 ああ、なんで?


 私はずっとあなたに会いたかったの。あなたを探しずっと彷徨っていた。


 そうよ、思い出した。私の初恋で、私の愛おしい人。恋焦がれて、全てを捧げ、共に逃げ、そして生きたいと思った…。


 ねぇ?あなたはどうだったの?


 「せんぱい…」


 呟いた声は聞き取ることが難しいほどとても小さかったはずなのに、花時計の前で立っていたあなたは、静かにこちらへと振りかえる。


 「随分と待ったんだよ?やっと来た」


 岡田進。妹の命名した花時計の王子様がそこに立っていた。

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