五月の再会 1/4
「ゆりちゃん~噂の王子様とはあれからどうなったのよ?」
花時計の前で彼と出会ってから早一ヶ月が経とうとしていた。私は食卓にいつもと代わり映えしない朝食を並べながら、理恵ちゃんと百合子の会話を聞いていた。
「おはよう、理恵ちゃん。もう全然会えないの。昨日だってわざわざ隣町まで買い出しに行ったのに…。やっぱり幻だったのかしら。もう一度だけでもお会いしたいのに…」百合子がふてくされながら理恵ちゃんにに愚痴る。理恵ちゃんはそんな百合子に苦笑いする一方で、孝子ちゃんは「運命で結ばれてたらまた会えるわよ」と励ましていた。光一さんはというと、いつものように父と新聞をみながら、男同士で朝から何やら熱く語り合っていた。
実はまだ誰にも話していないのだが、百合子が渇望するあの青年を偶然学校で見かけたのだった。それはある日の昼休み、小学校時代からの長年の友人である美子の体調が急に悪くなり、先生に許可を貰い、彼女を保健室まで連れて行った時のことだった。その時保健室に常駐している先生は不在にしており、二床しかないベットのどちらとも使用中の札がかけられ、カーテンで囲まれていた。私はどうしたものかと、ぐったりとしている美子を右手で支えながら迷っていた。先生が来るまで椅子に座らせておくか、急いで誰か他の教師を呼びに行くか。そんな時、ガヤガヤとした声が聞こえ始めると共に急にドアが開き、二人の男子生徒が保健室の中へ入ってきた。一人は眼鏡をかけており、いかにも優等生な雰囲気であった。そしてもう一方の男性は眼鏡の人より身長が頭一つ分も高い上、かなり体格が良く、運動神経がよさそうな見目をしていた。彼らの上履きを見ると私の紺色のそれとは違い、赤い色をしていた。その色は三年生を意味する。二学年上の先輩方であった。
保健室に入って来るやいなや、人懐っこい笑顔を浮かべて、体格の良い男子生徒が「どうしたの?」と優しく問いかけてきた。
「友人の体調が悪くて、横にさせてあげたいのですが、ベットが二床とも使用中のようで…」
私が言い終える前に、眼鏡をかけた方の男性が、「多分どっちかは空いてるよ」と言って二つとものカーテンをあけた。確かに一方には誰もいなかったが、もう一方には人が寝ていたようだった。
「なんだよ」ベットの中から低い声がした。どこかで聞いたことのあるような低い声。
「ほら、あっちは空いてる。ここの先生はいい加減だから、使用中の札をほとんど片づけないんだよ。さあ、早く横にさせてあげて」ベットの中の声を無視して眼鏡の先輩がそう言葉を続け。私はありがとうございます、と言って美子を空いているベットの方へ誘導する。汗をかいている。私は持っていた手拭いで彼女の額をそっと拭いてやった。
「次の授業はでるだろ。あいつと意見が違うからと言って…」
「いや、俺は…」
眼鏡の先輩が開けたカーテンを再度閉めて、カーテン越しに三人の先輩がなにやら話し合っていた。私はこの三人目の声に胸がきゅっと締め付けられる思いを感じながら、とぎれとぎれの会話を盗み聞きしていた。少しすると、カーテンが揺れ動き三人とも保健室からでようとする気配を感じた。私は美子のベットから離れ、再度お礼を伝えようとした。その時一瞬だったが、三人目の先ほどベットで寝ていた先輩を目にとらえた。横顔だったが間違いない。少し寝癖がついた髪はあの時と同じ栗色で、あの空色の瞳も僅かにだが確認することができた。あの花時計の王子様であった。
体格の良い先輩が私に気づき、「お大事に」とやはり可愛らしい笑顔を浮かべ再度声をかける。だが私はあの青年と再会できた、とわき上がってくる高揚に返事を返すことも忘れ、ただベット脇に立ち尽くしていた。
そんなこともあったな、と思い出している間に朝食を終えた。ここから皆の1日が始まる。私は敏江さん宛てに今日の依頼事を簡単に紙に書き、夕食分の買い出しのお金と共に父に預けた。敏江さんはうちの家の鍵を持ってはいるのだが、毎日無断で家の中に入ることはなく、まず初めに、必ず律儀に父の店に挨拶をしに行くからである。だからいつもその時にこの紙とお金を手渡ししてもらっていた。
次に仏壇の火が消えているか再確認をし、百合子と共に学校へ向かう。中学校と高等学校の校舎は少し離れてはいるがそれでも徒歩5分圏内。十分近いため、一緒に途中まで登校するのが私たちの日課である。
「お姉ちゃん」百合子が私の裾を軽くつまみながら私を見つめる。「また映画館いかない?」彼女は少しうるうるとした目で私を見る。最近、新作映画の評判なんて彼女の口から聞かない。だからそれが映画目当てではなく、花時計の王子様に会いに行く口実であると容易く推測できた。あの日の帰り、彼女はバスの中でぐっすりと眠りに落ちていたのだが、家に帰るやいなや、興奮して皆にどんなに素敵な王子様とあったのか、あの絵を見せながら語っていた。きっと見に言った映画の内容なんて覚えちゃいない。夕食時もずっと話していた為、あまり怒らない父親が注意するほどであった。
「ゆりちゃん、また花時計の王子の話?」梅子、おはようと、左の角から親友の美子が声をかけてきた。胸の近くまである三つ編みが彼女のトレンドマーク。成績も優秀で、運動神経もよく、誰とでも仲良くなれる対人スキルを持っている彼女は、昔から男女ともに人気があった。
百合子は、「よしちゃんも絶対一目惚れするよ!」と笑顔でそう言い、私たちの前を歩いている友人のもとへ走って行った。
「そういえば、今日三年生がなにか面白いことをするって噂があるらしいよ」美子が私に少し声を落としてにやにやしながら言う。「しかも、放課後の先生方があまり見回りにこない旧校舎の方でするんだって。梅子もお店のお手伝いまで時間があいてるなら、一緒に参加しようよ」ねっ、と言って彼女は私にウィンクをした。