一月の失踪 2/4
「それが俺にもよく分からないんだ…。だからこうして君たちの教室の前で待っていたのだけど…」佐藤先輩はそう言ってため息をつく。
「今どこにいらっしゃるとかも分からないの?」
先輩はコクリと頷く。「ああ。俺が聞いたのは岡田君が親父さんと揉めたってことくらいで…。結構ひどいものだったらしい…。お互いの怒鳴り声が近所中に響き渡ってたって…。で、次の日に血だらけで倒れていた親父さんを、お手伝いさんが発見したって感じだそうだ」
「えっ?」私は血の気が引いた。「血だらけで倒れていたってどういう意味ですか……?」二人の間に何があったのかは知らない。だけどもし、もし最悪な事態になって、先輩が尊属殺人として求刑でもされることになったとしたら……。
「ああ、ごめん!違うんだ!違う!勘違いさせたらごめん」私の顔色に気がついた先輩は、美子の肩から手を離し私に向かって手を合わせながら続ける。「親父さんは無事だよ。打撲がひどいみたいだけど、命にはなんら別状はないって!大丈夫だから!心配しないで!!」
「じゃあ、なんで岡田先輩は行方知らずになるのよ…」
美子の零れ落ちる言葉に佐藤先輩は首を振る。誰にも彼が失踪した理由なんてわからないのだ。
「放課後、田辺さんと山崎さんの家を訪問しようと思っているのだけど、君たちもくるかい?」
私は無言で頷く。
「でも、なぜ揉めるなんてことになったのですか?先輩は年末は取り立てがあって忙しいから、父親は家に寄り付かないと言ってたのですが…」記憶の中の先輩は確かにそんなことを言っていた気がする。父と会わないから気が楽なのだ、とも。
「日下さん…ほら、あの…、俺たちが絵を描く時に手伝ってくれた先輩覚えているかい?」私は思い出す。佐藤先輩と岡田先輩が絵を描くときに、口裏合わせをしてくれた化学研究部の部長さんだ。
「はい。もちろん」
「実は日下さんの実家も、岡田君の親父さんからお金を借りてたらしい。どうも商売がうまく行かなかったのか、どんな取り立てだったのかは知らないけど、夜逃げ寸前まで追い詰められていたらしい。で、そんな責められる親を庇おうとしたのか、日下さんが親父さんに直談判しに行って…。その時につい、口を滑らしたというかなんというか…」佐藤先輩らしくない早口でモゴモゴとした語り口だった。それだけあやふやな不安定な情報なのだろう。「それで、岡田君がまだ絵を描いていることを知って、口論になったって聞いた」
「でも、そんな告げ口なんかで、借金が帳消しになるわけではないでしょ?訳わからないわよ!それに、絵を描いただけで、なにがどう転んでそんな大けがするような言い合いに発達するわけ?」
事情を知らない美子は訳が分からず頭をひねりながら先輩と私を交互にみる。
「俺が知ってるのはここまで。俺だって何があったのか、ちゃんと理解できてないんだ…。とりあえず、放課後迎えに来るから」
美子の頭を軽く撫でて彼は颯爽と走り去ってしまう。
廊下には時刻を告げるチャイムの音が虚しく鳴り響いていた。
*尊属殺人
両親や祖父母などの親類を殺害すること。
当時は殺人罪とは別にこの罪も存在して、
無期懲役あるいは死刑が求刑されていた。




