十月の真実(下)3/4
あれから、月麦とは数年に一度、夏のお盆の時期の彼女の調子が良い時にだけにしか会えていない。もちろん、その時には彼女の実家に進も共に連れてはいくものの、彼女に息子を合わせる事はついになかった。進の顔は彼女の面影が強くあったものの、また息子の目を見て彼女の心が再度壊れるのを恐れていたからである。進には悪いとは思っていたのだが、幼子を離れにある、進一が昔過ごした部屋に閉じ込めていた。
進は暇だった。月麦の視界に万が一にでも決して入らぬよう、部屋から出ることは決して許されず、一人きりで籠らねばならなかったから。進はやる事もなく、部屋の中を隅々まで探索する事にした。すると、机の引き出しの奥に、くしゃくしゃになっている紙の束があった。進はそれを引き出し、開けてみた。それは、進一が昔書いていた絵の束であった。
「お父さん、僕も絵を描いてもいいですか?」
それは、進が小学生になって始めての夏休みのことだった。進一は彼の問いに少し驚きはしたものの、自分が以前使用していた色鉛筆を渡し、言葉数は少ないが絵の指導を軽くしてやった。
それからというもの、進は時間の許す限り絵を描いた。それは、父に褒めて欲しいとの思いからだった。父に認められれば母に会えるかもしれない、そう信じて疑わなかった…。こうして、進は月麦の田舎に帰った時はそこの部屋で絵を描くことが日課となる。一日中絵を描いていた彼が、上達するまで時間が掛からなかったのは言うまでもない。
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時は残酷にも早く過ぎ去っていった。それに伴い、進はすくすくと成長していく。幼い頃には微かばかりにあった月麦の可愛らしい面影は今では全くなくなり、代わりに異国の凛々しい顔立ちへと変貌していった。
進一は進と話すことが年々苦しくなっていった。月麦の面影のある時にはまだ愛おしさを感じていたのだが、いつの頃からか顔を合わせる度に憎しみが芽生え始めてくる。自分の血が通っていない強姦によって産まれた我が子。そして、それは嫌がる月麦に自分が望んだものでもある。彼は説明し難い感情に日々葛藤していた。
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進が中学校へ進学したと同時に、ついに進一は彼女の田舎へ戻ることを取りやめた。彼の金髪と青い空色の瞳の見た目は田舎では人目がつくほど派手であったため、月麦の耳に届くのを恐れたためだ。起こり得るかもしれない最悪の事態を避ける為の、彼の苦渋の決断であった。
その代わり進一は毎日のように月麦に手紙を送るようになった。彼女から返事が返ってくることは無かったのだが、彼はその筆を止めることはなかった。いつでも貴女を想っているよ、と彼女に届くように……。
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そんなある日、進一は初めて進の絵を発見した。くしゃくしゃに丸められ捨てられていたものだったのだが、気になって塵箱から取り出した。それは、父である進一の横顔だった。まるで写真のように一目にしただけでそれと分かるほど精巧なものであった。月麦に自分を思い出してもらえるよう、その紙を綺麗に伸ばし手紙と共に送った。
『進一さんに逢いたいです』
何年もの間返答も来なかった月麦から一言だけだが返事が来た。彼は嬉しくて嬉しくて…、この手紙を胸に抱き一筋の涙を溢す。そしてこの日を境に、進一は進に何枚も絵を描かせるようになったのだ。それは自分の絵であったり、風景であったり、様々なものをであった。進も普段言葉を交わすことのない父が、自分の絵を喜んでくれている……。そんな些細な事に心を躍らせ、言われるがまま絵を描いた。
家の中ではまるでゴミ扱い、家の外ではイジメの対象……。塞ぎ切っていた彼の心を溶かしたのは、『ようやく父に求められた』という優越感だけだった。彼はどんどん絵へとめり込んでいく。
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そして、高校に入りあの事件が起きた。
はじめての油絵、そして表彰。しかも、それは久方振りに自分の意思で描いたものであった。進は他人から初めて褒められ、認められた事に有頂天になっていた。そしていつもは父が送っていた絵を、この時ばかりは顧問の白鳥先生の勧めで自分から母に送った。
- どんな返答がくるのだろう?
進は期待に胸を寄せていた。
会話をしたことのない、遠目でしか見たことのない母に会いたい、認められたい、褒められたい。ただその一心で。
その後、進一の元に電報が届く。
『ツムギ シス モドレ』




