十月の真実(下)2/4
産まれた子は小さかった。
可愛かった。
愛おしかった…。
「よくやった!!」
進一はそう言って月麦を抱きしめる。月麦はもう進一を拒むことはなかった。隣で寝ている、湯を浴び綺麗にされた我が子を恐る恐る見る。顔はしわくちゃとしており、髪の毛は殆どなかった。それは田舎で幾らか見たことのある赤子と何ら変わらず、異国の雰囲気を一切感じさせる風貌ではなかった。その事に安堵し、彼女の中にその赤子への愛おしさが急激に芽生える。
- お腹の中でちゃんと愛してあげなくてごめんね
何度も何度もそう懺悔した。そして、進一を信じきれなかった自分を叱る。彼の言った通りだ。この子はあの旅行で愛し合った時に授かった子だったのだ。もしかしたら、あの屈辱的な出来事は夢であったのかもしれない。
- これからは、ちゃんと愛してあげるから
幸せに酔いしれ、月麦は赤子にそう誓った。
だが、幸せに酔いしれていられたのはたった数日だけだった。
「旦那さま!奥様が…奥様がっ!!」
奉公人の焦りと戸惑いの声を聞き、進一は足早に月麦の元に向かう。
部屋では月麦が荒れていた。部屋にあるものを手当たり次第どこかに投げつけている。その只ならぬ雰囲気に、オギャーオギャーと赤子の泣き声が響き渡っていた。
「何をしてるんだ!?」
進一は初めて月麦を叱った。そして赤子を抱き寄せようと近寄る。彼女に情けがあったのだろうか?赤子の周りには何もなく、遥か手前に投げられたモノが散乱していた。
「だから言ったのに!」ヒステリックに月麦は叫ぶ。「だからあれほど!!!早く捨ててきて!私にその子を近寄せないで!いやああああああ」
進一は何が起こっているのか理解ができなかった。赤子を抱きしめ、月麦の側へ駆け寄る。
「近寄らないで!!私を殺して!もう、嫌だ!殺してええええ」
月麦のただならぬ状況に赤子を奉公人へと渡して、月麦を抱きしめた。「大丈夫。大丈夫だから」
だが、彼女の視線は定まっておらず、「殺して…殺して…」とうわ言を発し続けている。
進一は不穏な鼓動を立てている胸を押さえて、取り敢えず他の部屋へと彼女を移す。そして、近くのものに何があったのか聞いた。そのものは明らかに目線を泳がせ、言葉を探している。
「早くしろ!」進一はもうなりふり構ってはいられなかった。自分でも驚くほどの大声でそのものを怒鳴る。
「進様が…」震えながら言葉を紡いだ。「進様の瞳が青いのです。ご病気でしょうか?それを見られて月麦奥様が……」
進一の耳にはそれ以上の声は届かなかった。我が子へと急いで駆け寄る。そこにいたもう涙を流してない我が子の瞳は、残酷で、されども美しい空の色をしていた。
進一は膝から崩れ落ちた。なんと言う事だ……。
- 彼女を救えなかった。私が彼女を壊したのだ。
自分の気持ちの整理もつかぬまま、のそりのそりと書斎へ向かう。その後、震える手で急いで電報を打ち、月麦の実家へと送った。
三日後、直ぐに義母は岡田家にやってきた。精神が壊れた我が娘を見て、彼女は一心不乱に我が子を抱きしめる。そして何も言わずに優しく頭を撫でていた。
進一は話をする事が出来なかった。真相を言わねば、と思ってはいるのだが、口が震えて声が出てこない。近くに置いてあったガラスの水を一気に口に含み、喉を潤わす。
「いずれ…いずれ、ちゃんとお話しします。ただ…ただ今日は…、何も言わずに月麦さんを私という悪魔から遠ざけてください……」
「進一さん……」
「お願いします。月麦さんを、妻を、助けてください…」
泣き崩れて懇願する進一に義母は首を縦に振る。「分かりました。連れて帰りますので、心配しないでください」そして、さも当然のように言葉を繋ぐ。「それでは、孫も一緒に連れて帰ったほうが……」
「駄目だ!」義母の言葉を遮り、進一は叫ぶ。「あの悪魔をもう月麦の目に入れないでくれ。彼女をこれ以上苦しめないでくれ……」
義母は何のことかさっぱり理解できなかった。だが、頭を抱えて声を震わす進一を見て、直ぐに何かを感じとった。彼女は孫に会いたい気持ちも抑え、進一に従い、赤子を一目も確認する事なく月麦と共に田舎へと帰路につく。
こうして、愛し合っていた進一と月麦は別れて暮らす事になったのだ。




