十月の真実(中)2/5
父から電報が届いたのは、終戦後すぐだった。
『タダチニ ツマト モドレ』
進一はその事を月麦の両親に告げた。突然の別れに彼らは戸惑いはしたものの、快く受け入れ、旅立ちの支度を手伝ってくれた。
その後、進一は月麦のもとへ向かい、照れを可能な限り隠して彼女に自分の思いを伝える。
「私は月麦さんとこれからも一緒に過ごし、共に人生を歩んでいきたいと思う。政略結婚ではなく、お互い慕うもの同士としてこの申し出を受け入れてはくれないだろうか?私の妻として、我が家に共に戻って欲しい」
進一は、『好き』だとか『愛している』といった日本語をもちろん知っていた。だが、言葉にする事は出来なかった。そんな一時の感情よりも、具体的な自分の思いや、考えを伝える方がずっと価値のあるものだと信じて疑わなかった。
月麦は顔を真っ赤にして頷いた。彼女もまた進一と少なくない時を一緒に過ごしているうちに、彼に惹かれていた。こうしてお互いの思いを確認した後、進一は義両親に簡単に祝言を挙げたいと伝える。家同士の利権で結ばれたのではなく、お互いの気持ちで結ばれたものとして。
戦争が終結したとはいえ、病弱な体の男子として畠中家にお世話になっていた進一は、やはり、近所の目もあり、大々的に祝言を挙げることは望まなかった。月麦も理解し、進一の望みを快諾した。
その後、月夜に照らされた月麦に、進一は再度恋に落ちる。義母の花嫁衣装を着て現れた彼女はまるで天女のようだった。それは、例えようのないほど美しいものだった。義父も涙を流していた。
「私がこの地に来たのは、政略結婚の為だった。でも、月麦さんを娶りたいと思ったのは、心から彼女と一生を過ごしたいと思ったからです。月麦さんを幸せにすると誓います」進一は養父に頭を下げて、共に大盃を交わした。
家族四人だけの静かな祝言は、こうして出発の前夜に幕を閉じた。そしてこの夜、初めて二人は結ばれ、本当の夫婦となった。
***
長い旅路を経て、実家へと戻った進一は父の変わり果てた姿に目を見開いた。たった半年あまり。けれど、彼だけまるで何十年も違う時を過ごしたかのようであった。すっかり腰は曲がり、顔は痩せこけ、年老いてしまっていた。疎開前のあんなにも堂々とそして、人様を見下していた男は、今では鬼の首を取ったようにしゅんとして、仏壇の前で縮こまっていた。
「父上、ただいま戻りました」進一の声は彼には聞こえていない様であった。
奉公人によると、進一が疎開してから、それを待っていたかのように立て続けに弟達に赤札が届いたと言う。兵役から逃れさすためお金をばらまいていたのに、あっけなく軍関係者に揉み消され、裏切られたのだった。
弟達の死体は確認されていない。満州での僅かな訓練後、直ぐにレイテ島に向かうとの手紙が届いたそうだ。そして、彼らの所属していた部隊が全滅したと聞く。恐らく弟達は見知らぬ地で命を落としたのだろう。最期がどんなものだったのか分からない。父は涙を流す事なく、ただ、呆然と遥か彼方の空を見上げているだけだった。
ほうけてしてまった父の代わりに、進一は帰省後直ぐに岡田家の当主となった。というのも、父は進一の帰省を確認するや否や、山奥の別荘へと二人の位牌と遺影、それから多くない彼らからの届いた手紙を全て持って家から出て行ってしまったからだ。出て行く父の後ろ姿はとても小さく、恐れられていたのが遥か昔のように感じた。
それから二年、進一は昼夜問わず無我夢中に一所懸命働いた。従業員のため、父との差を埋めるため、そして岡田家の新しい当主を世に知らしめるために。
だが、どんなに忙しく働いていても時間を作っては家には帰ってき、月麦と過ごす時間も大切にしていた。それは、遠くの県から嫁いできた月麦のためだった。彼女が新しい土地で寂しく過ごさないように、彼女が故郷を恋しく思わないように、可能な限りの愛情で彼女を包んだ。
仕事関係者からは、妻に尻を引かれている情けない当主、と冷たく見られている一方で、近所からは愛し合っている仲の良い夫婦、と羨望の眼差しで見られていた。
ただ、彼らはどんなに愛し合っていてもこの二年、子どもを授かることはついになかった。
次回より、差別発言、暴力描写がでてきます。
念のため、R15にしています。
ご理解宜しくお願いいたします。