味噌汁と卵焼き
「ん?デュランタがどうかしたの?」可憐な紫色の花を愛でていた私に、ほどなくしてご婦人が声をかける。そして、暖かなご飯を配膳する。「簡単なものだけど…、さ、ご飯にしましょ」
私の前には温かな白いご飯に、豆腐とネギが入ったお味噌汁、それから、ふわふわな卵焼きに、茄子とレンコンの和物、小さな小鉢にはお漬物が用意された。それらは全く持って簡単な料理には到底みえなかった。これをあの短時間で用意できるなんて…、なんて手際が良いのだろう。彼女に感心する。そしてこの素敵な食事をみて私のお腹は遠慮がちに鳴った。
「朝から何も食べてないものね。ブランチになっちゃったけど……」そう言って彼女は自分のものに箸をつける。
ブランチとは何だろう、と少し疑問に思った。だが、もしかしたら天国ではそれを"食事"と意味するものかもしれない、と深く考えずその言葉を受け止めた。そして彼女にお礼を伝え、お行儀よく手を合わせてご飯を頂くことにした。
まずは味噌汁を飲む。ん?思わず、「しょっぱい」と顔をしかめてしまった。こんなに味の濃い、塩辛い味噌汁なんて初めて食べた。だが、すぐに私は後悔する。先ほどまで優しく笑っていた彼女の顔がみるみる険しくなったからだ。彼女は私に目もくれず、「いつもの味噌が売り切れてたのよ、ごめんなさいね」と冷たい声で言い放つ。その声には少しの怒りを感じた。
せっかく作ってくれたのに…。最初の一言から機嫌を損ねるようなことを言ってしまうなんて、なんて不躾だったのだろう。自分の行為に恥ずかしさを覚え、居た堪れない気持ちになった。本当に申し訳ないことを言ってしまった。ごめんなさい。心の中で謝り、下を向く。
だが、それが良くなかった。彼女が勘違いしてしまった。
下を向いたまま何も言わなくなった私を見てご婦人は「もう!ぐずらないでよ!」とヒステリックに怒り出した。ああ…、せっかく親切にしていただいてるのに、怒らせてばっかりだ。だが、どう行動すればよいのか、なんと彼女に声をかけるのが良いのか、正解が分からず、私はますます気が滅入る。
その後、彼女は何かを私に言ったが聞いてなかった。私は謝りたかったが、彼女は謝らせる隙を作らなかった。なんと折角配膳したばかりの料理を荒々しく片付け始めたのだ。私は目を見開いて驚く。だってあの一言がこんなにも彼女を憤怒させるなんて思いもよらなかったのだ。
「味付けでぐちぐち文句言わないでよ」そんな彼女の目には涙が浮かんでいた。
私は話しかけるタイミングを完全に逃してしまった。今更彼女に弁明しても、きっと素直に受け取ってもらえないに違いない。私はこれ以上の失言を避けるため、口をつぐむことに決めた。
彼女と私の間に気まずい空気が流れる。
ふと、まだ卵焼きののった食器だけ片付けられていないことに気づく。まだお味噌汁を一口しか飲んでいない私は大変空腹だった。だから…、お行儀が悪いは分かっていたのだが、彼女に見えないようにひっそり、こっそりと、それを手で摘まんで口へと運ぶ。
柔らかな感触と共に、甘い匂いと優しい味が口いっぱいに広がる。
「美味しい」思わず口から言葉が零れ落ち。
本当に美味しかった。
そしてそれは、忘れることなんてできない母の味を私に思い出させた。