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七月の約束 3/4

 次の日、部室に行くと久しぶりに3年生の先輩方が皆揃っていた。私たちは驚きながらも、足取り軽く彼らに近づく。久しぶりにお会いする先輩方は特に変わりなく、元気そうでよかった、と私は心の中で安心する。


 「久しぶりだね」山崎先輩の優しい笑顔に癒される。


 「お久しぶりです」私たちはそう言っていつもの席へ座る。「今日はどうされたのですか?」


 「昼休みに佐藤が3年の教室にきてさ、今日は絶対旧校舎まで来いっていうから」眉を下げながら山崎先輩が続ける。「岡田引っ張ってきた」


 岡田先輩は外の景色を見ていたのだが、なんとなくムスッとしているのが彼の背中を通して伝わってきた。まだ怒っているのか、なんてぼんやり考えていると、ギィっと後ろの扉が開く小さな音がした。振り返ると、大きな額縁を持った佐藤先輩がゆっくりと入ってきているところだった。それをどこにもぶつけないように、慎重に。そんな姿を見て美子が駆け寄り彼を手伝った。


 黒板の前に立ち、持っていたものを教壇に置。「来てくれてありがとうございます」と佐藤先輩が三人の先輩方の姿を確認し、にこやかに続ける。「どうしても、先輩方の卒業前に、大学受験前に、一つでいいから思い出の作品を作りたくて」そう言ってその額縁を裏返した。そこには夕陽に照らされた金色に光り輝く小麦畑が紙いっぱいに描かれていた。残念ながら左下が少し破損してはいたのだが、そこには二人の影らしきものが何となく見てとれた。私は息をのんだ。それは確かに美しくて壮大な油絵だった。「こんな作品を一緒に作る機会を最後に僕に与えてくれませんか」彼の目は一直線に一点だけ見つめていた。


 「それ、捨てたはずだけど」一度もその絵を見ずに岡田先輩はぽつりと呟く。


 「あの白鳥先生がもったいないからって、ぐちゃぐちゃに捨てられていたこの絵を引き延ばして、準備室に額物に入れてひっそりと飾ってたらしいです」確かに再度よく見ると、一度くしゃくしゃに丸められていたのか、無数の細かい皺が絵全体に広がっていた。


 「絵は描かないってもう約束したから」


 「約束の意味分かってます?聞きけば、梅子ちゃんは岡田君の絵に感動してここに入部したとか。絵、まだ描いてるじゃないですか?約束、破ってるじゃないですか!何でそれはよくて、これはダメなんですか?」彼のごもっともな返答に、先輩方の方からは痛々しい沈黙が流れる。きっとたった1、2分の沈黙だったと思う。でも私には何十分にも感じられた。それくらい重苦しい空気だった。


 山崎先輩の優しい声が沈黙を貫き、教室内に小さく響く。「誰にも見せず、俺らだけで完結するならいいんじゃね」そして岡田先輩を見る。「確かに佐藤の言うことは一理ある。描かないって言ってるけどさ、絵、まだ描いてんの俺らだって知ってる。家に、親父さんにばれない程度なら、最後の高校での思い出ってことで、誰も別に責めないだろ」


 岡田先輩は黙ったままだった。


 「もし…」佐藤先輩は言葉を選びながら言う「油絵のにおいが気になるなら、水彩画でもいい。もう一度岡田君の絵を見たいし、一緒に描いてみたい」


 岡田先輩は金色の油絵に目線を移す。その瞳には迷いがあるようだった。唇をぎゅっと縛って何か考え込んでいるように見える。「水彩画だと、絵に重みが出ない。大きな絵を描くなら油絵でないと」


 「じゃあ、作業の時は俺の服を使ってください。最後水浴びしたら、匂いはほとんど消えるはずです」


 「水浴びは何て言い訳すんだよ?」先ほどまで沈黙を貫いていた田辺先輩が口を挟む。「運動部のやつらに見られでもしろよ、どこから噂たつか分かんねぇぞ」


 「それは、卓球部の所を使用しましょう。俺がいたら言い訳簡単にできます」


 「だが、毎日使うとなると流石に怪しまれるだろう」


 「夏休み中は卓球部ほとんど活動はありません。そこを狙って登校すれば分からないはずです」


 「先に言うけど、」岡田先輩はため息をつきながら話す。「夏休みに学校には来れない。家庭教師がほぼ一日中着く予定だから。一応受験生だしな」


 「じゃあ、九月からで問題ないです。放課後に一時間だけでも。受験勉強の邪魔にならない程度で」彼からは強い意志がひしひしと伝わってくる。「涼しくなれば水浴びは皆無です。卓球部は特に。少し寒いかもしれませんが、そこは気合いで」


 また再度少しの間沈黙が続く。そして数秒後、岡田先輩は何かを決心し、口を開いた。「とても粗い穴だらけの提案だが…、確かに俺は絵を描きたい。本当は」佐藤先輩を再度見る。「お前との約束もまだなしな。だが、受験勉強もあるし、親父にもしばれたら厄介だ。だから一枚しか書けないと思う、約束はできないが。あと…、もしばれそうになったら作品が途中だとしても俺は降りる。あとはお前が完成させろ」

 

 「もちろんです」


 「作業着は用意、悪いが頼む。あと、キャンパスとか絵具とかは、白鳥に言えば何とかなる。あいつが俺のを持ってるから」


 佐藤先輩の顔がどんどん明るくなってくる。ここまでくると、彼が絵を描いてくれると確信しているのだろう。


 私は美子に視線をやった。彼女と目が合いお互い微笑みあう。分からないことが多いけど上手くまとまってくれてよかった。ただ、どうしても一つ疑問が残った。


 - なぜ先輩は頑なに絵を描くことを嫌がっていたのだろう。


 私が出会った時も、あの土砂降りの雨の日も…、彼は絵を描いていた。でも、みんなの前では絵を描けないと頑なに拒んでいた。描かないと約束したからだ…と。何があったのだろう。矛盾している彼の行動に私は疑問が膨らんでいく。


 「約束ですからね!よっしゃあ~!」先輩方との話に決着がついたようだった。私は佐藤先輩の歓喜の雄たけびを朧気に聞いていた。


 


 


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