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七月の約束 1/4

 梅雨が晴れ、気温が高くなってきた。旧校舎へ向かう私たちを青々とした木々の枝から微かに零れる木漏れ日が眩く照らす。夏の訪れを感じる。


 「やっぱりさ、岡田先輩だけなんか壁を感じない?」美子がふいに尋ねてきた。


 私たちは先輩方ともう二ヶ月近く放課後一緒に過ごしている。最近では絵以外の会話だって増えている。だが確かに、未だ岡田先輩とだけは言葉では言い表せない微妙な距離を感じる時が良くある。なので、「そうね」と私は頷いた。


 あの土砂降りの雨の日、普段とは違う弱った彼に触れたことで、少しは心を開いてくれたのかと勝手に自惚れていた。だが、次の日以降も彼の態度に変化はなかった。何かを言われることも聴かれることもなく、絵のお題をだしては、私たちにそれを描かせ、そして添削する。そんないつもと何ら変わりない時間を過ごしていた。それはあの日の彼は幻だったとのかと錯覚させるほど、普段と同じ彼の自然体な姿であった。そんな先輩との心の距離に、私は何かモヤモヤとした胸のつかえを感じていた。


 「もうすぐ夏休みだから、王子と会えなくなるんじゃない?寂しい?」ニヤニヤした顔で美子が続ける。「夏は受験の天王山っていうしね。部室に来なくなるのも時間の問題じゃない?」


 確かに、先輩方は皆大学を受験すると言っていた。岡田先輩も美大ではないが、どこか都内の大学を受験するようだった。最近先輩方は部室でも討論することなく、ずっと勉強ばかりしている。


 「美子は大学受験とか考えてるの?」先輩のことを考えていると胸が苦しくなってくるため、わざと話を逸らすことにした。


 「まだ分からないかな…、正直。でも、短大には進みたいって気持ちは少しあるの…。両親の説得に骨が折れそうだけどね。梅子は?」


 「私は就職かな?特にやりたいことないし、それならお金を稼いで父を少しでも楽にしてあげたいかな」


 「そっか…」




 湿気と黴の匂いせいで、気分を重くさせていた旧校舎は、いつの間にか窓から時折入ってくる清新な風のおかげで、とても心地よく過ごしやすくなっていた。薄暑光が一切遮断されていることもあり、新校舎よりもずいぶんと涼しく感じられる。こちらの校舎で日中の授業を受けたいとさえ思うほどだった。


 部室へと入室するとそこにはいつもの先輩方の姿はまだなく、代わりに久しぶりに見る佐藤先輩が後ろの棚からなにやら紙を引っ張り出しては戻し、再度引っ張り出しては戻し、と繰り返していた。埃が舞い、せっかくの清々しい部屋が白く濁る。


 「お久しぶりです。ごきげんよう」私と美子は彼に声をかける。


 彼は私たちの方を見ずに未だ何か探し物をしていた。私たちに気が付いていないのだろうか?「何をお探しですか?手伝いましょうか?」私たちは彼の近くへ歩み寄る。


 「お、梅子ちゃんも美子ちゃんも久しぶり」ようやく彼は私たちに気が付いた。「岡田君の絵どこにあるか知らない?全然見つからないんだ」


 「私たち先輩がここで絵を描かれているところを見たことがありませんよ?」美子が答える。


 「それはそうさ、この一年ほど絵なんて描いてないよ」彼はそういう。「探しているのは、彼が入部してすぐに描いた絵。賞をとった作品だよ。どうしても最後にもう一度絵を描いてほしくって探してるだけ。あの絵をみたら、色々思い直してくれるかもしれないし…」


 佐藤先輩が言い終わる前に、「今日は皆早いな~優秀、優秀」と、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべた山崎先輩が扉を勢いよく開け、田辺先輩、岡田先輩と続けて入ってきた。


 「おや、佐藤じゃないか。久しぶり。何か探しもの?」田辺先輩が片眉を少し上げてきいた。


 佐藤先輩はバツが悪そうな顔をして手を止める。「いや…、その…」なんとも歯切れの悪い受け答えだった。


 「昨日の続きで来たのか?」岡田先輩が低い声で彼に威圧するように言う。「俺は絶対にもう描かない」


 「でも、風景画なら…」彼の声に被せる様に岡田先輩が答える。


 「何の絵でも絶対に描かない、もうそう決めたんだよ」


 「なんで頑なにそういうんだよ。僕がここに入部した理由、もしかして忘れた?」少し興奮しているのか、だんだんと声が大きくなる。「あの絵を見たらきっと思い出すって。また描きたくなるって。今年が最後じゃないか。一緒に絵を、作品を作るって約束しただろ?男に二言はないんじゃないのか?それでも日本男児かよ!」佐藤先輩の顔は怒りで真っ赤に染まっていた。「俺、二年も待ったんだぜ」


 「あの絵は…あの日捨てたんだ」声の端にふっと諦めの影が見え隠れする。「もうとっくに焼却炉行きだ。灰すら残ってないさ」彼はそう言って扉をバンっと大きな音を立てて締め、立ち去っていった。


 「じゃあ何でまだ美術部にいるんだよ」佐藤先輩は痛々しい音を放った扉に怒鳴る。


 私たちは二人の怒鳴りあいを近くで息を潜めてきいていることしかできなかった。


 「俺だって諦めきれねえよ…」彼が最後に消え入るように呟いた言葉に誰も返事をすることなんてできなかった。




 

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