部屋
「ただいま、さ、入って」ご婦人が私を見てそう言う。
私は迷いなく彼女の声に導かれるように部屋へ入った。
車から降りてからこの部屋にたどり着くまで、異国のような体験をしたな、と私は思い返す。目の前には首が痛くなるほどの高い建物があり、透明なガラスで周りが囲まれていた。そして、彼女が近くのボタンに手をかざすと、なんとひとりでにそのガラスの襖が開いたのだった。まるで魔法のようだった。
中に入ってからも驚きだった。綺麗な花がいたるところに生けてあり、かすかな甘い匂いが漂ってい。背広を着た男性が右手に見え、また左手には大きな、しかし柔らかそうな長椅子がいくつか置いてあった。どこか良いところの高級宿のように思う。だが、白で統一されたこの宿は安らぎというよりかはむしろ、私に変な不安を与えていた。
私はご婦人に案内されるがまま奥へと進む。そこには私の知っているそれとは色も形も違うのだが、昇降機がいくつかあった。そのうちの一つの中へ入ると、百貨店には常駐しているエレベーターガールがなぜかいなかった。代わりにご婦人が自分でボタンを押す。そして私はそのボタンの多さに目を見開いた。百貨店でもこんなにはない。まるで雲の上にでも行こうとしているのか?彼女はあろうことか30という数字を押した。私は恥ずかしながら昇降機に乗った経験なんて数えるほどしかない。だが、今まで乗った中でもこれが格段に一番静かなものであった。そして、あっという間に彼女の押した階へと到着した。
昇降機から降りると、目の間には吹き抜けがあり、その周りをいくつかの扉が囲むようにして並んであった。私は恐る恐る吹き抜けから顔をだす。とてもでないが、下なんて見れたものでなかった。足がすくむ。「こっちよ」ご婦人の声がこの宿全体に響いた。私は彼女の後に続き、この部屋まで辿り着いたと言うわけである。
彼女と共に部屋へ入るとそこもやはり白が強調されていた。案内されるまま、部屋の奥へと進む。彼女がふと何かに触れると部屋の奥のカーテンが開き、大きな窓から陽の光が優しく入り込み、部屋全体を明るく包む。私は窓へ近づいて外の景色を見た時、昔父に言われた言葉が頭をよぎった。まだ、母が亡くなって間もなかった頃、私と百合子は母はどこかと泣いて泣いて毎日のように父を困らせていた。そんな時いつも父は私たちにこう囁いていた。
「お母さんは、空の上で見守っているよ。凄く高いところから見守ってくれてるよ。ちゃんといるから、安心して」
小さな時は信じていた。だが大きくなるにつれて母の死を受け止めた時、空の上に人なんていないということを知った。だけど今、父はあながち間違っていなかったのだと思う。
何と言うことだろう、私は死んで雲よりも高いところに来ているようだ。先ほど感じた白い眩しい太陽の光は、もしかしたら死んだものに対するお天道様からの贈り物だったのかもしれない。窓からは街々がとても小さく見えた。人は一人ひとり確認することはできなかったが、彼らの声や車の音がやけに響いて聞こえる。それに、ここの周りにもこの建物と同じような高さのものがまばらに確認でき。それも、街を囲んでそれを見守るかのようにそびえたっていた。
私は言葉を失った。ただ窓から下を見下ろして、小さな街々をみて、自分は死んだのかもしれないと感じていた。




