目覚め
目を覚ますと、泣いているご婦人が隣にいた。眉間に深く皺をよせ、悲しんでいるようにも怒っているようにも見えるその女性は、何度も何度も目の前にいる二人の男性に頭を下げている。男性は二人とも背丈は同じくらいであった。しかし、一方の体形は少しふくよかであり、齢は父と変わらない40代くらいに見え、もう一方は私と同じ年かそれ以下に見える幼い顔をした中肉中背の男性であった。また、この二人の雰囲気は親子のようなそれは全くもって感じさせず、年の離れた友人のようであり、師弟のようなものでもあった。
ふと、私の視線を感じ取ったからか、幼い顔をした方の男性が私に視線を向けた。先ほどまで隣にいる淑女は真剣な顔つきで何やら話しこんでいたはずなのだが、私と目が合うととたんに優しい笑顔となった。が、私にとってその笑顔は言葉では表せない少しの恐怖を感じさせ、つい目線を下におろしてしまった。その後、彼はまたご婦人と話を再開するのであったが、私には彼らの話している内容が全く頭に入ってこなかった。
- 彼らは誰だろう?なぜ私はここにいるのだろう。
そんな感情しか今の私には生まれなかった。
全く何も思い出せないのだが、確かに私はつい先ほどまで幸せな気分だったと思う。心臓が幸福を刻むように打っていたからだ。緊張や不安のそれとは違う。穏やかに、優しい音である。
ふと、私は頬に何か違和感を感じた。そっと指先で探ると涙に触れた。
- 泣いていたの?
何か思い出そうと一生懸命頭をひねるが、全然思い出せない。むしろ、頭の奥のほうへと鈍い痛みを新たに発生させていた。
私はその痛みに目をしかめながら、あたりを見渡した。ここは小さな部屋のようだ。大きな窓が右手に見えるが、白く濁っているため外が全く見えない。私の目の前には白い机が二脚並べてあり、一方の上にはどこかの地図が、もう一方には黒い電話が置いてあった。誰かの部屋というような暖かい感じは全くなく、かといって冷たい無機質の部屋というわけでもなかった。
- ここはどこなのだろう。
頭に血をめぐらす度に、何か鈍器で殴られたような痛みが脳内に走る。
「いつもすいません…」
ご婦人の震える声が耳に入ってきた。私はご婦人に目線を変えた。髪は丁寧に結われているが、毛先に瑞々しさはない。口元はへの字に結ばれおり、皺が目立つ。一見、偏屈そうな女性に見えなくもないが、目元の垂れている皺が、彼女の強気な顔に少しの優しさを提供していた。年齢は目の前の年配の男性より少しばかりか上のようにも見える。
「あの、すいません」私はか細い声で尋ねる。「こちらはどちらですか?家へ帰りたいのですが」
すると、隣の女性は先ほどまでの恐縮した態度を一変させて、机をバンっと強くたたき、涙が浮かんでいる目を大きく開いて私を睨み、そして盛大なため息をついた。何かを話そうと口元が一瞬動いたが、すぐにやめ、私の問いかけを無視し、手元にある書類に文字を埋め始めた。その文字たちは荒々しいが、美しいと感じた。ただ、詳しくは読み取れなかった。字がにじんでいたからだ。
「もうすぐ帰れるから待ってね」年配の方の男性が私に話しかける。「もう一人で外に出ないでね、危ないから」まるで小さな赤子に話しかけるように、私にそう諭す。
何を?、と私が尋ねる前にご婦人が私に一瞥もせず、男性たちに向かって吐き捨てるように言った。
「いつも世話をかけます。もっとこちらでも注意は向けますが、また目を離したすきにお世話になるかもしれません。申し訳ございません」
再度私は彼女に目を向けると、ご婦人は机に額がつくほど、深々とお辞儀をしていた。
私はちんぷんかんぷんだった。
- あなたは誰なの?
でもご婦人は私を知っている。
- 何が起こっているの?
頭がパニックになる。何から問いただせばよいのか、今何が起こっているのか、何もかも分からない。
声にならない。頭が痛い。謎が膨らむ。辛い。苦しい。悲しい。私は自分がどこかに落ちていっているような感覚を覚えた。そして、「暴れないで」とご婦人のヒステリックな声と共に、私は再度闇に飲まれた。