魔法を試した、頭ができた。
ふと意識が浮上する。
まるで朝日が差し込むように、暗闇に輝く金色の粒子が彩度をあげてきらきらと輝き出した。
『おはよう、涼夏』
『ふ、ぇっ?』
朝から聞こえる男の人の声。
一瞬何が起こったのか分からなくなって焦るけど、手をつないでいることに気がついて、涼夏は意識が落ちる前のことを思い出した。
『ご、ごめんなさい! 私ずっと手を……!? エヴラールさん、寝れなかったでしょう!』
『大丈夫、寝たよ。君が寝たあと、僕もつられるように寝ちゃったみたいで』
『ほ、ほんと……?』
『本当。魔力がつながっているからかな、君と僕は同調しやすいみたいで、本当に気づいたら寝落ちてた』
苦笑気味なエヴラールの言い方に、なんだか涼夏は申し訳なく思う。本当ならベッドで寝てほしいのに、自分が手を離さなかったせいで迷惑をかけてしまった。
『本当にごめんなさい……その、体は大丈夫です? 頭痛とか、体痛めてたりとか……』
『全然。やっぱり涼夏のおかげかな。頭痛もないし、体がだるいこともないよ』
じっとエヴラールの顔色をうかがうように心の声を聞いてみれば、エヴラールは心底そう思っているようだ。涼夏は安心して胸をなでおろす。
ほっと一息ついていると、エヴラールがふと手を離す。
涼夏も追いすがることなく手を離した。
一晩、エヴラールと手を繋いでいた手を、握ったり開いたりする。
なんだか不思議だ。昨日出会ったばかりなのに、手をつなぐだけでこんなにも安心できるなんて。
これがエヴラールが勝手に交わしたという「契約術」とやらのせいかは分からない。でも今の涼夏は、理由もなく、エヴラールに全幅の信頼を寄せてしまっている。
感慨深くありながらも、それが少しだけ恐ろしいことにも思えて、涼夏はそこで考えるのをやめた。
難しいことは、考えない。
成り行きに逆らってもろくなことにはならないから。
一人でぽやぽやと考えていると、エヴラールが再び手を取ってくれる。
『涼夏、君って魔力は使える?』
『え、魔力、ですか?』
『そう。僕らは今日一日、仕事で出かけてしまうんだけど、君をどうするべきか話し合っててさ。一番は君を連れて行くのが理想的なんだけれど、それをするには頭がないのは問題だ。それで、頭を魔術で作れないかってガスパルが言っているんだ』
突拍子もないエヴラールの提案に困ってしまう。
涼夏は魔法なんて使ったことがない。日本では、魔法は空想上のことで、存在しないのが当たり前だったから。
今見えている金色の粒子がなんとなく魔力なんだろうってことは理解しているけれど、それをどう使えばいいのかも分からない。
うんうんと考え込んでいると、手の甲をトントンと指先で軽くつつかれた。
『涼夏の首ね、魔方陣があるんだ。多分これのおかげで、頭がなくても生きているんだと思う。だから涼夏は無意識のうちに魔術を使ってるはずなんじゃないかってガスパルが言ってるんだけど……難しいなら大丈夫。僕もガスパルも、魔術はからきしだから教えてあげることも難しいし』
優しく言われてしょんもりする。
できない事が悔しいし、もし一人で今日一日宿に置いていかれると気が狂ってしまいそうだ。
でも迷惑はかけられないと思い直す。今日一日時間がもらえるなら、魔術とやらのことを考えて過ごすのもいいかもしれない。何もすることがないよりは、まだマシだ。
一人で完結していれば、エヴラールから申し訳無さそうに言葉が伝わっていた。
『ごめんね、本当は一緒にいてあげたいのだけれど』
『いいえ、大丈夫です。お仕事なんだから』
仕事だと言って家族が家を開けるのは普通のことだ。
小さい頃、たとえ風邪を引いていても、薬だけおいて、涼夏に謝りながら仕事に行ってしまった両親の姿を思い出す。
どこの世界だって仕事に穴を開けられないのは普通のことだから、気にしなくていい。
そのことをどうエヴラールに伝えようかと考えていれば、ぎゅっと力強く手を握られた。
『……すまない。時間があれば顔を出すようにするから』
『本当に気にしないで。大丈夫だから』
涼夏が明るく伝えれば、エヴラールから後ろ髪を引かれているような感情が伝わってくる。
『とりあえず一度、朝食に行ってくる。そこでまたガスパルと相談するよ』
はい、と返事すれば、エヴラールの手が離れていった。
エヴラールの手が離れていってしばらくすると、涼夏はさっそくエヴラールの行っていた頭を作る魔術というのを試してみようと思った。
たぶん、暗闇の中できらきらと輝いている金色の粒子をどうにかすることができれば、何かできるような気がするのだけれど。
エヴラールから聞いた魔力の話を思い出す。
エヴラールは魔力をコントロールする器官が壊れていると言っていた。ということは、魔力を扱うには体にそういう機能がついているはずで。
でも日本人にそんな器官がついているなんて話は聞いたことがない。まずもってその器官が今、涼夏についているのかどうかも分からない。
それでも涼夏は無意識に魔術を使っているらしいから、その器官があるはずなのだけれど。
今まで怖くて触れてこなかったそこに手を伸ばす。
首がなくなってから、その断面に触れるのを嫌悪してしまっていたけれど、何かここに手がかりがないかと指先で触れてみた。
鎖骨から喉を通り、断面へ指を滑らせる。
よく分からないけど、触れた感覚はアクリル板を触っているような感覚だった。
何か手がかりがないかないかとじっくり触ってみる。
魔方陣があるとガスパルは言っていたらしいけど、どんな魔方陣なんだろう。
集中して探っていれば、金色の粒子がじわじわと動きだす。
そのことに気づいて、じっと金色の粒子を見つめてみた。
金色の粒子は動かない。
首をひねる。
どうして今、動いたのだろうか。
強くイメージをしたからだろうか。
試しにもう一度、涼夏の考える魔方陣を強く念じてみる。
すると、金色の粒子がじわじわと動き出して、まるで砂でできた魔方陣のようなものができた。
考えるのをやめればそれはすぐに霧散してしまう。だけど、これをもっと緻密に念じることができれば、頭も作ることができるのでは?
うんうんと唸りながら、試してみる。
だけど、粒子は自分の形にじわじわと集めることはできても、それはやっぱり砂のようなもののままで、しっかりとした形にはならない。
金色の粒子は使うたびに減っていく。
これはちょっとまずいな、と思って、一旦頭を作るのをやめる。
もっと小さなものを作ってみよう。
手のひらサイズのマッチを想像してみた。―――だめだった。
タンポポを想像してみた。―――だめだった。
氷を想像してみた。―――できた。
コップに入る立方体の氷を想像したら、金色の粒子が集まって、粘土のように溶け合って、混じって、本物の氷になった。
その上、それが涼夏の手のひらの上にある感覚がした。
冷たい。
いつのまにか冷たい氷が涼夏の手のひらにある。
暗闇の世界に生まれた氷は、現実の世界にもあるようで、もし頭があれば涼夏は大騒ぎしていたかもしれない。
魔法が使えたことに興奮した涼夏は次に何が作れて、何が作れないのかを試してみた。
すると、水や氷なら形を作ることができるようで、小さな水の玉や、氷の細工が涼夏の周りにころころとできた。
なんとなく暗闇の空間と現実の位置も連動しているようで、暗闇の世界で手を伸ばしたよりも遠いくらいのところで氷の塊を作ってみれば、現実の世界でもベッドから少し離れた場所で氷が落ちていた。
これならもしかして、氷で頭を作ることができるかも?
だけど残念ながら、あれだけ視界をきらきらさせていた金色の粒子がすっかりなくなってしまって、今すぐには氷の頭を作れそうにない。
涼夏は落ち着かなくなった。
そわそわと気もそぞろになって、出来上がった氷や水の玉をつついては暇を持て余す。
はやく戻ってこないかな、まだかな、はやく、魔力がほしい。
変な焦燥感もまじり始めて、いよいよ座っているのもつらくなった時、なんだか予感がした。
昨日もこんな予感があった気がする。
涼夏はベッドから飛び降りると、その予感のする方へと迷わず歩き出して。
『エヴラールさん!』
『え? うわ……っ』
扉を開いた瞬間、何かにぶつかる、
ぶつかった拍子に金色の粒子が散って、それがエヴラールだと気づくと、涼夏は遠慮なくエヴラールに抱きついた。
ぎゅうぎゅうエヴラールに抱きついていると、暗闇の中に金色の粒子が散り始める。
『え、あ、ちょ、待っ……! すい、すぎ』
エヴラールの苦しそうな声に、慌てて離れる。
何も見えないけど、もう一度手を伸ばせば、そこにいたはずのエヴラールがいなかった。
抱きついてきた涼夏が離れると同時、エヴラールは立ちくらみを起こして、立っていられずに後ろへ倒れた。
突然倒れたエヴラールに、ガスパルがぎょっとする。
「大丈夫か!?」
「……っ、はぁ、なんとか」
ガスパルが駆け寄って、エヴラールの背を支えてくれた。目の前では涼夏が手を伸ばして、おろおろしながらエヴラールを探している。
「何されたんだ」
「魔力を吸われただけ。すごいね、魔力が減ると、これはこれで体がつらいな。貧血ってこんな感じなのかもしれない」
「そんなこと言ってる場合か!?」
しみじみとそんなことを言うエヴラールに、ガスパルは怒鳴りつける。
いきなり耳元で叫ばれたエヴラールは柳眉を細めた。
「お前、昨日の今日でかなりの量を持っていかれてるんだろ? ちゃんとリョーカちゃんの魔力量把握して管理しないと、今度は魔力欠乏症になるぞ」
厳しい顔になるガスパルに、エヴラールは肩をすくめてみせた。
「だけど、彼女に魔力が必要なら供給しないと」
「そうだけどさ。ちゃんと供給する量は調整してもらえって言ってんの。起きたばかりは平気だったんだろ? 俺らが朝メシ行ってる間に急速に魔力が減ってるのを疑問に思え」
「……分かった」
エヴラールは神妙にうなずく。
ガスパルの言っていることはもっともで、自分のことなのにそういったところまで気が回せない自分が情けなく感じた。
ガスパルの手を借りて立ち上がったエヴラールは、ゆっくりと涼夏の手を取った。
『え、エヴラールさんっ! すみません! 魔力、吸いすぎちゃったって、大丈夫ですかっ』
『ごめん、心配かけたね。とりあえず大丈夫だけど、今の量をすぐにもう一回吸われたら、ちょっと困るかな』
『ご、ごめんなさい……っ』
泣きそうな涼夏の声に、エヴラールは「大丈夫」と答えた。
『僕らが朝食に行ってる間、何かあったのかい? 急に魔力が減るなんておかしいって、ガスパルが言ってるんだ』
『あっ、その、それなんですけど……』
おずおずと涼夏はエヴラールの手を離した。
それから自分の首の断面を両手で触れる。
すると。
「は?」
「……マジか」
ピキピキと首の先に氷が生まれる。
喉、口、頬、鼻、耳、瞼、眉、額、髪。
つるりとした質感へと変化した氷は、立派に氷の彫刻となり、透明な少女の頭を作り上げた。
唖然とした二人が、信じられないというような表情で涼夏に生えた頭を見ていると、涼夏はおもむろに首から手を離した。
『どうですか? 頭、できてますか?』
『で、できてる……え、なんで???』
エヴラールの手を握り直した涼夏から困ったという感情が流れてくる。
『なんで、って言われても……練習したらできちゃいました』
だから魔力が減ったのか。
大いに納得したエヴラールはガスパルの方を向いた。
「彼女、魔術師の適性がすごく高いのかも」
「そんなん見りゃ分かるわ」
ガスパルに一蹴されたエヴラールが、信じられないような思いで涼夏を見ていると、涼夏が伺うように言い出した。
『これで私も外に出られますか? お仕事行くなら、連れて行ってほしいです。犯人探し、私にもお手伝いさせてください』
切実に願う涼夏にエヴラールも白旗を上げた。
頭があれば連れていけるのにと言ったのはエヴラール自身だ。それに当事者である涼夏の協力はすごくありがたい。
『分かった。君も連れて行こう』
『ありがとう!』
氷の顔は表情が動かないけれど、でもエヴラールは涼夏がきっと今、可愛らしい笑顔で自分に笑いかけてくれているのだろうと思った。





