眠れなくなった、夢を見た。
眠れない。
今は何時くらいなんだろう。
エヴラールと知り合う前はすごく眠かった気がするのに、今は完全に目が冴えてしまっている。
目をつむろうにも視界は常に真っ暗だ。金色の粒子がちらほら散っているけれど、時間が経つごとに数が減っているような気がする。
この不思議な金色が何か分からなくて、それについて考えてみるけれど、いくら考えたってなんなのか見当がつくはずもなくて。
頭があればすごく長いため息をついているだろうな、と考えながら寝返りを打つ。
枕があるけど、頭がなくてやっぱり居心地が悪い。
ごろごろと何度も寝返りを打っては、朝はまだかとため息を打つ。
そう言えば、と思った。
ここは一人部屋なのかな?
それとも大部屋?
ベッドが一個あるのは分かっているけど、エヴラールたちはどこで眠るのだろう?
そう思った時、ふいに、心が寒くなった気がした。
広い部屋に一人ぼっちだったらどうしよう。
実はもう朝で、忘れられていたりしたら。
それともこんなお荷物、捨てられてしまったら。
嫌な思考が止まらない。
いよいよ肌寒さが頂点にまで達してしまい、涼夏は起き上がった。
ペタペタと裸足で床に降り立って、手探りで一歩ずつ歩く。
椅子があって、机があって、壁があって。
壁伝いに移動すれば、扉を見つけた。
その扉を開いてみる。
簡単に開いた扉。そろそろとまた壁伝いに歩いてみる。
ここが廊下なのか部屋なのかもわからないけれど、とにかく涼夏は誰か人の気配を感じたかった。
じわじわとすり足で歩いていると、ぽん、と肩に手を置かれる。
『ふきゃぁぁああああっ!!!』
『うわっ、りょ、涼夏っ?』
びっくりするあまりに最大ボリュームで心の叫びを上げた涼夏の声は、肩を叩いたエヴラールの頭に響いたようで、触れた肩からエヴラールの心の声が伝わってきた。
ハッと気づいた涼夏はくるっと身体を回転させると、迷わずエヴラールに抱きついた。
抱きついた瞬間、減っていたはずの金色の粒子が暗闇の世界にぶわっと増える。そして甘い何かが体を巡って、ほわほわと体温が上がった気がした。
『……あぁ、魔力が足りなかったの?』
『魔力?』
『あれ? 違った? 今、すごい勢いで魔力が吸われたから』
そう言われて涼夏は納得する。暗闇に輝く金色の粒子。これが魔力なのかもしれない。
この金色の粒子がいっぱいあると幸せな気持ちになるし、体に活力がみなぎる気がする。これが減ってしまうと不安になるので、涼夏の大切な生命線なのかもしれない。
『魔力のせいだったのかな。その、一人でいると、寂しくて。誰もいないのが、こわくて。それになんだか、眠れないんです』
『それは……困ったな。気づかなくてごめん。食事と同じで、魔術的な制限があるのかな……今まではどうしてたの?』
『意識が消える、ってことは何回かあったから、眠れないわけじゃないと思うの』
『ふむ……』
あれこれと考え込み始めたエヴラールに、涼夏は唖然とした。つなぎ直した手から、エヴラールのぐっちゃぐちゃな思考が流れてくる。人ってこんな子供が適当に詰め込んだおもちゃ箱のようにとっちらかったような思考ができるのか。
難しいことを考えるのが苦手と言っていたことに、すごく納得した。
『ええと、エヴラールさん』
『どうしたんだい?』
『今、何時、ですか』
とりあえず時間を聞けば、深夜だという。
もう周りはすっかり寝静まっている時間で、明日も早いエヴラールやガスパルも、本当ならもう寝ている時間だと。
『ごめんなさい、起こしちゃって』
『いや、僕は頭痛で眠りが浅かったし……ガスパルも職業柄、ね』
仕方がないとでも言うように語るエヴラールだけれど、彼が頭痛で眠れてなかったと聞いて、涼夏は慌てた。
『ごめんなさい。頭が痛いなら、無理しないで座って』
『平気。今、涼夏が魔力吸ってくれたから痛くなくなった』
涼夏は首をひねる。頭がないけど、微妙に首が右に偏った。
その様子を見たらしいエヴラールが面白そうに笑う気配が伝わってきて、ちょっとだけ恥ずかしい。
『昼間に言っただろう? 魔力のコントロールができなくて体調を崩しやすいって。馬に乗ってる時は涼夏が魔力を吸ってくれていたみたいだったんだけど、夕方に出かけてから段々と頭痛が出始めてたから』
『言ってくれれば良かったのに』
『いつものことだからさ』
エヴラールの困ったような感情が伝わってくる。
ずっとあって当たり前のものだから、我慢して当たり前なんだという裏側の気持ちまで感じ取れてしまって、涼夏はムッとした。
『痛いなら痛いって言うべきです。言ってくれたら、私があなたの魔力を食べてあげるので』
涼夏はこんな首なしの自分でも面倒を見てくれているエヴラールに感謝している。たとえそれが騎士の義務感からくるものであっても、何か恩返しをしたくて、それがエヴラールの体調を治すことならすごく嬉しい。
涼夏の真っ直ぐな気持ちが伝わったのか、エヴラールの心の声がふんわりと温かみを帯びる。
『ありがとう。それじゃあ、次からお願いしようかな』
『はい。ちゃんと言ってくださいね』
そう言いあって、エヴラールは涼夏の手を引く。
寝室まで案内すると、涼夏をもう一度ベッドへと寝かせた。
『眠れないならどうしようか。一晩中、話し相手になろうか』
『でも、それじゃあエヴラールさんが大変』
『これでも騎士だからね。頭痛があったって三日くらいなら寝なくても平気なんだよ。今は涼夏のおかげでもっと起きていられそう』
『だからって寝ないのは良くないと思う』
手をつなぎながらシーツの中へもぐりこんだ涼夏は、エヴラールがベッドに腰かけた気配を感じた。わずかに沈む敷布の感触に、なんだか安心する。
『じゃあ君が満足するまでお話してから寝るよ』
『今すぐ寝てください』
『強がりめ』
からかうような口調のエヴラールの手のひらから、チョコレートのように甘いものが流れてくる。暗闇の中の金色が、照明を落としていくように彩度を落とした。
『あ、なんか、寝れそう……』
『そう? それは良かった。良い夢が見られるといいね』
その言葉を区切りに、エヴラールの言葉が聞こえなくなった。意識が落ちる感覚を自覚しながらも微睡みに抗えなかった涼夏は、そのまますぅっと眠りについた。
眠りについた涼夏にシーツをしっかりとかけたエヴラールは、さてどうするべきかと悩んだ。
寝室にガスパルが入ってくる。
「リョーカちゃん、寝れそう?」
「今寝たところ。魔力が足りなかったみたいだ」
「あ〜あれか。魔力欠乏症みたいなものか? 中途半端に足りなくなると、感情が昂るってやつ」
「そういうものなのかい?」
「そーゆーもんらしい。お前は常に飽和してるから無縁だろうが」
ガスパルの言葉にエヴラールは肩をすくめた。ガスパルの言うことは正しい。
「それにしても、お前ら昼間はずっとくっついていただろ? 宿に入ってから離れただけですぐに魔力足りなくなるとか、リョーカちゃん大丈夫か? 明日から俺らも本格的に仕事するわけだし、彼女を外に連れ出すわけにも行かねぇだろ。魔力が足りなくなっても、ずっといるってのは無理だぞ」
エヴラールはその形の整った眉をひそめた。確かに今のままでは無理だ。自分もずっと涼夏の世話をしていられるわけでもないし、頭のない人間が街を堂々と歩くわけにはいかないことも十分承知していた。
「……考えておくよ。夜はまだ長いし」
「お前、徹夜する気か? 昨日は野宿だったし、疲れてるだろ」
「心配ないよ。涼夏のおかげで体調がすごくいいから」
「いや、つっても元の体力は変わらん……あー、うん、納得した」
ガスパルが何か一人で納得している。
一体何に納得したのか分からなかったエヴラールはじっとガスパルを見やった。
ガスパルは、エヴラールからの無言の圧力に苦笑しながら、教えてくれる。
「お前常に体調が悪い状態で並の騎士と同じ体力持ってるわけだろ。それって言い方を変えれば、並の騎士が体調悪い時以上の体力持ってるわけだろ? そりゃ元の体力が違うわ」
ガスパルの説明にエヴラールも得心がいった。
確かに単純に考えればそうかもしれない。
「つまりだ。いつもの僕が騎士一人分なら、今の僕は騎士二人分くらいになってるってわけか」
「……うへぇ、お前、もしかしたらすげぇやつなんじゃね?」
ガスパルが嫌そうな顔をする。
顔がよくて、コントロールができないとはいえ魔力も豊富で、騎士の憧れである魔剣を持っていて、体力も普通の騎士の倍あるとして、これが剣術や指揮系統にまで活かされたら、非の打ち所のない完璧人間になってしまう。
「……リョーカちゃんいれば、お前無敵かもな」
「そうかも。涼夏と僕を足して二で割れば、お互い丁度いいのかもしれないね」
エヴラールはガスパルから視線を外して、涼夏の方を見る。
寝顔があるべき場所には何もなく、それでもシーツがゆっくりと上下しているのを見て、彼女が呼吸をして生きているのだというのを感じた。
「……ま、好きにしろ。とりあえず俺は寝る。お前使わねぇなら、あっちのベッドもらうぞ」
「どーぞ、お好きに」
ガスパルがひらひらと手を振って、居間の方へと戻っていく。
実は警邏が事前に予約していた宿は二人分の予定だったため、当然のように用意されていた部屋は二つのベッドしかなかった。気を利かせてくれた女将が女性である涼夏のためにもう一部屋用意してくれようとしたけれど、何も見えない彼女を一人にできるわけもなかったので、二間続きのこの部屋のうち、手前の部屋に追加で簡易ベッドを運んでもらっていた。
そして奥の寝室であるこの部屋を涼夏に使わせて、エヴラールは簡易ベッドで、ガスパルは手前の部屋のソファで眠るつもりだった。
エヴラールも本当は涼夏を寝かしつけたら手前の部屋に戻るつもりではあったけれど、寝入った涼夏は無意識なのかぎゅうっとエヴラールの手を握って離してくれない。これでは抜け出すのは諦めるほかない。
「……君は本当に可愛いことをしてくれる」
月明かりが差す夜の部屋で、そう独りごつ。
涼夏が魔力を吸い取ってくれたおかげで透明度の上がった世界は、エヴラールにとって新鮮だ。
人と会話することも、身体を動かすことも、苦痛じゃない。誰かのために長い夜を明かしてもいいとさえ思ったのも、初めてだった。
眠る涼夏からはほんのりと心の声が聞こえる。
よくよくその声を聞こうとすれば、元の世界の夢を見ているようで、両親や友人らしき人物の名前を呼んでいた。
召喚された物が元の場所に戻れるのかどうか、エヴラールは分からない。
涼夏の頭を取り戻して、事件も解決したら、一度彼女を王城に連れて行って、自分がよく世話になる魔術師団長に相談しよう。
エヴラールはそう思いながら、そうっと目を閉じて、涼夏の夢の声に耳を澄ませた。