御前試合(上)
「やってしまった……」
「なんだ色男。最近じゃ珍しいくらいに顔色が悪いじゃねぇか」
「ガスパル、助けてくれ……」
ふらふらと出勤したばかりのエヴラールは顔を青ざめさせ、情けない表情でガスパルに助けを求めた。
ガスパルは眉をひそめて、エヴラールに向き合う。
「なんだ、どうしたんだ一体」
「御前試合に涼夏が来てしまう……!」
「はぁ?」
魔力関連のことかと身構えていれば、エヴラールは全然見当違いなことを言い出した。
御前試合って。
「いや、今更じゃねぇか。というか今からまさに予選が始まるだろ」
「だから!! 涼夏が御前試合を見に来るんだって!!」
「いや、それのどこが悪いんだ。身内は皆見に来るもんだろ」
「悪すぎる!! 御前試合に出るのを黙ってたのが知られてしまって口を聞いてくれない! しかもこれから予選だ! 怒ってたくせに、あの子は見に来るつもりなんだよっ」
「いや、だからそれのどこが…………あー」
ようやくガスパルは合点がいったようにうなずいた。
つまりエヴラールが危惧しているのは。
「お前自分が予選敗退するのを見せたくなくて黙ってたんだな? それで隠してたのがバレて怒られたと」
「ぐっ」
ガスパルの指摘に、エヴラールは言葉をつまらせた。
まったくもって、ガスパルの言う通りだった。
御前試合。
年に一回行われる、騎士の腕前のお披露目会のようなものだ。
王族が参列し、一般の人でもその大会の観覧が許される。
その人々の前で、騎士は打ち合い、その年誰が一番強いのかを競いあう。多くの騎士にとっての実力を試せる晴れ舞台だ。
だが、エヴラールは違う。
エヴラールはこれまで予選敗退しかしてこなかった。
今年も多分、予選敗退だろう。
さすがのエヴラールも、恋人である涼夏に情けないところは見せたくなくて、御前試合があることを黙っていたらしい。
ガスパルは呆れて物も言えなかった。
「お前の胸中は察するが、諦めろ」
「……ガスパル、どうすればいい。このままじゃ、涼夏に嫌われる……いやもう嫌われたのかも……」
「まぁー、それはないと断言するが。……たぶん今年は、お前が心配するほどの惨敗はしねぇと思うぞ?」
「慰めはいいよ……もう僕は涼夏に嫌われるんだ……」
完全に絶望の淵に立たされた様子のエヴラールに、ガスパルは苦笑する。
とりあえずガスパルは、このままここでエヴラールを放置することもできないので、今日の御前試合のための準備にエヴラールを引きずっていった。
◇
涼夏は怒っていた。
それはもう、静かにふつふつとした怒りを胸のうちに燻らせていた。
「さ、リョーカさん。お席はこちらよ」
「ありがとうございます、ジネットさん」
ジネットに連れられて、涼夏は案内された席に座る。
国営の競技会場のような場所の観客席。それも前から二列目という、優遇された席に涼夏は腰を下ろす。
涼夏がにこやかにジネットにお礼を言えば、ジネットは苦笑した。
「リョーカさん、まだ怒っているの?」
「そんな。怒ってないですよ?」
「そうかしら? せっかくのドレスなのに、雰囲気が刺々しくてもったいないわ」
そう言われてしまうと、涼夏も意地を張り続けるわけにはいかなくて、複雑な面持ちになる。
「……すみません。態度に、出てましたか」
「態度というよりは、雰囲気かしら。笑顔だけれど、周りを柔らかにするような笑顔ではなくて、氷のように凍てつくような笑顔に見えてしまうのよね」
「すみません……」
涼夏はジネットに謝った。
今日の仕立てはジネットの見立てによるものだ。
今日は御前試合という、エリシュ王国の一年の中でも大きな行事。貴族平民関係なしに一堂に会す場所で、エヴラールの恋人としてふさわしい服装を、ジネットが見立ててくれた。
淡い薄氷色のブラウスに、海色のハイウェストスカート。首にはスカートと同じ色のリボンを結んで、黒い髪はハーフアップにしてこちらにも同色のリボンを上品にあしらっていた。
全身エヴラール色のドレスコーデ。
普段は軽くしかしないお化粧も、ジネットの指導の元、目もとはぱっちり、頬はほんのり、唇は小粒の果実のように仕上げてもらって、立派なご令嬢の装いだった。
せっかくのジネットの好意を台無しにするわけにもいかなくて、涼夏は肩を落とす。
そんな涼夏にジネットは微笑んだ。
「仕方ないわ。リョーカさんの気持ちも分かりますし……エヴラール様の気持ちも分かりますから」
ジネットの言葉に、涼夏は気まずそうに視線をそらした。
涼夏が怒っているのは、エヴラールが自分にこの御前試合のことを教えてくれなかったからだった。
御前試合が間近になると、国の一大行事だからか、随分前からボワレー商会でも話題に上がっていた。もちろん涼夏もその話は聞いていて、周りからエヴラールも騎士だから出場することを聞いていたのだ。
御前試合は一般開放される。騎士の身内は、優先的に観覧権利を得られるのは常識だという。
それなのに涼夏は一度もエヴラールから御前試合のことについて誘われなかった。同じ家に住んで、毎日顔を合せているのに、一度も。
そして当日の今日、とうとう我慢のできなくなった涼夏がエヴラールに御前試合のことを聞いたら、エヴラールはこう言ったのだ。
『涼夏が来るようなものでもないよ』
と。
職場で聞いた話とは全然違う。普通は自分の成果を見てもらうために積極的に身内を呼ぶものだという。それこそ恋人や婚約者なんて、その筆頭らしい。
それなのに呼んでもらえなかった涼夏はショックを受けた。
自分はエヴラールにとって呼ぶに値しない人間だったのか、と。
次いで、どうしようもない怒りが湧いた。
じゃあ、私はエヴラールさんのなんなの? と。
恋人、だと思ってる。
職場の人から伝え聞いた話では、騎士の婚約者などがこの御前試合で差し入れ用にボワレー商会のお菓子や精のつくものを買っていくために、この時期はそういったものの売上が伸びるらしい。
涼夏もそういうことがしてみたかった。
そういう権利があると思っていたのに、エヴラールにとってはそうじゃなかったのが、悔しかった。
朝の一件を思い出した涼夏はしょんもりと肩を落としてうつむいた。
「……やっぱり私は、来るべきではなかったんでしょうか」
「そんなことないわ。でもそうね……これは事実として受け止めてほしいのだけれど、実はこの御前試合、エヴラール様の晴れ舞台とはいえないのよ」
「え?」
ジネットの言葉に涼夏は目を丸くする。
騎士の晴れ舞台と聞いていたのに、エヴラールにとってそうではないというのは。
「どういうことですか?」
涼夏は首を傾げる。
ジネットの含みのある言葉が何か知りたくて、聞き返した。
ジネットは苦笑すると、こそりと声をひそめた。
「エヴラール様はね、あまりお強くないのよ。魔力過剰症のせいかすきが多いらしくて。普通の人よりは剣の扱いに長けていて体は鍛えられていても、技術がどうしても、他の騎士に劣ってしまうらしいわ」
「そうだったんですね……」
そう言われてようやく涼夏もエヴラールの気持ちを考える余裕ができた。
エヴラールの魔力過剰症が彼の障害になっていることは知っていたけれど、その実感がいまいち涼夏には分かっていなかった。
涼夏が知るエヴラールは、いつも軽やかで、表情が豊かで、涼夏のピンチの時には駆けつけてくれる、かっこいい騎士様だ。
一度、エヴラールが魔力過剰症で倒れたこともあったけれど、それ以外にエヴラールの魔力過剰症というものがどう悪影響を与えていたのかなんてピンときていなかった。
涼夏がフィルマン・モーリアに襲われたときだって、美しい氷の剣を片手に涼夏を助けに来てくれた。
だから、エヴラールが強くないという言葉は相応しくないとすら思ってる。
だけどジネットの言葉を聞く限りでは、エヴラールはあれで弱いというのだから、むしろ騎士団の騎士が涼夏の思う「強い」以上に強いと思った方がいいのかもしれないとも思う。
もちろん、騎士という職業柄、その立ち位置に甘んじてはいけないのだろう。でも涼夏にとって、初めて見た瞬間のエヴラールの姿ほどかっこいいものはないのだから、そんなにかっこつけなくたっていいのにとも思う。
むしろ、あの魔力過剰症で倒れたときのように弱音を吐いてくれる方が嬉しい。見栄をはって隠されるよりも、弱いところだって受け止めて、共に歩んでいきたいとさえ思っているのだから。
悶々とした表情で涼夏がうつむいていると、ジネットがその肩を優しく叩いた。
「さ、もうすぐ始まるわ。今は応援してあげましょう。落ち込む殿方に寄り添うのは女の仕事です。もしこの結果が悪くとも、エヴラール様の気持ちを汲み取って上げて頂戴」
「はい」
涼夏はしっかりとうなずく。
たとえ、エヴラールがかんばしくない結果となってしまっても、涼夏は見捨てたりなんかしない。
そう決意して、御前試合の予選を見守っていたのだけれど―――
なんとエヴラールは、これまでの予選敗退記録が嘘だったかのように、決勝まで快進撃を続けたのである。





