しあわせの青い色
発端は、涼夏がエヴラールのご実家にご挨拶に行くためのドレスがなかったことから始まった。
「ジネットさん、貴族の方へのご挨拶ってどうしたらいいんですか?」
仕事中、ジネットに個人的に呼ばれた先で、ボワレー商会のお針子さんたちに囲まれながら、涼夏は世間話のようにジネットに話を振る。
話を振られたジネットは、採寸される涼夏を横目で見ながら手元の服飾デザイン図を見比べつつ、色々とチェックをいれていく。その合間に、涼夏の問いに答えてあげた。
「そうね……リョーカさんは立ち振る舞いが綺麗だから、不自然に気をつけようとしなくてもいいわ。貴族向けの口上とか、儀礼的な挨拶は覚えてもらわないといけないけれど」
「服装とかはどうすればいいです? 制服みたいに、きっちりしたフォーマルな服装ってあるんですか?」
「庶民用のものもあるけれど、貴族のお屋敷に行くならドレスじゃないと正面玄関から入らせてもらえないわ」
エリシュ王国が特権階級とそうじゃない庶民とでかなりの差別が図られているのは、涼夏もなんとなく気がついていた。
それは少し前、意識不明になったエヴラールのために王城へ行った時に浴びせられた言葉の数々から痛感している。
そういったものをきっちりとしないといけないのは分かるけれど、どうしても着飾って自分を取り繕わらないと挨拶すらできないというのは気が重く感じられた。
不安そうに肩を落とす涼夏に、ジネットが励ますように声をかける。
「そんな不安がらなくてもいいわ。形式的なものだもの。バラント侯爵夫妻は特権階級であることにあぐらをかかない、紳士淑女の鑑のような人たちだから、心配しなくて大丈夫」
「本当ですか……?」
「本当よ」
ジネットが念を押すものだから、涼夏も少しだけ肩の力を抜いた。ご両親へのご挨拶のハードルも高いのに、それがさらに身分的にも偉い人たちなものだから、完全には肩の力は抜けなかったけれど。
それでも心のゆとりがほんの少しだけできた涼夏は、ジネットに向き合って話を戻した。
「あの、ジネットさん」
「なにかしら?」
「ドレスっておいくらくらいするんです……? ご挨拶に行くなら、用意しないといけないですよね。私のお給料で足りるかな……」
「あら、そんなこと気にしなくていいわ。ご挨拶用のドレスはエヴラール様からご依頼を受けているもの。だから今、採寸しているのでしょう?」
「えっ? そうだったんですか?」
初耳。
なんで突然採寸に呼ばれたのかも分かっていなかった涼夏に、ジネットは呆れてしまった。
「まさか、エヴラール様から聞いていない?」
「聞いてないです……なにかのお手伝いとばかり」
突然仕事中に呼ばれたのだから、まさかこんな私的なことだとは思ってなかった。
仕事中に私的なことをするという罪悪感がむくりと首をもたげる。
「あ、あの、ドレスづくりならまた休みの日に改めて……」
「何を言ってるの。貴女がお休みの日は商会もお休みよ」
そうだった。
ジネットにぴしゃりと言われた涼夏はちょっとだけうなだれる。それでも涼夏は日本人らしく生真面目な性格が邪魔をして、仕事中だったという事実を捨てきれずにそわそわしてしまった。
そんな涼夏の様子を見ながらも、ジネットは手元のデザイン案をいくつか抜き出して涼夏に渡す。その頃にはすっかり涼夏の採寸も終わっていて、涼夏はボワレー商会の制服に袖を通していた。
「リョーカさん。ドレスはどんな形のものがいいかしら。エヴラール様からリョーカさんに似合うものをとオーダーがきているけれど、せっかくなら貴女らしいドレスをオーダーしようと思っているわ」
「私らしい……?」
「そう。貴女の故郷のドレスとか民族衣装とかはないかしら? 貴族の女性であれば正式な場では家紋や伝統のレースなどを取り入れたドレスをオーダーされるけれど、貴女はこの国の人ではないと聞いてるわ。せっかくだから貴女の国らしさを取り入れたドレスをオーダーしようかと思って」
ジネットの目が優しく細められて、綺麗な笑みになる。
リョーカは知っていた。ジネットがこの顔をする時、何かしらの打算があることを。
今はさしづめ……。
「……最新ファッションに行き詰まったんですか?」
「ふふ、なんのことかしら」
ジネットは誤魔化すけれど、たぶん正解だと思う。
お針子さんたちが、ここ最近ボワレー商会のドレスデザインがマンネリ化してきているとひっそり噂しているのを涼夏も耳にしていたので。
とはいえ。
「私が知ってるドレスって、ウェディングドレスとかくらいしかわかんなくて……」
「うぇでぃんぐ?」
「はい。私の国は貴族とか平民とかのくくりはもうなくて……あ、昔はいたんですけど、私の国の貴族はこの国のようなドレスは着なかったです。で、この国みたいなドレスは結婚式くらいでしか着ないんですよ」
「結婚式……婚姻の儀のようなものかしら?」
「この国の結婚式ってどんな感じですか?」
「教会に行って、婚姻台帳に記名するの。貴族はその後お披露目の夜会を開くこともあるけれど、庶民はそれだけね」
「なるほど……」
つまり、庶民は入籍するだけで、披露宴みたいなのは貴族の人たちだけがすると。
涼夏はなんとも華やかさのない結婚事情に微妙な顔になる。
「その顔、何か言いたげね?」
「え、いや、その」
「ほら、お話しなさい」
ジネットがお針子の一人を呼び止めて、メモの準備をさせる。すっかり聞き取り体勢に入ってしまったジネットに、涼夏はおずおすと話だした。
「その、結婚式では特別なドレスを着るんです」
「特別なドレス?」
「形は決まってないんですけど……色は必ず白なんです」
「あら、どうして? そんな染めの楽しみもないドレスを着るの?」
「その、意味があるんです」
「意味?」
「あ、あなたの色に染めて、っていう……」
なんとなく涼夏も聞きかじっていた程度のものだけれど、改めて口にするとなんだかとても恥ずかしい。
涼夏がなんとなく落ち着かずに視線をさまよわせていると、お針子さんがすごく食い気味に涼夏のことを見ていてぎょっとした。
「他は」
「えっ?」
「式、というからにはなにか儀礼的なものもあるのではなくて? 他にもドレスのことでもなんでも良いから話して頂戴」
びっくりした涼夏の耳に、ジネットの催促の声が届く。
その圧に押されて、涼夏はぽろっと話しだした。
「ゆ、指輪の交換します」
「指輪?」
「病めるときも健やかなるときも、永遠にあなたを愛しますって誓って、結婚指輪を交換するんです。一生に一度の指輪で、その指輪を左手の薬指につけていれば、私は結婚していますっていう意味になるんです」
「他にはいかがですか?」
とうとうお針子さんまで食いついてきた。
とはいえ涼夏も見聞きしたものくらいしか知らない。親戚のお姉さんの結婚式にお呼ばれしたときのことをなんとか思い出す。
「さ、サムシング・ブルーとか」
「それは?」
「えっと、幸せな結婚のための四つのおまじないの一つで、何か青いものを結婚式に身につけるんです」
「四つ? 他の三つは?」
「ええと、新しいものと古いものと……すみません、忘れました……」
涼夏はしょんぼりとした。
親戚のお姉さんの結婚式で、白いドレスの中にヘッドドレスの青いリボンだけが印象に残ってて、それを思い出したのだ。その時に「花嫁の幸せのおまじない」だと聞いて、他にも四つあるのを聞いたのだけれど、サムシング・ブルーしか思い出せなかった。
お針子はひどく残念そうにしたけれど、ジネットはくすくすと一人で笑いだした。
きょとんとした涼夏がジネットを見ると、にんまりと真っ赤なルージュをのせた唇を弓なりにさせて笑っている。まるでガスパルがエヴラールをからかう時のような笑顔になったので、今更ながらに二人が姉弟であることを感じた。
その対象は、明らかに涼夏なのだけれど。
涼夏がちょっとだけ身構えると、ジネットは聖女のような優しい声で涼夏に告げた。
「もしリョーカが結婚式をするのから、白いドレスだけでよさそうね」
「な、なんでですか?」
「だってサムシング・ブルーはとっくにあなたを幸せにしてくれてるのではなくて?」
なんのことか分からずに涼夏が首を傾げれば、ジネットは微笑みながら自分の瞳を指さした。
「あなたは常に、幸せの青がそばにあるものね?」
瞳と青。
瞳が、青。
海色の瞳の人が、涼夏の脳裏に思い浮かぶ。
ジネットの言いたいことを理解して、涼夏は顔を真っ赤にさせた。
「ふふ、リョーカさんはとっくに青色に染められているけれど、大勢の前でもう一度染め直すというのは男心をくすぐりそうだわ。異国の文化は面白いわねぇ」
ころころと笑うジネットに涼夏はいたたまれなくて、ほてる頬を押さえてうつむいてしまう。
お針子さんも涼夏の恋人のことを知っているからか、生ぬるい視線を向けているのがなんとなく分かった。
この後も涼夏はジネットからあれこれと聞かれて、結婚式の話の他にも、日本の着物の話などをなんだかんだと話すはめになってしまった。そうしてすっかり話し終わる頃には就業時間をとっくに越えていて、心配したエヴラールが迎えに来てくれていた。
ようやく解放された涼夏は見送るジネットの視線が意味ありげなものにしか見えなくて、いつもより小さな声で挨拶をすると、エヴラールを連れてささっとボワレー商会を後にした。
ちなみにエヴラールの実家へ挨拶に行くためのドレスは、また後日、改めてデザインを決めることになったのだった。





