落ちていた、契約してみた。
エヴラール・バラントといえば、むさ苦しい騎士団の中でも見目麗しく、魔術師にも匹敵する魔力を持ち、「氷の騎士」の二つ名を戴く騎士だ。
さらりとした薄氷色の髪に、深い海の色をした切れ長の瞳は、城の侍女たちの注目の的。けれども常に悩ましげな表情をして過ぎたる色香をまとう彼は、誰にとっても高嶺の花。その上、近づくだけで腰が砕けて子を孕んでしまうという不名誉な噂が広まっているほどの色男だった。
そんなエヴラールが常に悩ましげな表情をしている理由。
それは彼の生来の魔力に由来する。
エヴラールは生まれながらにして、熟練の魔術師に匹敵するほどの魔力量をほこっていた。当然それに気づいていた両親は早いうちからエヴラールを魔術師とするべく、そういった教育を施していた。
だが、その教育は見事に実を結ばなかった。
それはエヴラールが、両親や教師の理解を超えるほどに頭の出来が悪かったからで。
両親は嘆いた。教師も嘆いた。エヴラールだって泣きたかった。
だけど、どうしたってエヴラールは魔術の理論も構築も、魔力のコントロールさえ、出来なかったのだ。
何かを深く考えようにも、すぐに思考が霧散して集中力が続かない。目の前のこと一つならなんとかどうにかなるけれど、勉強というのはどうやったって難しかった。
そんなある時、エヴラールはとうとう自分の大きすぎる魔力に耐えきれなくて倒れてしまった。
侯爵である父が伝手をたどって高名な魔術師を呼び寄せてくれた。彼によって、生来のエヴラールの頭の悪さもまた、その魔力のせいであることがわかった。
エヴラール自身は知覚していなかったが、彼は常に慢性的な頭痛を持っていて、そのせいで思考能力が低下しているのだという。
普通であれば、魔力をコントロールして魔力の生産を止めることも可能な上、魔術を使えば魔力を消費できるので、過剰な魔力を溜め込むことはないという。
それがエヴラールの場合、魔力コントロールをするための体内器官が壊れているというのだ。そのせいで魔力は無尽蔵に生産され、人体に影響が強く出てしまっているのだという。
エヴラールとその家族は悲しんだ。
魔力をコントロールできなければ、この体はそのうち過ぎたる魔力が溢れかえって破裂してしまう。
悲しみにくれた一家に、魔術師が告げたのは騎士になることだった。
『騎士になれば魔剣を使用することができる。魔剣は持ち主の魔力を自発的に吸収してくれる。本来ならば魔獣や精霊と契約して、常に魔力を消費するのが望ましいが、それらを召喚するための魔術や契約術が君には難しい』
騎士ならば、なんとかエヴラールにもできそうだった。
順序は入れ替わってしまったが、魔術師から魔剣をもらい、騎士団へと入団した。本来ならば入団後に団長から魔剣を貸与されるのだけれど、そこは父が権力と人の情を駆使して、騎士団入団を条件に貸与してもらうことが叶った。
そうして騎士団入団を果たしたエヴラールは、貸与された魔剣が、彼の魔力を溜め込んでクリスタルで鍛えられたかのような氷の魔剣に生まれ変わったことから、「氷の騎士」と呼ばれるようになり、今に至る。
騎士となったエヴラールが唯一後悔していることといえば、魔剣を持つようになると「頭がすっきりとした状態」を体感するようになり、頭痛を知覚するようになってしまったことか。そのせいで常に気怠げな雰囲気をまとっており、それが彼の色香に熟成されて、不名誉な噂までいただくはめになってしまったのだけれど。
「おーい、エヴラール、大丈夫か?」
「あぁ、ガスパル。なんとか」
エヴラールは同期の騎士であるガスパルに、悩ましげな吐息をこぼしながらも返事を返した。
地方からあげられた陳情を解决するために派遣されることになった二人は、目的地であるモーリア侯爵領に向けて街道を旅していた。
王城を旅立ってから丸一日。今日の夕方にはモーリア侯爵領に着くけれど、太陽がちょうど真上にきたあたりからエヴラールは普段よりも頭痛が強く出てしまい、憂いの色を瞳に浮かべていた。
「身体つらいなら、少し休むか?」
「いや、大丈夫だ。これも鍛練の一環さ」
苦笑しながらエヴラールが答えると、ガスパルは「そっか」と簡潔にうなずいて前を向き直す。
エヴラールはガスパルの優しさに感謝しつつ、馬の手綱をしっかりと握った。
騎士たるもの、いつまで経っても独り立ちできないようでは問題がある。ただでさえこの頭痛持ちのせいで、騎士の中でも下から数えた方が早い実力しか発揮できないのに、魔剣を所持しているということでやっかみも多いのだ。それ相応の実力は、示せるようになりたい。
「まー、無理すんな。魔力過多になってもどうにかしてくれる魔術師様はいないんだからな」
「分かってる」
エヴラールの魔力は本当に膨大だった。成長するにつれ増えた魔力は、今や国一番の魔術師にも匹敵すると言われている。その魔力の多さゆえ、並の魔術師ではエヴラールの魔力を扱いきれない。あまりにも体調が悪化したときなどは魔術師団長に特別に治療してもらうこともしばしばあった。
「魔術が使えれば一番いいんだけれどね」
「そりゃないものねだりだ。諦めろ」
ガスパルはエヴラールが騎士団に入った経緯をよく知っているので、忌憚ない意見をさらりと述べる。
エヴラールは肩をすくめて、街道を進むのに集中した。
すると。
「……なんだあれ?」
ガスパルが何かに気づく。
その視線は前方を向いていた。
エヴラールも目を凝らして、よくよく見ようと意識してみる。
そしてぎょっとした。
「死体か!?」
「首がねぇ! 例のやつか!」
チッと舌打ちをしたガスパルが馬を急進させる。エヴラールもまたそれに続いた。
近づくと、ソレが女性の身体だと気づいた。
娼婦のように足を出す破廉恥な服を着ている。背格好から、まだ少女のようだった。遺体の近くまできて、エヴラールは馬から降りた。
「可哀想に……」
「待て、エヴラール」
ガスパルが少女の遺体に近づこうとしたエヴラールを制止する。
馬から降りたガスパルが、少女の頭部の位置を指さした。
「こいつ、血が出てない。それに首の断面が魔方陣になってる。死体じゃ、ない……?」
困惑した表情で少女の遺体の不思議な部分を、ガスパルが指摘した。そう言われてエヴラールもその事に気がつく。
「本当だ。これはいったい……」
「分からん、が。生きてるなら放っておくわけにもいかねぇ。件のモーリア侯爵領の目前に、頭がない女の子とか、ただ事じゃねぇだろう」
そう言ってガスパルが少女の肩を揺すり起こすため、触れようとすると。
むくり。
首のない少女が起き上がった。
それからわたわたと手探りであたりに手を伸ばしては、騎士二人の前でよたよたと立ち上がったのだ。
「……嘘だろ」
「…………すごい光景だね」
首のない少女がゆらゆらと危なっかしく歩き出す。
どうやら目が見えていないようで、踏み出す一歩は一歩先に何があるのかと確かめながらの小さな歩幅だし、耳も聞こえないのか、エヴラールたちには気づいていないようだ。
エヴラールとガスパルは目配せし、互いに頷きあう。
少女を連れて行ったほうがいい。
エヴラールが自身の存在に気づいてもらうように、少女が歩く方へと回りこむ。伸ばす手の先で、自分の手に触れさせた。
少女が驚いたように手を引っこめ、後ろ向きに倒れこみそうになる。
エヴラールは慌てて少女の手をしっかりと掴んだ。
そして信じられないことが起こった。
少女の手を握った瞬間、魔力がごっそりと持っていかれた。
急速に魔力を持っていかれた反動で、エヴラールの身体は痺れてしまい、少女と一緒に倒れこむ。それでもなんとか少女を下敷きにしないように身体を捻って、自分が地面と少女の間に挟まった。
「だっ、大丈夫かっ!?」
「だ、大丈夫だ。ガスパル、君はこの子に触れないほうがいい。触った瞬間、魔力が半分以上吸われた」
「はぁ!? お前の魔力の半分!?」
ガスパルが驚きすぎて大きな声を上げる。それからすぐに険しい顔になった。
「そいつ、魔獣か? 魔力を吸い取るってことは召喚されて野良になった危険な魔獣ってことだろ。始末したほうが……」
「いや、やめてくれ。すごく気分がいい」
ガスパルの言葉を遮って、エヴラールは身を起こした。
身体の痺れは一瞬で、もうない。
少女をきちんと座らせると、エヴラールは立ち上がる。屈伸し、あまりの身体の軽さにスクワットまで始めてしまう。
「は?? おい、エヴラール?? なんでスクワット???」
「すごいよガスパル!! 体が軽い! 頭痛もない!! 視界がチカチカしない!! ああっ! まるで生まれ変わったようだ!!」
目を輝かせたエヴラールは声高らかにそう叫ぶ。
そして呆気に取られたガスパルの目の前で、目の前の少女を抱き上げた。
「この子は僕が面倒を見よう! 僕が連れて行く! モーリア侯爵領についたら魔術師を紹介してもらって、契約術を教えてもらう!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!?!? いや待て待て待て!! お前、魔術はからきしじゃあっ」
「今ならなんでもできそうなんだ! すごい、頭が冴え渡っている!!」
「落ち着けってエヴラール! そいつがまだどんなヤツで、人に危害を与えるかも分かんねぇのに街までは連れて行けねぇ!」
「なら今契約術を交わす!」
「それこそ無理だろ!?」
「なんかできそうな気がする!」
そう嬉々として叫んだエヴラールは、少女を抱き上げたまま、随分昔に教えてもらった記憶を掘り起こす。
今までは霞がかっていたように蓋がされていた記憶も、驚くほどすんなり手繰り寄せることができて、エヴラールはその美貌に相応しい壮絶な笑みを浮かべた。
「―――異界より来たれり召喚されしもの、我が魔力を糧として、我が眷属となす」
本来ならば契約主たるエヴラールが、呪文とともに魔力を召喚された物に対して流さないといけないのだが……呪文を唱える間も、この少女はちうちうとエヴラールの魔力を吸収していた。
故にエヴラールが呪文を唱えるだけで、契約術が完成されてしまう。
理論も、構築もあったものではない。
純粋な魔力量のみに頼った、強引な契約術。
晴れやかな笑顔のエヴラールとは違い、ガスパルは頭を抱えてしまった。この先どうすればいいのかと頭を悩ませる。
そして、無理矢理エヴラールと契約を結ばされた首なしの少女はというと―――
『やだぁぁぁあああ!!! 首返してぇぇえええ!!!』
エヴラールの麗しのかんばせを鷲掴み、必死の抗議を上げたのだった。