会いたくなかった、諦めなかった。
これで尻拭いができると思った。
それがまさか、こんなことになるなんて。
「貴様、何を勝手なことをしている!? いつこの私がこんな物を拾ってこいと言った! 美しくない! 何だこの頭は! 異形ではないか!」
「も、申し訳ありません……!」
母から黒髪黒目の同色持ちの娘のために帽子を探している青年と会ったと報告があった。その青年が、母の帽子を買ったということも。だから帽子を目印に、運良くその娘を見つけて、一人になった瞬間を狙って攫ってきたのに。
黒髪黒目の娘などどこにもいなくて、帽子の下から出てきたのは氷の異形だった。
怒れる主人に平身低頭した彼女は、主人の次なる残虐に怯えて体を震わせる。
イライラとしながら部屋を右往左往する主人は、華美なブーツの踵を苛立ちまぎれに派手に鳴らしている。
「本当に馬鹿なことをしてくれた……! 警邏から目をつけられている現状でこれはまずい。全くもって巫山戯た真似をしてくれた! 貴様のその首、よっぽど妹のものと並べられたいようだな……! 欲しくはないが、母親の首諸共並べられたいか!?」
「お、お許しください……っ!」
ますます小さくなる彼女に、主人はフンっと鼻を鳴らす。
「まぁ首を取ったところで貴様のは腐らすだけだがな。必要な色はもう七色揃えた。だが唯一黒だけが我が支配下に入らん。その補填をしようとしたのは愚者のわりには気が利いたな」
「あ、あ……! で、では……!」
許してもらえる、と思った刹那、主人は首を傾ける。
「何が、では、だ? 気が利いただけで何も実は結んでおらんではないか! 貴様はただただ我が計画を台無しにしたこと、とくと噛みしめよ!」
伏していた彼女の頭を、主人は踏みつけた。綺麗に結われていた髪はグシャグシャにほどけ、ごりごりと頭蓋骨に靴底の感触が響き、彼女は痛みで泣いた。
「まったく……それにしてもこの異形、何かに似ているな……ふむ。しかもやけに大人しい。私達の会話は聞こえていないのか?」
「ご、じゅじん、ざ、ま……」
「なんだ」
「ゾレ、は……口も、耳も、目も、ぎげないと、面倒を見でいだ男が言っで、いまじだ……」
「ほぉ。それは興味深い」
主人は彼女の頭を踏みにじるのをやめ、ぐるぐると氷の異形頭の周りを巡ると、じっくりとその異形頭を観察した。
そしてある一点に注目する。
「おや、これは……?」
それは氷と人肌の境界線。
そこにぼんやりと魔方陣のようなものを見つけた。
じっくりと観察してみると、その魔方陣に見覚えがあることに気がつく。
主人は不敵に笑んだ。
「褒めてやろう、下郎。これは思った以上に良い収穫だ。確かに黒髪黒目の娘で間違いないな」
「え……?」
くつくつと喉を震わせる主人は、笑いが堪えきれなかったのか、天を仰いで笑いだした。
「どうしてやるべきかと思ったが! これなら簡単だ! 頭を繋げ、もう一度切断すればいい! 次は騙されんぞ!!」
高笑いを上げる主人から、彼女はじりじりと距離を離す。
彼女の主人―――白い髪に灰の瞳を持つ男は、そう笑いながらハンマーを握り、血走った瞳で氷の異形頭を砕くため、振り上げた。
何が起きているのかさっぱりだった。
誰かに手を引かれて、馬車のような乗り物に乗ったことは理解していた。最初はエヴラールかと思ったけれど、それにしては手が小さいし、何も喋ってはくれないし、魔力だって与えてはくれない。お昼休憩だし、エヴラールを呼びに来た警邏の人たちが、長引くからと涼夏のことを呼びに来たのかもと思ったけれど、馬車のようなものに押し込まれて、違うと悟った。
暴れてやろうかとも思ったけれど、何も見えない、何も聞こえない自分が暴れたところで何にもならない。涼夏は帽子をぎゅっと押さえて固まった。
そして緊張に何百回もの心臓の鼓動を数え終えたところで、馬車らしきものを降ろされて、歩かされた。手を引かれて歩くのがなんとなく女性のようだなと思っていれば、不意にその手が離される。
寄るべきものが何もなくなってしまい、涼夏の中に不安が渦巻く。
ここはどこだろう。
エヴラールさんは知ってるかな。
ここに連れてきたのはだれだろう。
私、どうなっちゃうんだろう。
悶々と考え込んでいると、誰かが涼夏の帽子を取ってしまった。帽子を取られたくなくて手を伸ばすけどそれよりも早く帽子がどこかに行ってしまう。取り戻そうにも手を伸ばす方すら分からなくて、項垂れた。
そのまま所在なくじっと身を縮めていれば、誰かが頭に触れた気がした。氷越しに触れられた場所から金色の粒子が波紋のように揺れ動いたのが分かった。
その変則的な動きに涼夏はよくよく目を凝らす。何かわからなくてそうっとその場所へと手を伸ばせば。
『――――――ッッッ!!!!!!』
指の骨が砕けるような鈍く鋭くジクジクとした痛みと衝撃が、涼夏の右手を襲った。
思わず手を押さえてうずくまる。
泣きたくても泣けなくて、叫びたくても叫べなくて、ただただドクドクと心臓が逆流しているかのように体が全身で暴れ出そうとしている。
それでも必死に痛みを逃がそうと、腕を抱える。歯も食いしばれなくて、痛みが逃せない。のたうち回りたくても、この状況下でそれができるの?
そう自問自答していれば。
『うぁっ!』
ぐわぁんっと頭上で鐘を鳴らされたかのような衝撃と音が響いてきた。同時に暗い世界に氷が散る。涼夏の氷の頭が砕かれたのだと理解した。
恐怖しかなかった。
何が起きてるの。
今、何をされているの。
涼夏は自分の体を抱えながら、後退りする。
胸ぐらを掴まれ、むりやり引き倒された。
涼夏は暴れる。
だけど涼夏の体に馬乗りになった誰かは問答無用で涼夏の氷の頭を砕いた。
こわいこわいこわい。
いやだ、いやだ、いやだ……っ!
金色の粒子を集めて氷の盾のようなものを作るけれど、それすらも壊される。もう魔力も尽きかけて、不安と恐怖と、肌寒さと、ぐちゃぐちゃになった感情が、涼夏の中に渦巻いた。
そして、ふっと意識がジェットコースターに乗ったような無重力感を感じた。そして耐えきれないほどの耳鳴りと目眩のようなものに、涼夏は喘ぐ。
「ふ、はぁっ」
「あぁ、重畳、重畳! 頭がつながったぞ! やはりお前だったか異世界人!」
久しぶりの、人の声。
だけど耳障りなこの声は、涼夏にとって最大級に会いたくない人のもので。
何がどうなったのか分からないけれど、耳鳴りと目眩が収まりつつあった涼夏は瞼を開いた。
瞼が開いた。瞼がある。耳も聞こえている。聞こえていなかったはずの人の声や空気の音がする。そして鼻や口は呼吸を始めて。
ぼんやりと、頭が戻ってきたことを理解した。
だけどまだ焦点を結びきらない視界の中で、自分の腹に跨った白い男が、恍惚とした表情で涼夏を見下ろしているのが見えて。
「ああ、黒髪に黒目……すべての魔力を内包せし色……美しい。実に美しい!」
高笑いをする男は記憶と違えることはなかった。あの、自分の頭を刈り取った男。
全身から血の気の引いた涼夏はカタカタと体を震わせた。
「まったくもって煩わされたぞ。貴様、頭を切っても生きているとはな? 小賢しい。異世界人とはそういうものなのか? まったく、そのせいで余計なことをさせられてしまったが……だが、それももう終わる。今度こそ貴様の頭を貰い受けるぞ!」
白い男が斧を近くにいる女に持ってくるように命令する。
そこでようやく、涼夏は自分以外にも赤髪の女性がいたことに気がついた。
「た、たすけて……っ」
「ご、ごめんなさいっ」
赤髪の女性は目もルビーのように赤かった。その彼女に助けを求めれば、謝られる。女性はふらつきながら部屋の隅に行き、立てかけられていた斧を拾い上げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
「よし、そのまま持ってこい」
男が笑う。
涼夏は駄目もとで、なんとか痛まない左手の指を伸ばして男の手に触れる。
魔力を吸ってやろうと強く念じてみた。
だけど。
「え……?」
「ん? あぁ、魔力を吸おうとしたのか? 残念だったな。私は生まれつき魔力欠乏症でね。全ての属性に少しずつ適性がある代わりに、魔力のキャパシティはほぼゼロなのだよ」
白い男はずいっと涼夏の目前に自分の瞳を見せつける。
「見えるか? この白い髪と灰の瞳が。本来なら魔術なんてもの使えるどころか、生活に根づく魔道具に魔力を流すことすら難しい。それがどうだ。今や私はお前のように異世界から人間を召喚することも可能になった!! なぜだか知りたいか! いや、知りたくなくとも冥土の土産に教えてやろう!」
おしゃべりな質らしい白い男はそう言うと身を起こして朗々と語りだす。
「私はな、魔力コントロールを極めたのだよ。他者の魔力を操れるほどにね。そして純粋な属性魔力の多い同色持ちの人間を集めたのだ。それらを魔術的に融合させることで、異世界からの召喚術を成功させるに足る魔力を生成した」
赤髪の女性が白い男に近づく。
斧は男の手に渡った。
「本来なら私に魔力を与える存在が欲しかったのだがな。だがまだそんな上位存在を召喚するには魔力が足りない。故にその足がかりとして、六つの魔力とそれらをまとめる貴様の黒い魔力を求めたのだ。……だが、貴様がしぶとく生きていたせいで貴様から魔力を奪い取れなかったではないか!」
ガンッと斧が床に叩きつけられた。
ビクッと身体が跳ね、涼夏は身がすくむ。
白い男がせっかく話してくれても涼夏は何がすごくて何が悪いのかぴんとこない。とにもかくにも目の前の男は涼夏の黒髪黒目が意味する魔力が欲しかったことだけは理解した。そして涼夏が生きていたことでそれが叶わなかったことも。
「まったくどうやったのだ? 我が目をかいくぐって死体のふりをして、体と頭部を魔力的に繋げるなどと……私の操れる基礎の四大元素の魔力では、貴様にかかった魔術が解けずに困っていたのだ」
だが、と男は続ける。
「これは怪我の功名か。お前の方から来てくれた。ならば物理的にもう一度つなげてしまえば、後は少しの魔力で魔術が解けるという寸法よ。上手く行ったということは、貴様ももう魔力が尽きかけか? 大丈夫だ。死んでも貴様の魔力器官に干渉して、貴様が腐り落ちるまでは無尽蔵に魔力を取り出すことはできるからな……!」
人に話すというよりは、自分に言い聞かせるかのような言葉に耳を澄ませながら、涼夏はふつふつとした怒りがわいてきた。
死んでもなお、魔力を取り出され続ける機械になれって?
「―――冗談じゃない……っ!」
涼夏は渾身の力でもう一度氷を生み出す。自分の非力さでは男の力に勝てないと思われているのか、男が涼夏の腕を自由にさせていたのが幸いだった。
「凍って!」
「おっと」
男の顔面目がけて氷柱をぶつける。
目前の先端にさすがの男も驚いたのか、腰を浮かせた。
「……っ」
「! 待て!」
そのすきに、自分でも驚くくらいの俊敏さで男の拘束から抜け出す。痛む右腕をかばいながら、扉らしきところに駆け寄った。
「うそっ、開かないっ」
「ハッ、馬鹿め。簡単に開けられるわけがないだろう。ここは秘密の場所。誰にも知られない場所だからなぁ……! リル、その女を捕まえろ!」
リルと呼ばれた赤色の女性が、顔を歪めながら涼夏に向かってくる。
涼夏は一瞬ひるんだ。
だけど。
唇をかみしめ、赤色の女性に自分から飛びつく。
「きゃあっ」
「魔力っ、もらうねっ!」
服に隠れていない頬へと、手を触れさせる。
目を閉じれば、金色の粒子が暗闇に散った。
エヴラールからもらった魔力の半分にも満たないけれど、それでも涼夏の魔力は増えた。
ドサッと限界まで魔力が吸われたリルが床に崩れ落ちる。
それを白い男は驚愕の表情で見ていた。
「貴様……!」
「近づかないで!」
涼夏は叫ぶ。
「近づいたら貴方を攻撃します!」
「……ほう、どうやって?」
「こうやって……!」
涼夏は氷柱をもう一度作ろうとした、けれど。
「えっ……?」
「クハハッ! 自分が吸収した魔力が何かわからん貴様には宝の持ち腐れだなあ!」
魔法は不発。
氷柱を作ろうとしたのに、氷柱ができない。
なんでと思って目を瞑れば、初めて頭を作ろうとしたときのように、金色の粒子が砂のように流動しているだけだった。
「なんでっ、なんでなんで……っ!?」
「ハハハ、もういいか? いい加減飽きも来た。そこの愚図のせいでここももう潮時だろう。時間がないゆえ、さっさとその首をよこしたまえ……!」
男がいつかのように斧を振りかぶる。
涼夏は、九死に一生の中で、最後まで諦めなかった。
視界の端に映る燃えるような女性の髪。
刹那の間際に思い出す。
―――同色持ちって?
―――髪と目の色が同じ人のことさ。この世界では魔力の種類によって髪や目の色が決まる。親から魔力を受け継ぐから複数の種類の魔力を持つことが多いのだけれど、ごくごく稀に、一種類しか魔力を持たずに生まれる子がいる。
髪の色が、魔力と同じなのであれば。
そしてもし、涼夏のイメージがこの世界でも通じるのであれば。
「燃えて――――――!」
赤色は炎の色。
森羅万象の不変の真理。
涼夏を中心に、火柱が噴き上がった。





