希望が見えた、休憩した。
さすがに侯爵家へと今すぐに乗り込むような真似はできないので、侯爵家に関する監視、及び侯爵家当主への説明、正しい手順での令状の用意などで警邏は手配に追われた。
早期解決が望ましいけれど、今日一日では何もできないと言われた涼夏は、エヴラールと共に一足先に宿へと戻ることになった。
時刻は昼頃、まだまだ一日は長くて退屈を持て余しそうだ。
そんな涼夏の気持ちを汲んだエヴラールが、気を利かせて街へと誘ってくれる。
『僕の昼食も買いたいしね』
そう言ってエヴラールは涼夏の手を引くだけじゃなく、人混みでぶつかってしまわないように涼夏の肩を優しく抱いた。
密着した距離に、心臓が早鐘を打つ。
魔力が足りないからって自分から抱きついていたくせに、こうやってエヴラールの方から距離を縮められてしまうとなんだか気恥ずかしかった。
行きは馬車で来た道を、ゆっくりとエヴラールがリードしながら歩かせてくれる。エヴラールが右手にどんな建物があって、左手になんのお店があるのかと教えてくれるので、涼夏は異世界の街並みを想像しながら歩いた。
それでも何も見えない、何も聞こえないまま長距離を歩くのはしんどくて、歩きはじめてニ本目の通りを過ぎたところで涼夏の足は止まってしまった。
『ごめん、疲れたね。ちょっと休もうか』
『ごめんなさい、迷惑かけて……』
『気にしないでいい。僕の方こそ、配慮が足りなかった』
普通に考えれば、何も見えない・何も聞こえない状態で歩くなんてかなりの負担になる。それに思い至れないのが、騎士としても人としても、致命的にエヴラールの弱いところだった。
近くのカフェに入って椅子を借りる。ついでだからと涼夏に勧められて、エヴラールは自身の昼食を注文した。
座って一息つくと、一瞬だけ無言の時間が生まれる。
その間を壊すように、涼夏がぽつりと呟いた。
『エヴラールさん。私、ちゃんとお役に立てたでしょうか』
涼夏から不安定な感情が伝わってくる。
疲労からだろうか、気持ちが落ち込んでいるようだ。エヴラールは一つ瞬きをすると、優しく聞こえるように柔らかく答える。
『もちろんさ。これまで犯人の手がかりが全くなかったんだ。涼夏のおかげで事件の解決も早まりそうだ。本当にありがとう』
『いえ、私こそ無茶なお願いをしてごめんなさい。……私の頭、見つかるかな』
『きっと見つけるよ。大丈夫だ』
握った手から涼夏の不安がじわじわと伝わってきて、エヴラールは彼女を元気づけるべく言葉を伝える。
それでも涼夏の不安は拭えなくて、エヴラールは言葉を重ねた。
『君のことは僕が責任持って預かるから。契約術を交わした以上、君と僕は一蓮托生。頭もきっと取り戻してみせるよ』
そこまで伝えてほんのりと涼夏の気持ちが浮上する。
それでも持ち上がりきらない涼夏の感情に、エヴラールは訝しんだ。
『涼夏、どうしたんだい? やっぱり歩いたせいで疲れさせてしまったかな』
『いえ、平気です。だけどちょっと、胸の奥がすぅすぅするようで、不安になっちゃって……』
涼夏の言葉にエヴラールは一つ心当たりを思いつく。
もしかしたら。
『涼夏、魔力はどう?』
『あ……朝の三分の1くらいです。思ったより消費が早いですね。不安に思っちゃったのはこれのせいかな……なんでだろう?』
『君は今、自分の生命維持と氷の頭に魔力を注いでいるからね。昨日より多く魔力を消費してると思うよ』
『あっ、そっか』
ガスパルの受け売りではあるけれど、エヴラールがそのまま伝えれば、涼夏は納得した。一回形を作れば魔力は消費されないと思っていたけれど、そういうわけではないらしい。
自分の体の状態を理解した涼夏は気合を入れて不安を拭った。三分の一もあればまだ平気なはずだから、不安に思うことはないと自分に言い聞かせる。
『そういえば不思議ですよね。魔法……この世界で言うと魔術ですか? 炎とか、紙とか、自分の頭は作れないのに、水とか氷とかは出せるんですよ』
『ああ、それは……それはたぶん僕の魔力の影響だろうね?』
『エヴラールさんの?』
『僕の魔力は水属性なんだ。その上位属性である氷も持ってるから、僕の魔力を吸収してる涼夏は水と氷が操れるんだよ』
『水属性とか、氷属性とか、なんだかゲームみたい』
スマホアプリで人気のパズルゲームくらいしかしていなかったけれど、涼夏はそれなりにやりこんでいたから、エヴラールの言ってる魔法の属性というものはすんなりと理解ができた。
そこでふと思い出す。
『そういえば、私の持ち物ってどこいったんだろう……?』
『涼夏の持ち物?』
涼夏はこくりと頷くように、頭を前へと傾けた。
『私、ここに来る前、学校の帰り道だったんです。それで友達と買い物しにコンビニへ行って、ちょうどお店を出たところだったから……学校の鞄とか、買い物した袋とか、どこいったんだろうって』
エヴラールはふむ、と考えた。エヴラールが見つけた時には涼夏の荷物の類はなかった。
身一つで森の中に捨てられていた涼夏。そのことを改めて思い返すと、ふつふつとエヴラールの中に怒りが沸いてくる。
『……出来る限り、それも取り戻すようにするよ。たぶんまだ犯人が持ってるはずだ。君を異世界から召喚しているんだから、その持ち物だって貴重なものだからね』
『貴重っていっても、中身は大したことないですよ。教科書とかお弁当箱とかしか入ってないですもん。あ、でもお財布とかスマホは失くされてると困るな……』
涼夏から知らない単語がいくつも出てくる。さっきのコンビニもそうだったけれど、スマホというものがわからない。
涼夏の異世界の話に興味が出て、エヴラールはいくつか質問を重ねた。
学生だった涼夏は何を学んでいたのか、スマホというものはなんなのか、異世界とはどんな風景なのか。
手をつないで、たくさん話す。
涼夏が話せば、彼女もエヴラールの話を聞きたがって、エヴラールもまた騎士としての話やこの世界のことなどを話した。
会話は弾んで、時間も忘れるほど。
エヴラールは常に頭痛のせいで会話なんて煩わしいばかりと思っていたのに、涼夏との会話はそんなことがなく、いつまでも話していられるとさえ思った。人との会話がこれほど充実した気持ちにさせてくれるなんて知らず、今までの人生を少し損していたような気分にもなる。
『涼夏の話はとても興味深いね。それにスマホっていうのも、コンビニの仕組みも、色々と便利なものが多いようだ。それに時々聞こえる君の歌。あれも異世界の歌なんだろう?』
『あっ、えっ、うそっ! 歌ってるの聞こえてたんですかっ?』
『心の声だからかな。無意識の言葉も聞こえてしまうみたいでね。馬に乗っている時とか、昨夜の眠る間際とか、後は馬車に乗っている時も。君の心は歌であふれていたよ』
涼夏がパッとエヴラールから手を離して、ベール越しに顔を押さえてしまった。たぶん恥ずかしがっているのだろう素振りがあまりにも可愛らしくて、エヴラールは喉の奥をくつくつと鳴らして微笑んだ。
顔がなくてもわかる。きっと涼夏は耳まで真っ赤にして恥ずかしがっているのだろう。それを暴いてしまいたくなるけれど、それができないないのが残念だ。
早く涼夏の顔を見てみたい、見せてほしいと思いながら、注文した紅茶でエヴラールは喉を潤した。
そうして落ち着くころを見計らって、優しく涼夏の手を引き寄せる。
『恥ずかしがらないで。すごく素敵な歌ばかりだからもっと聞かせてほしいくらいだよ』
『えぇ……恥ずかしいので無理です』
『それは残念だ。君の声に混じって素敵な楽器の音も聞こえてくるから、吟遊詩人の歌を聞いているようで楽しいのに』
心の声は言葉だけじゃなくて思い描いているものもなんとなく伝わってくる。それは感情もそうだし、音楽もまた伝わった。
自分のアカペラ独唱だけが伝わっていただけだと思っていたのに、音楽まで伝わっていたと聞いて、涼夏は驚く。
『音楽も? え、どうやって聞こえてくるの?』
不思議がる涼夏に、エヴラールは試しに一つ、自分が知っている音楽を心の中で思い描いてみた。
それは舞踏会で必ず流れるファーストダンスの音楽だ。
物覚えの悪かったエヴラールも、一応貴族の端くれ。ダンスのレッスンなどで飽きるくらいに聞いていたから、どんな音楽なのかすんなりと思い出すことができた。
音楽を思い出していくと、涼夏からじっと耳を澄ませて心地よく聞いているような雰囲気が伝わってくる。
一曲を通して思い出した頃には、涼夏からすごく楽しそうな感情が伝わってきた。
『すごいですね! 心の音楽ってこうやって聞こえるんだ……!』
『楽しんでくれたようで何よりだよ』
『もっと異世界の音楽を教えて下さい! 歌とかあると嬉しいです!』
きらきらと輝いてすら見える涼夏の言葉に、エヴラールは心臓を鷲掴まれたかのようにキュッとなるのを感じた。
顔が見えないのに涼夏の言葉と感情が真っ直ぐにエヴラールを貫いてきて、胸のあたりを思わず押さえてしまう。
『…………』
『エヴラールさん? どうかしましたか? 胸、痛いんですか?』
『あぁ、いや、大丈夫。平気さ』
『そうですか? でも心配ですし……朝から私が魔力を吸いすぎていますから、もう宿にも戻りましょう。長話しすぎてしまいましたね』
心の声が伝わってしまったようで、涼夏に気を遣わせてしまった。エヴラールは申し訳なく思い、それでも確かに少々長居をしすぎてしまったのは間違いないので席を立つことにする。
涼夏には少し待つように伝えると、エヴラールは会計をするために店員を呼んだ。
支払いをしていると、店員の女性が微笑ましそうに涼夏とエヴラールを交互にみやった。
その視線に眉を顰めさせたエヴラールは、つい女性店員に声をかけてしまう。
「……どうかしましたか?」
「あぁ、すみません。とても仲睦まじいお二人だなと。素敵な関係で羨ましい限りです」
そう楽しそうに笑って会計を終えた店員は戻っていった。
その言葉にしばらく首をひねっていたエヴラールだけれど、手をつないでずっと見つめ合っていただけの自分たちが周りからどう見えるかに思い至ったのは、馬車へと乗り込んだ後だった。





