あの日の記憶
どこかから蝉の声が聞こえる。
あの頃、毎年夏休みの恒例であった父との蝉とりは、数少ない少年時代の思い出である。
午後の暑い、焼けるような日差しを受けて、陽炎のような熱を発している階段を登る父と僕。
自分の背丈よりも長い網を手にぎゅっと掴み、肩には虫かごをかけている。
白色のTシャツは限界まで汗を吸っていて、肌に張り付く不快感と、とめどなく流れる汗とともに、じわじわと体から体力が流れ出しているようだった。
あの時の神社の名前は…。
記憶に残るのは龍の宮彫り、その眼はこちらを圧倒して、強烈な何かを僕に残した。
そうだった、あの時社殿の裏で父さんがとても大切なことを話してくれたんだ。
何かとても不条理なことがあったんだ、子供ながら許せないこと、でも、どうしようもなくて、だから魔法に頼ろうとしたんだ。
「魔法、魔法って本当にあるのかな? 僕、使えるようになれるかな?」
「なれるよ、一真だったらきっと使える。」
「いいかいよく聞きなさい。これはね、お父さんのお父さんから聞いた話、そして一真から将来の一真の子供に伝える秘密だよ。」
「この世界には誰にでも使える魔法がたった1つだけあるんだよ。」
「それはなに?お父さん」
「それはね、願いだよ。強い人の願いが、魔法という奇跡を引き起こすんだよ。」
「願い? 呪文じゃないの?」
「呪文を唱えてもいいんだよ。 でも魔法はね、本当に一真が叶えたいと思わなければ発動しないんだよ。そして叶うまで、思い続けなければいけないんだよ。」
「心の底から願う、真なる願い。」
「たった一つの真なる願い。」
「カズマ起きた?」
気がつくとグリーンの瞳にカズマの顔が映りそうなくらい顔を寄せて、エレノアがこちらを覗いていた。
周囲を見渡すと、中庭のテラスに母、ソフィアと妹のエレノアが座っており、心配そうにカズマを見ていた。
「大丈夫? 魔力の使い過ぎね。カズマは、人より多く魔力を持っているはずだから、魔力制御が上手くいってないのね。上手く魔術を発動するには、まずは自分の魔力をはっきりと認識できるようになることが必要ね。魔術の発動は1の魔力でいいのに、カズマは10の魔力を使っている。」
ソフィアが教師役として杖を片手に持ち、もう一方の手には魔術教本を開きながら、先程使ってみせた初級魔術、光灯の注釈を読みながら、初めて魔術を使う息子に、母としていいアドバイスはないかと考える。
「ここより遥か遠くの極東というところではメーソー(瞑想)?という方法があって、己の内に眠る魔力を感じることができると聞いたことがあるわ」
「そのメーソーって、どのようにすればできるのですか?」
兄に負けたくないという気持ちと、でも兄に褒められたいという複雑な気持ちを抱えて、エレノアは母の話に夢中になっている。
カズマの脳裏に、スキンヘッドの人間が、目を閉じて座っている姿がふと横切り、母が何を言おうとしているのか理解してしまったことに、じわりと背中から汗が噴き出るのを感じた。
「長い間、目を瞑って集中し、自分の魔力の源を感じることだと何かの本で読んだ気がします。」
瞑想という言葉を知っているが、それが何か、どのようにするればいいのか分からない、と顔に書いてある母を見ながら、カズマは援護の言葉を発した。
「あら、カズマはとても物知りなのね、でも実際のところは分からない…。何かいいアイデアはないかしら」
3人で腕を組みながら考えるが結局、同じ顔をしたそっくりさんが3人できただけで、魔術の上達には長い時間がかかりそうであった。
「はあ、折角魔法の使える世界に転生したのに、あまり上手くいかないな。」
その日の夕食を終えて自室に戻ったカズマは、机の上に魔術教本を開き、右手に光灯を灯しながら溜息をついた。
その間にも、火とは違い、風の影響を受けない光であるのに、ジジジと光が暗くなる。
「集中、集中…。」
自らの魔力の源を意識して、そこから一定に魔力を手のひらに流す。
ジジジ…。何度か光が暗明を繰り返す。
”願いだよ。強い人の願いが、魔法という奇跡を引き起こすんだよ。”
”心の底から願う、真なる願い”
「真なる願い…。」
頭の中で、何かが、弾けた。
龍…。いつか見た、宮彫の龍が光の閃光の中に見えた気がした。