第一歩は乗馬から
「もし、家族が増えるなら、○○は、妹が欲しい? それとも、弟が欲しい?」
女性が僕に優しく話しかけている。
ぽかぽかして、あったかい…。霞がかった視界に、顔のよく見えない女性が嬉しそうに声を弾ませて、僕に話しかけてくれている。本当に、幸せそうで…。
それを聞いた僕はとてもワクワクして…。
「僕はね、両方、両方欲しい。」
妹か弟か、そんなのどちらでも良かった。
家族が増える。それがどんなに幸せで…。
「お兄ちゃん」
優しくて、温かい。
そんな声が聞こえた。
ああ、母さん、こんなに若かったんだ。
結局、お腹の大きくなった母さんは、途中で流産してしまい。
実際は、どちらにも会えなかった。
後悔ばっかりの人生だったなぁ…。
最後に見た母さんの顔はもっと年老いていて…、思い出せないや…。
「お兄ちゃん!!」
はっと、目を覚ますと、視界一面に少女の顔が映った。
「なに、寝坊しているのよ。」
どっしりと、カズマのベッドの上に両膝を付き、両肩を揺さぶっていたのは、プロスブルグ王国南部に広大な領地を持つ、ベルシュタイン辺境伯の次女、4歳で末っ子のエレノア=フォン=ベルシュタインである。光沢のある金髪に、エメラルドのようなグリーンの瞳、いつもは勝気にぴんと逆立った眉は八の字に変わり、こちらを心配そうに見つめる瞳は原石のようくすんだ深緑色に見えた。
「アリスが困っていたじゃない。カズマ様が目を覚まさないって…。」
「女性に心配させるんじゃないわよ。」
カズマを覗き込む瞳は心配そうに濡れていて、軽蔑したような台詞は、しかし、安心したような声に聞こえた。
「まだ、1ヶ月なのよ。カズマが記憶を無くして…。」
「そうだね」
カズマは、これ以上心配する妹の視線に耐え切れなくなり、ベッドから見える窓越しの景色に視線を変えた。
1ヶ月前、目覚めた馬小屋の一室ではなく、今は伯爵の本拠地であるウインダム城の一室、カズマの部屋で寝ている。前世でも見たことないような、豪華絢爛の装飾の部屋は、未だに慣れないが、どうやら自分はとんでもない立派な貴族の息子に転生したらしいことが分かった。
「朝食は?」
「お父様とお母様もお待ちよ。さあ、急いで支度して、アリス起きたわよ。」
部屋の外に待機していたアリスはそれを合図に一目散に入室すると手際よく、衣服を手にした。
「カズマ様、直ぐに身支度を済ませますよ。」
カズマ専属メイドのアリスが気持ちを切り替えようと、元気な声で言いいながら、エレノアと交代して寝間着を脱がしに掛かった。
そこからは、昨日と変わらない日常が始まろうとしていた。
「遅れて、申し訳ございません。」
4、50人は入れる食堂の大きな扉をくぐり抜けて、待っていた両親に深く頭を下げると、急いでカズマは用意されている席についた。
数十人用のテーブルの先には、カズマの父と母、エレノアと給仕役のメイドが控えており、カズマが席に着席したのを合図に朝食が運ばれてくる。長男、次男、次女は、習い事があるため、すでに朝食は済ませている。
「体調は大丈夫なの?」
カズマの正面には、母であるソフィア=フォン=ベルシュタインが座っており、食事に手をつけずにカズマに声を掛けた。
「はい、いつもよりも眠りが深かったので、アリスに気付きませんでした。」
「何度もあなたを起こそうとしたそうよ。エレノアなんて頬をつねったとまで言っていたのに、それでも起きなかったのよ。」
自分の頬に手を添えて言うソフィアは、誰から見てもエレノアを産んだ母とわかるくらい瓜二つで、小さなエレノアをそのまま大人にして、慈愛のある雰囲気を足した容姿をしている。ただし、一つ大きな違いはエレノアは父に似て金髪にグリーンの瞳をしているが、ソフィアは金髪にサファイアのような美しい澄んだ青色である。
「母上、僕は大丈夫ですから、それより父様、今日は乗馬に再度チャレンジしたい。」
流石に、両親に心配をさせる原因にもなった乗馬を今日に挑戦したいとカズマが言ってきたことに口に含んでいたものを吹き出しそうになったが、ブラムは強靭な精神力でなんとか我慢し、ナプキンで口を拭って水を一口飲む間に、さてどうしたものかと考えると、突然嫌な空気をかき消すように笑い出した。
「ハッハハ、よく言った。いいだろう。カズマもこのベルシュタインの男児、失敗を恐れず、立ち向かう姿勢は見事である。」
ソフィアは直ぐに反論しようとしたが、口を開く前に、ブラムが続ける。
「なに、今度は私がついている。心配いらんさ。」
「ですが、まだ事故から一ヶ月ですよ。それにカズマは5歳です。乗馬には早すぎます。」
「何、グレンの娘は4歳から馬に乗っていて、今では上手に乗りこなしているとか、習い事に早すぎるなんてことはないだろう。」
「それでも…。」
「カズマは、王国南部の要、ベルシュタインの男児である。将来は南のアッシュダルト大森林に潜む魔獣や南東から侵入してくるカブサール王国から国境を守らなければならない。カズマを馬に乗れない男にするつもりか?」
結局、ブラムのこの一言で食後の乗馬訓練が決まった。
二人の兄だけではなく、三男のカズマでさえ、この広大なベルシュタイン辺境伯領を治めるためには必要であり、期待されていることにカズマは純粋に嬉しく思っていた。