第9話
その日も、僕はルーチン通りに過ごした。午前中まで喫茶店のアルバイトに従じ、午後からは図書館へ向かい、花火に関する本を読んだ。17時ちょうどになると、近所の私鉄線の駅へ向かい、皆の到着を待った。待ち合わせ時間は17時半で、現在時刻は17時15分だから、まだ誰も見当たらなかった。とは言っても、僕はその待ち合わせメンバーのほとんどを把握していないので、知っている顔は見当たらなかったと言い直すべきだろうか。
駅前は華やいでいた。普段は学生やサラリーマンが不機嫌な顔をして利用する場所は、鮮やかな着物を着た若者や多くの家族達で騒がしく、雰囲気がまるで違っていた。僕は、全く性に合わないと思いながら、駅の柱にもたれて空を見ていた。夏の分厚い雲と少し暗くなり始めた青い空があるだけの景色だった。
「何か見えますか?」
目を向けると、真白さんが僕の顔を覗き込むようにして立っていた。オレンジ色の着物に赤い帯を結んでいる。後ろにはクラスメイトの女子が二人立っていて、同じく鮮やかな着物を着ていた。
「いつもの空だよ」
僕が答えると、真白さんは「だよね」と言って笑った。すると、後ろに立っていた女子二人が、僕に向かって冗談ぽく怒った。
「こら、茅原くん、女子のこの格好を見て感想はないの?」
「そういうの大事だよ」
僕は間をおいて、「良い着物だ」と言った。すると、真白さん含め三人の女子は笑った。曰く、「これは着物ではなく浴衣だ」という。僕は似たような物だろうと思いながら「勉強になったよ」と言っておいた。正直なところ、二人の女子の名前を思い出すのに必死で、会話にあまり集中できなかった。
17時半になると全てのメンバーが揃った。翼と、葉山さんと、真白さんと、男子二人と、女子二人だ。全員、着物、ではなく、浴衣を着ている。普段着は僕だけだった。
「おい京子、城だけ浮いてるじゃねぇか」
「ああ、ごめんね茅原くん。伝えてなかったね」
そんなやり取りで一笑い起きたが、僕は本心から「いいよ」と答えた。どんな格好をしていようが、僕とこのメンバーが集まれば、僕は必然的に浮き上がる。まず、髪を染めていないのは僕ぐらいだし、翼とやっちゃんとけんじー(どっちがどっちかは判別できない)は黄色人種とは思えないほど日焼けしている。それは女子も似たようなもので、つまり、僕は傍目から見れば、このメンバーの一員とは思われない。
けれど、そんなことはどうだっていい。二学期からの平穏の為に誤解を解く。僕の目的はそれだけだ。
僕達は屋台を巡った。かき氷やりんご飴、たこ焼き、イカ焼き、焼きそばなど、皆好きな物を適当に買い、射的や金魚すくいや輪投げなどを楽しんでいた。僕は皆が楽しそうにしている姿を眺めながら、その姿に尊敬していた。何故なら、僕は何が楽しいのか理解できなかったからだ。
人が多く、まともに歩けず、騒がしくて会話も成り立たない。夏の熱気と人の熱気と屋台の熱気に押され、さして美味とも思えない物を法外な値段で買い、単純なゲームに大声を上げて喜ぶ、もしくは悔しがる。これが祭りだ。これを楽しむ、更には盛り上げるという行為は、僕の能力の外にあり、彼等の能力の中にある。
「楽しんでるか?」
ふと、翼が僕に語り掛けた。僕は笑顔を浮かべたが、下手糞な笑顔だっただろう。顔が引きつっているのが自分でもわかった。
「今、翼のことを尊敬し直していたところだよ」
「なんだよ、それ」
翼は僕の肩を叩いて笑った。
「本当だよ。僕は生まれ直したって君と同じ能力はもてない」
「能力?」
「場を盛り上げる、明るくする、楽しませる。君は天才だ」
「なにも考えてねぇだけだって」
「それが凄いんだって」
その時、大声で「城くん!」と呼ばれた。僕が振り返ると、真白さんが片手に狙撃銃を持って近付いてきた。
「ど、どうしたの? それ」
「くじで当たったの。いいでしょ?」
彼女は得意げな表情を浮かべてライフルを構えた。僕は嘘でも「いいね」とは言えなかった。
「はい、川野くん、どーん」
真白さんが翼に向かって銃を撃つ仕草をすると、翼はノリ良く「うっ」と言って胸を抑え、膝をついて、その後、笑った。後ろで葉山さんと男子二人と女子二人が「馬鹿みたい」と言って笑っていた。
その後、真白さんは
「はい、京子ちゃん、どーん」
と続け、「雪ちゃん」、「景ちゃん」、「山下くん」、「勝山くん」と同じ遊びをして全員を仕留めていた。真白さんの幼い行為に全員が付き合っていた。僕は、それはそれで才能だなと改めて思った。
「あれ?」
と僕は声に出した。翼が「どうした?」と尋ねる。
「真白さん、男子の名前を苗字呼びしてた?」
「あ? 今更かよ」
「今更」と言われても、人の二人称など気にしたことがない。クラスメイトの名前だってほとんど覚えていないのだから当然だろう。
「なら、なんで……」
彼女は僕にお互いの名前を呼ぶように提案したのだろう。僕が声に出すと、翼はにやにやしながら「なんででしょうねぇ」と言った。
「まさか、翼も例の噂を信じてる?」
僕が翼を睨むと、彼は半笑いで首を横に振った。
「その噂は夏休みの間に鎮火したよ。やつしとけんじもお前に普通に接してただろ? 大変だったんだぜ。俺の夏休み前半はほとんどその火消し作業だ」
僕は目を大きく開け、拳をぐっと握った。そこまでしてくれていたとは夢にも思わなかったからだ。
「ありがとう」
「あー感謝しろよ」
翼は冗談っぽく言ったが、僕の方はそうはいかない。冗談では済ませられない恩だ。
「けど、アタックするなら早めにしとけよ。人気あるから、とられちゃうぞ」
「それは僕が彼女が好きだっていう前提で言ってるよね」
「あれ? 違うの?」
翼は素っ頓狂な顔をした。僕はため息を吐いた。少なくとも、僕は石川真白さんを恋愛感情で好きだと思ったことはない。彼女を意識してしまうのは、例の夢のせいだ。ただ、例え無二の親友で、恩人である翼にも、そんな内情は告げられない。僕自身でも思うように、病んでいると考えられるのがオチだ。
辺りが暗くなると、僕達は花火が見える落ち着いた場所を探し始めた。時間が深まるにつれて人の数は増え始め、歩き辛さがどんどんと膨れ上がってくる。そして、ついに僕は彼等とはぐれてしまった。もともと人混みが苦手なのだ。
大恩人翼様のおかげで誤解を解く必要はなくなったので、潮時だろうと思った。僕は人ごみの流れから逸れ、比較的人の少ない堤防に腰掛け、スマートフォンを取り出した。「僕がはぐれたことは気にしないでくれ」という趣旨のメッセージをSNSのグループに送り、しばらくぼんやりとしていた。そこで、昼間読んでいた花火の本の写真を思い出し、折角だから花火だけでも見て帰ろうと思った。
人ごみの流れに目を向けていると、そこからオレンジ色の浴衣を着た女性が現れ、僕の方向へ歩いてくるのが見えた。見覚えのある服装に背格好だ。その女性は不安げな顔をして恐る恐る歩き、僕を見つけると、輝く笑顔を浮かべて腕を上げた。僕も低く手を上げて答えた。
「も~怖かったぁ! みんなからはぐれちゃったし! 知らない人に声をかけられるし! 怖かったよ城くん!」
その様子は夢の中の彼女と似ていた。孤独から人を見つけた時の喜びへの変化。しかし、知らない人に声をかけられる辺り流石だなと思った。やはり、彼女は学校という枠を超えた場所でも人気者らしい。
「銃はどうしたの?」
彼女を落ち着かせるためにどうでもいいことを尋ねると、真白さんは「あはは」と笑った。
「小さい子が欲しそうにしていたから渡しちゃった。城くんも欲しかった?」
僕は「まさか」と微笑んだ。真白さんは「だよね」と言って笑った。
ひゅーという風を斬り裂く音が闇夜に轟いた。僕達が目を向けると、白い線が夜の闇から空へと駆け上がり、花開くところだった。