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第5話

 その日はありとあらゆることに集中できなかった。僕の心を崩壊した世界が埋め尽くし、それ以外の事柄を弾き飛ばしたようだ。

 僕はぼんやりとした状態で授業を受け、昼食を食べ、また授業を受けて、部活を終わらせた。その後、教室に戻り、自分の席に座って、読みかけの本を机に置いたままそれを開く気にもなれず、深い溜め息を吐いた。

 そのまま何もせずにいると、外で部活動に励む運動部の掛け声や、吹奏楽部の演奏が耳に入った。青年達の努力の音に混じり、カラスの声が何度か聞こえ、僕は不思議と落ち着きを取り戻し始めた。

 誰もいない教室には不自然な静けさがある。教室の意に反しているかのような静けさだ。僕はそれが好きだった。どこか感傷的な気持ちになれるからだ。そこで、ようやく本を開き、1ページ目を読み終えようとした刹那、開けたままにしていた廊下側の窓から声が聞こえた。


「あっ! 茅原くんだ!」


 僕が視線を向けると、石川真白さんが窓の外にいて、右手を勢いよく振っていた。僕はその手の動きを見て、人懐っこい犬の尾の動きを連想した。


「茅原くん! 語ろう!」


 彼女の言い回しがおかしくて印象に残った。語る? ああ、話そうと言うことか。石川さんは教室に入り、自分の席ではなく僕の隣の机に荷物を置いて椅子に座った。彼女は僕を見たままニコニコと笑っていた。


「どうしたの?」


 僕は困惑を浮かべて尋ねた。石川さんは「何でもない」というふうに首を横に振った。


「茅原くんは……そっか。美術部は早めに終わるんだったね」

「そうだよ」


 僕は本を閉じて鞄にしまった。「おかげでとても暇なんだ」


「美術が好きなの?」

「いいや」

「わお。即答だ」


 彼女は驚きながら心底楽しそうに笑った。僕もつられて笑みを浮かべる。


「親がうるさいから適当に入っただけだよ」

「なるほどねぇ。そういう動機もありなんだねぇ」

「いや、普通ならなしだよ」


 僕は慌てて言った。続いて


「石川さんは部活は決まったの?」


 と尋ねた。

 石川さんは首を横に振った。そして、疲れたように、と言ってもあくまで楽しそうなのだけれど、答えた。


「決まらないの。難しいよね。みんな熱心に誘ってくれるんだけれど、一つに決めろと言われると分からなくなっちゃうの」


 それは結構だ、と僕は思った。この高校において部活動を本気で取り組んでいる人物など何人いるのか疑わしい。ただ、誰もかも彼女を誘い入れるほど熱心に取り組んではいないだろう。


「美術部はどう? 楽しい? わたしも」

「止めといたほうがいいよ」

「え? そうかな」

「そもそも、あれを美術部と呼んでいいのか、僕は常に疑問に思ってるんだ」


 誰一人として美術的活動に勤しんではいない。美術室の中は持ち込んだPCでゲームをしている者達、永遠とお喋りをしている者達、残りは幽霊部員で埋められている。僕はまともな人物が美術部に来ないように立つ門番だ。

 以上の事柄を石川さんへ丁寧に説明すると、彼女はそれを面白おかしく聞きながら、「それはそれで楽しそう」と言った。


「でも、茅原くんがそれだけ止めるなら、止めておこうかな」

「正解だよ。君はもっと青春を楽しめそうな部活動に行くべきだ」

「青春を?」

「そう。石川さんはそれが向いていると思う。個人的には」

「個人的には?」


 彼女は僕の言葉を繰り返して笑っていた。オウム返し。しかし、彼女がすると不思議に嫌味は感じなかった。


「茅原くんは一々面白いね。なんだろ? とにかく独特だ」

「良い意味で? 悪い意味で?」

「悪い意味ならこんなことは言わないよ」

「それは良かった。嬉しいよ」

「あはは、全然嬉しくなさそうに言うもん。やっぱり独特だよ」


 こんなやり取りを繰り返しながら、僕は崩壊した世界に残された一人の少女のことを考えた。夢の中の彼女と、現実の石川さんは姿だけでなく、仕草、口調、表情まで同じだ。これはおかしい。僕が初めて知る特徴まで夢の中の人物と一致するなんて不可思議だ。


「ねぇ、訳の分からないことを聞くかもしれないけれど」


 僕が尋ねると、彼女は身を乗り出して「なに? なに?」と興味深そうに尋ねた。そこまで面白い話じゃないよ、と僕は前置いた。


「前、僕と会ったことある?」

「えぇ~? なに~? 口説いてるの?」


 彼女は我が身を抱くようにして身を捩じり、冗談っぽく笑った。僕はなんでそうなるんだと思った。


「違うよ」

「ひどいなぁ。もうちょっと乗ってよ」

「それはごめん」


 僕が謝ると、彼女は一層楽しそうに笑った。小さな声で「面白い」と言って。


「なんか、君は、僕の、そう、遠い昔の知り合いに似てる気がして」


 その時、彼女は笑みを失った。驚いているようだった。その表情は夢の中の彼女と全く同じ顔だったが、石川さんの驚いた顔を見たのは初めての筈だった。


「ごめん。忘れて」


 僕が取り繕う様に言うと、彼女は小さく頷いた。そして、何とも言えない表情を浮かべた。微笑んでいるが、悲しげな顔だった。


「茅原くんとわたしは、この高校で初めて会ったよ。間違いないよ」


 今度は僕が頷く番だった。話を変えよう、と僕は思った。


「石川さんは前の学校でなにか部活に入ってたの?」


 僕の問いに、彼女はまた驚いた顔をした。話の変え方が強引過ぎたか、と僕は後悔した。彼女は「そうだねぇ」と曖昧に答えた。

 そのタイミングで彼女のスマートフォンが鳴った。彼女は「ごめん」とジェスチャーをして、僕は何でもないというふうに首を振った。彼女は電話をとると、幾度か会話を交わして、通話を切った。


「ごめん、秋ちゃんだ。部活が終わったみたい。一緒に帰ろうって」


 秋ちゃんとは誰だったかと思いながら時計を見ると、確かに18時を回っていた。


「部活の終わる時間だね」

「そう。茅原くんはまだ帰らないよね」

「そうだね、まだしばらくいるよ」


 石川さんは自分の鞄を手に持ち、別れの挨拶を告げて教室から去った。僕はため息を吐いて窓から外を眺めた。すると、バタバタと音が戻ってきて、再び石川さんが教室に現れた。


「忘れ物?」

 

 僕が尋ねると、彼女は首を横に振った。


「3つ言い忘れてた」


 彼女は息を整えながら言った。


「まず、わたしのこと、これからは真白って、名前で呼んでほしいな」


 僕は驚いた。そして、


「なんで?」


 と尋ねた。


「だって、わたし達もう仲良しじゃん。わたしもこれからは城くんって呼ぶから。いいでしょ?」


 僕は困惑した。しかし、僕程度の仲で名前を呼び合おうと提案するなら、きっと他の人にもそう言っているのだろうと考えて、同意した。


「2つ目、写真、撮らせて」


 今度は、僕は即座に返した。「なんで?」


「アルバムを作りたいの。はい、チーズ」


 彼女の行動は素早かった。僕は反射的に反応して柄にもなくピースを浮かべた。彼女は満足そうに笑い、スマートフォンを制服のポケットにしまった。


「3つ目、城くん、部活終わったら教室にいるよね」


 嵐のような追撃に僕は困惑しながら頷いた。「まぁ、基本的には」


「オッケー。またいつか語ろうね。じゃ、バイバイ!」


 彼女は騒がしく音を立てながら教室から遠ざかった。僕は彼女がまだ教室にいるような気がして、なんとも落ち着かない気分のまま外を眺めた。夕焼けの赤い光の中を黒い雲が泳いでいた。まるで、あの夢のような光景だ。



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