第2話
教室はいつも通りに賑やかだ。
僕は最後列の窓際の席に座って、窓から差し込む温かい日差しを全身に浴びながら、小説のページをめくった。クラスメイトの会話をBGMに、世界を巡る男の冒険活劇を読み進める。男が未開の地に上陸し、現地人に捉えられた場面で、僕は現実に引き戻された。声をかける者が現れたからだ。
「よう」
髪を金色に染め、制服のボタンを全開にしたクラスメイトが、僕に短い挨拶をかけた。大抵の人間は、このド派手な男と、教室の隅で静かに読書を嗜む僕が友人であるという事実に驚く。初対面の人間は、彼と僕が主従関係にあると考えるからだ。中学、高校と、環境が一新する度に、彼と僕が話していると周囲は騒めき立った。影に隠れて生きることを望む僕はその度に気分が悪くなった。
「今日転校してくる女子、可愛いらしいぜ」
翼は僕の机に座って半笑いで言った。それに対する僕の返答は
「ああ、そう」
だった。僕は嘘を吐くのが苦手だ。だから、興味のない事柄に興味がある振りをすることができない。勿論、無理をすれば演技ぐらいはできる。しかし、その途端、僕の挙動は昔のCGみたいにぎこちなくなる。
翼は尚も明るく笑った。僕の扱いに慣れているからだ。そして、僕の肩を叩いた。不良の癖にスポーツマンな彼の力は強かった。
「なんだよそりゃ。チャンスじゃねぇかよ」
成る程、クラスの中心に立つような人物はそういう物の考え方をするのか。僕とは根本的に違う。
「あんまり興味がないんだ」
僕が思ったままのことを口にすると、翼はやれやれと首を振った。
「まぁ、城っぽいけどな。ちっくしょー。俺も京子と付き合ってなけりゃなぁ」
僕は最前列の扉側の席で友達と話していた葉山京子さんに視線を送った。そのうち、京子さんと目が合った。正確に言うと、京子さんは翼に視線を送ったわけだけれど、ともかく、その京子さんは僕のSOSを受け取ったようで、つかつかと歩いてきて、翼の腕を引っ張った。
「おっ、なんだよ、京子」
「茅原くん困ってるでしょ。向こう行くよ」
「困ってねぇよ。困ってるわけねぇだろ。な、城」
「困ってる」
「なんだよそれ」
翼は笑いながら京子さんに連行された。京子さんも笑っていたし、それを目撃したクラスメイト達も笑っていた。僕はーー笑っていたのだろうか。分からない。自分の表情が分からない。
チャイムの音が高等学校、およびその周辺に響き、担任の先生が教室に姿を現した。40代体育教師の木村先生は、堀の深いよく焼けた顔をにやつかせていた。
「おら、お前ら、喜べ。新しい仲間が増えたぞ」
いつものHRの導入と雰囲気が違う。僕は「何だっけ」と考えた。教室の扉が開いて新品の制服を着た女子が姿を現した瞬間、「ああそうだった」と思い出した。3分前の会話を忘れていた。転校生だ。
彼女は確かに綺麗だった。光り輝く空気を制服の上から羽織っているように見えた。大きな瞳、肩まである髪、白い肌。翼がどこで噂を聞いたのかは知らないが、情報に誤りはないようだ。
彼女は緊張していた。動きがぎこちなく、口も堅く一文字にしまっていた。下手をすれば両手両足を同時に動かしかねない有り様だった。その姿は彼女の純粋さを現わしているようで、僕はおそらく彼女はこのクラスで直ぐに馴染むだろうと予想した。
「は、はじめまして」
透き通るような声は、緊張でわなわなと震えている。
「い、石川、真白と言います。み、皆さんと仲良くなりたいです。し、趣味は……」
転校生は自己紹介を進めた。フォローの達人である木村先生のサポートと、クラスのお調子者のやり取りのおかげで、彼女は次第に緊張を緩めていき、教室に入って5分で馴染んだ。僕はというと、教室の最後列で彼女をぼんやりと眺めながら、あることに気が付いた。
あれ? 知ってるぞ
どこかで彼女の姿を見た覚えがあった。声も聴いたことがある、ような気がする。それも、感覚としてはごく最近に。
記憶の世界に潜り込んで探し物を始めた。そう時間もかからずに気が付いた。今朝の夢。崩壊した世界の夢。そこで泣いていた少女にそっくり、否、そのままだ。似ているという言い方では遠慮が過ぎると、僕の無意識が叫んだ。
あの夢は、崩壊した世界の夢は、予知夢の類だったのか。初対面の人間に、出会う前日に夢の中で出会う。なんの意味もない予知だ。僕は心の中で笑った。馬鹿じゃないかと思った。きっと、挨拶か何かで彼女が高校に訪れた際に、僕は彼女を見かけていたのだろう。そして知らぬ間に印象に残り、無意識のうちに記憶へ刻まれ、夢の中に登場したのだ。
結局、夢など僕の妄想だ。そう考えると、あの気味の悪い世界で彼女に縋られることを思い浮かべた僕は、やはり病んでいると思われる。
転校生は面倒見の鬼である園田さんの隣に座った。前から二列目、窓側の席だ。転校生と園田さんが挨拶を交わして笑い合う姿が見えた。
僕はというと、早々に転校生の名前を忘れてしまった。